間合い運用

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間合い運用(まあいうんよう)とは、主に鉄道などの交通機関における運用法の一種である。

概要[編集]

本来は特定の路線便のために用意された車両・機材を、遊休時間に本来の用途ではない他の路線・便へ流用することをいう。また、これによって運用される路線・便そのものを指す場合もある。車両等の待機時間を減少させ、運用を効率化させるために実施される。

鉄道などの旅客輸送機関においては、しばしば特定の路線・便のために専用の車両・機材が用意されることがある。こうした場合、その路線・便が運行されないときは車両基地などに留置されることになるが、その間に他の用途にも活用できればより効率的である。このように本来的な用途の間合いを利用して別の路線・便に機材を流用する運用法を、間合い運用と呼ぶ。

鉄道[編集]

鉄道においては、本来は用途や使用路線が限定されている車両を異なる種別・路線の列車に充てることをいう。特急形車両急行形車両普通列車快速列車ホームライナーなどに用いる例が多い。

鉄道の間合い運用には、占有面積の大きい留置列車を減らすことで車両基地の限りあるスペースを有効活用できるという副次的効果もある。また、回送の場合は、その区間の旅客需要に応じて乗客を輸送すれば明らかに経済的な効率が向上する。

また、車両基地と始発終着駅との間で列車を回送する代わりに営業運転することも間合い運用と呼ばれることがある。回送列車をその区間の需要に応じた旅客輸送に利用することにより、経済的な効率を向上させている。ただし、この場合は主に送り込み列車と呼ばれる。

複数の事業者で相互乗り入れを実施している場合、乗り入れ先での運行距離の調整により車両使用料の相殺を図る場合がある。そのため他社線内のみの折り返し運用として充当されることもあり、アルバイト運用とも称される。この例は直通運転の記事に詳しい。

なお、特急型車両で運行される普通列車など、本来は特別料金を必要とする設備を有する車両を普通乗車券のみで利用可能とした列車を特に乗り得列車と呼ぶ場合がある。特別急行に因んだ特別鈍行なる俗語や速達運転をする場合は乗り得快速といった俗語がある。
逆に本来優等列車用でない車両を優等列車に充当することは旅客サービス上の問題があるため避けるべきであるが、様々な理由により設定されることがあり、鉄道ファンから遜色列車(遜色特急、遜色急行)と俗称される。

歴史[編集]

特急列車については車両基地と始終着駅の間は回送扱いとし、客扱いをしないことが長らく不文律となっていた。特急用車両が普通列車に間合い使用される事始めは、外房線全線電化開業に伴うダイヤ改正(1972年7月15日)で、「わかしお9号」(183系)の安房鴨川駅到着後、館山駅での夜間留置のための往復回送を普通列車として客扱いをした9186M・9125Mが初めとされているが、設備面だけで見るなら日光線電化開業に伴うダイヤ改正 (1959年9月22日) 時に新製された157系 (冷房がないことを除けば特急用と同等の車両)が、準急運用の間合い回送(日光駅黒磯駅)を快速として客扱いしたのが初めである。

その後暫く定期運用はなかったが 1980年 になると,この年新製された 185系 による普通列車運用が常態化する事となる。暫定的に使用を開始した急行『伊豆』運用の間合いの普通列車運用をその後のダイヤ改正 (1981年10月1日) で登場した特急『踊り子』でも引き継いだ事、東北・上越新幹線暫定開業による「新幹線リレー号」(実質は快速)やその際、東北・高崎線系統の特急「あかぎ」で「特急は急行のように末端区間で普通列車に種別変更しない」国鉄の慣習を打ち破ることになり、さらに新幹線上野開業後に登場した『新特急』で末端区間の普通扱いが相次ぐ事となる。特に末端区間の普通列車扱いは地方路線の特急にも拡大するようになった。

また、特急列車の回送を客扱いする事で、国鉄時代の1982年6月1日に登場した「ホームライナー大宮(東大宮操車場帰着車を活用)」は瞬く間にJR四国を除くJRの他の通勤路線にも拡大し、乗り得と呼ばれる列車が当たり前に存在するようになったが、2000年代以降、JR北海道とJR東海以外は特急化が進み、その際の料金改定や18きっぱー排除が「体のいい料金値上げ」と一部の鉄道ファンから批判されている。

鉄道における例[編集]

現在行われているもの[編集]

JR各社 - ホームライナー
朝夕のラッシュ時、特急形車両を定員制の快速列車「ホームライナー」として運転する例が多数見られる。発祥は送り込み列車の意味合いだったが、現在では車両基地への送り込み以外も設定されている。基本的には自社車両を各地域で使用するが、JR東海東海道本線名古屋駅 - 大垣駅間の「ホームライナー大垣」は「しらさぎ」に使用されるJR西日本金沢総合車両所所属の681、683系電車が運用されている。
20世紀には大都市圏周辺に多く見られたが、現在運転が盛んなのは札幌・名古屋の大都市圏や新潟などの地方都市圏である。
JR各社の通勤特急
JR西日本のびわこエクスプレスの前身は、1987年10月より運転を開始したホームライナー「びわこライナー」。当時は北陸本線特急「雷鳥」用485系を使用していた。
2003年6月1日より使用車両を681系683系へ置き換えすると同時に特急に格上げし「びわこエクスプレス」として運転開始。同系列車両を使用して平日のみ米原駅 - 大阪駅間で1往復運転されている。その後、2014年3月15日より、特急「はまかぜ」6号として大阪駅到着後は吹田総合車両所京都支所回送させていた189系気動車を、平日のみ「びわこエクスプレス」2号として大阪駅 → 草津駅間で1本増発した(架線下DCとなる。土曜・休日は従来通り吹田総合車両所京都支所まで回送)。
現在、同種の間合い運用の通勤特急はJR東日本の首都圏やJR九州JR四国の主要都市圏で運転されており、通勤特急が設定されていなかったJR西日本の神戸圏にも「らくラクはりま」が設定された。
JR東海 - 373系電車使用の列車
特急「伊那路」および特急「ふじかわ」や前述のホームライナーとして運転されるほか、静岡駅 - 沼津駅間、浜松駅 - 豊橋駅間などの普通列車にも使用されている。列車によっては沼津→浜松のホームライナーが浜松で種別変更を行い、そのまま普通豊橋行きになる。このように夜間の下りに限ったことではあるが、ホームライナーを使うことで、日中はロングシート地獄と言われる東海道本線 (静岡地区)を楽に移動することができる。
かつては1996年3月16日から運転されている快速「ムーンライトながら」の「送り込み列車」として、東京駅 - 静岡駅間の普通列車と大垣駅 - 豊橋駅間でホームライナーに、間合い運用で大垣駅 - 米原駅間の普通列車にも用いられていた。「ムーンライトながら」の臨時列車化により使用される車両がJR東日本の183・189系に変更された後も東京駅 - 静岡駅間の普通列車は2012年3月16日まで、大垣駅 - 豊橋駅間のホームライナーと大垣駅 - 米原駅間の普通列車は2013年3月15日まで運転が継続されていた。
JR西日本 - 博多南線
山陽新幹線博多駅から博多総合車両所までの回送線(2011年3月12日からは九州新幹線と共用)を旅客線化した路線である。全列車が新幹線用の線路および車両を使用するが、「愛称なしの在来線特急列車」として運行される。この路線用の特定特急券(100円)は乗車券とは別に購入する必要がある。
名古屋鉄道 - 特急車両を使用した急行・準急・普通運用
名鉄特急に使用される一部特別車の特急編成(1000系2200系)は、早朝、深夜に犬山線名古屋本線河和線等の急行、準急、普通に間合い運用される。この場合、特別車は締切扱いとなり原則乗車できず、夜間や土休日は、特別車締切の運用となっている。
なお、平日早朝に限り、座席指定での特別車の開放が、2021年3月15日より新鵜沼駅発の急行2本で、2023年3月18日より豊橋 - 岐阜間の早朝の急行1往復で実施され、ミューチケットを購入すると特別車を利用できる急行となっている。
阪急電鉄 - 9000系を使用した普通運用
早朝・夜間の一部普通列車に、特急用の9000系が運用される。これとは逆に、9000系以外の車両が特急・急行運用に入ることも日常的に見られる。
京阪電気鉄道 – 8000系を使用した急行運用
8000系京阪特急に使用されるのが殆どであるが早朝と夜間1本ずつであるが急行で使用される。その場合プレミアムカーも営業している。
西日本鉄道 - 3000系を使用した普通運用
ラッシュ時は、特急運用と普通運用が日中と入れ替わり、特急用の3000系が普通列車に運用されている。
JR東日本 - EV-E301系電車ACCUM
パンタグラフを2基備え、架線集電に加え、蓄電池で走行できる構造から、冬期の早朝に日光線霜取り列車[1]に使用されることがある。
フランス国鉄 - INTERCITÉS 100% éco
パリ(オステルリッツ駅) - トゥールーズ(マタビオ駅)間は簡易寝台車つきの夜行アンテルシテ(INTERCITÉS。2012年1月2日Lunéaから改称)が毎日1往復しているが、月曜、金曜、土曜及び日曜はこの編成を用いた昼行列車「INTERCITÉS 100% éco」(2012年1月2日、Téoz Écoから改称[2])が同区間で運行される。すなわち、パリ - トゥールーズ間を通常2日で1往復している編成が、INTERCITÉS 100% éco運転日には1日1往復することになる。
なお、夜行用車両の性能の制約から速度が遅く所要時間が長いため、ほかの昼行アンテルシテ(2012年1月2日、Téozから改称)よりも大幅に安価な運賃設定(インターネット予約限定)があり、いわゆる遜色急行となっている。

過去に行われていたもの[編集]

準急「するが」
1960年に設定された沼津駅 - 名古屋駅間の東海道本線準急列車であった。運用開始当初は東京都の田町電車区所属の153系を使用していたが、車両運用効率の観点から、1年後の1961年3月1日より大阪府の宮原電車区所属の153系「鷲羽」(大阪駅 - 宇野駅。「鷲羽」編成は変電所容量の関係から1965年までは付随車の比率を高くした4M6Tの10両編成による専用編成を組成していた)編成を一部の「比叡」と共通で運用することとなり、このため田町電車区所属編成時代よりも運転区間と所属車両基地との間が大きく離れていたことから、当時としては異例の広域運用となった。この編成の送り込みは、1961年3月1日改正時点でのダイヤでは「比叡」の1往復で行われた(そのため「比叡」の一部でも「鷲羽」用の編成が1965年10月1日改正まで使用されていた。なお、1961年10月1日改正からは「伊吹」の一部と「びんご」が「鷲羽」編成の共通運用に加わる)。1963年に共通運用を組む他の4愛称列車との関係で165系を2両増結して12両編成に増強。1965年10月1日のダイヤ改正での「するが」の不定期列車格下げおよび運転区間変更による大垣電車区所属編成への運用変更により広域運用を解消。また同日に宇野線の変電所容量の増強工事の完成によって、153系による通常の準急編成の「鷲羽」への充当が可能になったため、付随車比率の高い「鷲羽」編成そのものも消滅。
急行「ちくま」
1961年10月に設定の大阪駅 - 長野駅間の東海道・中央本線などで運行していた急行列車であった。運用開始当初は碓氷峠通過対応のキハ57系を車両運用効率の向上の観点から、碓氷峠とは全く関係のない急行列車である「ちくま」にも広域運用することとなり、碓氷峠を通過する上野駅 - 長野駅で運転していた急行「志賀」「丸池」「とがくし」の3愛称列車とともに共通運用していた。1963年10月1日改正で碓氷峠のアプト式運転が廃止されたことと電化区間の延伸により、キハ57系の車両運用が変更され、またキハ58系も配置され共通運用することとなったため、「ちくま」の広域運用は廃止。「志賀」「丸池」「とがくし」との共通運用も解消した。
この後「ちくま」は別運用となり、夜行列車は気動車から客車へと変遷して、間合い運用は途絶えたが、JR発足後の「ちくま」の電車化に際し、それまで関西地区で1泊していた大阪発着の特急「しなの」を当日中に夜行急行「ちくま」で折り返す運用に変更。「ちくま」の定期運行廃止まで間合い運用となった。
特急「あすか
キハ81系気動車を使用していた当時の紀勢本線特急「くろしお」の名古屋機関区での滞泊時間を利用した間合い運用として1965年3月、名古屋駅 - 東和歌山駅間 (関西本線阪和貨物線経由)に設定された。しかし、大阪市内に停車駅が設定できなかった事や運行時間等の設定に無理があり、二等車の全車自由席制の導入や食堂車の営業休止といった対策がとられたが、1967年9月をもって列車廃止となった。
特急「はくたか」の設定に端を発した向日町運転所の481・485系の超広域運用
1969年にキハ80系気動車・信越本線経由からから485系電車上越線経由に車種と経由地を変更した際に、「雷鳥」「しらさぎ」「うずしお」の編成を共通運用した上で向日町運転所の車両で運用することとし、同一の編成を関東地方の東京都から九州地方の大分県まで運用すると言う、上記の「するが」や「ちくま」の広域運用をも凌ぐ規模となり、当時としては極めて異例の広域運用となった。そのため、一度向日町運転所を出庫した編成が再度同運転所に入庫するまでには相当の日数を要していた。
1970年3月1日より共通運用列車に「北越」が、1971年7月30日より「しおじ」がそれぞれ加わるも、翌年の1972年3月15日改正でまず「うずしお」が廃止されたが、一方で同改正より「つばめ」との共通運用を開始。同年4月27日よりさらに共通運用列車に「はと」と「にちりん」を追加し、同年10月2日改正では「つばめ」の熊本編成を運用することとなったため、新たに熊本県でも運用を開始した。
その後1973年10月1日には「なは」が485系に置き換えられた際に、「雷鳥」「しらさぎ」「はくたか」「北越」「しおじ」「みどり」「つばめ」「はと」「にちりん」との共通運用群に加わったため鹿児島県にも進出し、同一の編成が東京都から鹿児島県まで運用されると言う超広範囲での運用となった。
さらには1974年4月25日改正でその共通運用に「日向」が加わり宮崎県にも進出(これとは別に「みどり」も宮崎県に延長して進出)し、ここに向日町運転所の481系および485系電車の運用範囲は最大規模となった[3]
しかし、1975年3月10日改正で一挙に「雷鳥」「はくたか」「北越」の3列車に激減(この内「しらさぎ」は金沢運転所所属車両での運用に、「にちりん」は南福岡電車区および鹿児島運転所所属車両での運用にそれぞれ変更して存続したが、それ以外の特急は廃止となる)し、配置編成数も13本所有の10本使用予備編成3本にまで著しく減少した後、1978年10月2日改正で「はくたか」も金沢運転所所属車両での運用に変更したため広域運用を解消。
特急「おおよど
日豊本線特急「にちりん」のうち、キハ82系気動車を使用する運用の間合い運用として1974年4月、急行えびの」のうち1往復を特急に格上げし博多駅 - 宮崎駅間(鹿児島本線肥薩線吉都線経由)に設定された。その後、1980年10月のダイヤ改正で「にちりん」が総電車化されたことに伴い廃止され、急行「えびの」に再び戻された。
特急「しらさぎ
1972年1978年南福岡電車区1975年以降は向日町運転所)所属の583系電車が「金星」で博多から名古屋に上り「金星」で博多に戻る間、日中に名古屋~富山間を1往復する運用が存在した。豪雪地帯の北陸本線を走行するため、冬期は耐寒耐雪構造の編成が限定運用されていた。
寝台特急「日本海」
1975年から1978年にかけて、長崎県早岐客貨車区に所属する14系客車が使用されており、寝台特急あかつき」で長崎駅佐世保駅から大阪駅に到着した編成を大阪駅発の「日本海」に充当して青森駅まで往復、再び「あかつき」で長崎・佐世保に戻る広域運用が存在した。
特急「ひたち」
1969年10月、常磐線初の特急列車として「ひたち」が誕生したが、当初は同時期に誕生した羽越特急「いなほ」の編成である秋田運転所所属のキハ82系気動車を間合い使用していた。
上り「いなほ」の上野駅到着後「ひたち」として往復(平駅で夜間滞泊)、翌日「いなほ」として秋田駅へ戻る運用を組み、両者とも電車化される1972年10月まで共通運用が続いた。なお「いなほ」の雪による遅れを考慮し、「ひたち」は季節列車扱いのスタートだったが、実際にはさほど影響はなく(稀に急行形電車による代行運転あり)、1年後に「ひたち」は定期化されている。
特急「あおば」
1970年2月に奥羽本線特急「つばさ」がキハ181系気動車に置き換えられたが、下り「つばさ1号」は秋田駅到着後、上り「つばさ2号」として折り返すまで1日近く遊休される運用となっていた。そこで1971年4月に仙台駅 - 秋田駅間を北上線経由で走る特急「あおば」を1往復設定した。しかし、1975年11月、奥羽本線・羽前千歳〜秋田間電化で「つばさ」を電車化した際、仙台、秋田周辺で「あおば」以外に特急化できる列車系統が無く、キハ181系は山陰本線の特急「おき」3往復に転用。「あおば」は急行「きたかみ」へ格下げされた。
特急「あさま
1973年10月より、上野駅 - 金沢駅間の「白山」で上京した金沢運転所所属の489系を、上野駅 - 長野駅間の「あさま」に充当する間合い運用が存在した。この運用は1978年に一旦消滅するが1985年に再設定され、1986年に分割民営化後に備えた車両配置転換で再び解消されたが、1992年に「白山」の系統分割に関連して三度みたび設定され、長野新幹線北陸新幹線・高崎駅 - 長野駅間)の開業前日まで運転された。
国鉄ED75形電気機関車
青森機関区のED75形1000番台(P形)は寝台特急ゆうづる」を水戸駅・平駅 - 青森駅間で牽引していた。水戸駅・平駅で折り返す間は常磐線内の旅客・貨物列車に使用されたが、省力化のため、両エンドにヘッドマークを掲げたまま走行していた。
この運用は1968年10月(いわゆるヨンサントオのダイヤ大改正)~1975年の寝台特急の牽引機のヘッドマーク省略まで見られた。その後、1985年3月改正で寝台特急のヘッドマークが全国的に復活するが、ゆうづるの牽引機のED75形は下り列車までの折り返し時間の間、水戸駅で待機し常磐線内をゆうづるのヘッドマークを掲げたままウロウロする姿は見られなかった。
同様の運用は、EF70形電気機関車牽引の「日本海」においても敦賀~田村間にて見られた。これはEF70形電気機関車の所属の敦賀からの入出庫による物である。
北斗星」牽引のEF81形電気機関車が青森での折り返し時間の間、青森盛岡間の普通列車の牽引にあたっていが、間合い運用時はヘッドマークを外して運用していた。ただし、北斗星牽引機は通常の機関車と異なり、側面に銀色で流れ星を描いた専用塗色のため容易に見分けられた。この運用は同区間の普通列車の電車化まで見られた。
芸備線山陽本線普通列車
広島駅三次駅の間で、急行「みよし」の車両を折り返しの普通列車に充当する場合があった。夜の三次からの最終列車のほか、下深川折り返しの列車にも使われていた。
なお、国鉄時代の芸備線・木次線急行「ちどり」は岩国機関区を拠点にしており、山陽本線の広島〜岩国間に架線下DCの間合い運用があった。
名古屋鉄道キハ8000系気動車
1976年7月1日から1983年11月まで、富山地方鉄道立山駅発着の「北アルプス」の運転日には立山駅での折り返し時間が長いことを活用して、宇奈月温泉駅との「アルペン特急」1往復(1・4号)に運用された。
名鉄側でも「北アルプス」の神宮前帰着/発車前の間合いを活用し、1970年代から、座席指定特急が退勤時に犬山、津島に向け運行され、出勤時は豊橋新名古屋間で運行された。
国鉄EF81形電気機関車
東北地方に701系電車が導入される前の青森駅周辺の東北本線や奥羽本線では、普通列車に客車が使用されていた。これらの列車は主にED75形電気機関車が牽引していたが、JR初期には東北本線(盛岡駅 - 青森駅間)の一部の普通列車で田端運転所所属のEF81形電気機関車が牽引していたことがあった。これは寝台特急「北斗星」などで青森駅へ到着し、日中は青森駅で待機する機関車の有効活用を狙ったもので、「北斗星」や「スーパーエクスプレスレインボー」塗装のEF81が50系客車12系客車の近郊形化改造車を牽引する光景が見られた。
快速「海峡
津軽海峡線では1988年3月の開業当初、青森駅 - 函館駅間に客車列車の快速「海峡」が運行されていたが、一部の列車では急行「はまなす」で青森駅へ着いた札幌運転所14系客車を使用していた。1991年に「はまなす」に寝台車が連結されてからは青森駅で寝台車を切り放して座席車のみで運行していたが、2002年12月に「海峡」の電車化・特急「白鳥」への格上げで廃止された。
JR北海道 - 789系電車使用の特急列車
スーパー白鳥」用の789系は青森駅(弘前駅始発で延長運転の時あり) → 八戸駅間の「つがる」6号に使用されていた。東北新幹線新青森駅開業をもって終了。
青い森鉄道 - 青い森鉄道線快速列車
青森駅発5552M浅虫温泉駅行と、その折り返し運転となる浅虫温泉駅発5553M青森駅行は、JR東日本の特急車両485系電車E751系電車が用いられていた。なお、青い森鉄道線内は普通指定席車・グリーン車が普通自由席車扱いで利用できた。
JR東日本 - 津軽線普通列車
2010年12月3日まで、一部列車に特急車両(485系電車、E751系電車)が用いられていた。なお、グリーン車(自由席)も営業しており、当日車内に限りグリーン券の販売も行われていた。
JR東日本 - 奥羽本線普通列車
2013年9月28日から2016年3月21日まで、東北新幹線のダイヤ改正にあわせて、青森駅から新青森駅での乗り継ぎ時間を短縮するために、青森駅 → 新青森駅間で2本が増発される。この増発列車は、特急「白鳥・スーパー白鳥」の送り込み運用であるため、485系および789系が使用されており、自由席である2・3号車のみ開放される。この2本は普通列車として青森駅から新青森駅まで運行された後、津軽新城駅まで一旦回送され、新青森駅まで再び回送となり、新青森駅から「白鳥・スーパー白鳥」として客扱いを行った。2016年3月26日の北海道新幹線開業による在来線列車の廃止により終了。
根府川駅停車中の521M (2010年)
JR東日本 - 東海道線伊東線普通列車
2013年3月15日まで、東京駅発521M熱海駅伊東駅行は「踊り子」に使用される185系電車を使用していた。東京駅7番線ホームにはこの列車のためだけの乗車口案内があった。
JR西日本 - みすゞ潮彩用車両の普通列車
朝の下関駅 - 滝部駅間の普通列車一往復に、キハ47形7000番台みすゞ潮騒編成が使用されており、2013年3月15日改正以前まで運用されていた。指定席車両も営業しており、指定席車両に乗車の際は指定席券が必要であった(但し、愛称無しで運用されたことからマルスによる発券ができなかったため、指定席券は当日車内でのみ販売された)。
都営地下鉄浅草線関連
都営浅草線は京成電鉄京浜急行電鉄北総鉄道と相互直通運転を行っており、保安装置の関係から運用の制約は少なく、多くの車両が幅広い種別で充当可能である。そのため時期的に間合い運用が行われるケースが多い。現在は特筆的な間合い運用はあまり見られないが、かつては以下のような間合い運用が存在した。
  1. 1970年1976年まで京成所属車(初代3000形等赤電各形式)が夏季の臨時列車として京急逗子線逗子海岸駅(現・新逗子駅)まで乗り入れていたが、運用時間帯の都合、日中帯に品川~逗子海岸間の特急列車に充当された。
  2. 1978年1979年まで京急車で朝に三浦海岸から青砥まで運用された編成を日中帯京成押上線の区間列車に充当された。現在では平日夜間に1往復都営車による京成押上線区間列車が存在する。
  3. 1982年7月から一時期京急車による都営浅草線西馬込へ向かう運用が行われ、短期間で消滅したが、2000年頃にも再度設定されたことがある。
  4. 1993年4月~1994年12月まで都営浅草線~京急空港線間の直通運転が開始された際、当時空港線のホーム有効長上8両に対応していなかったため、北総開発鉄道、住宅・都市整備公団(当時)所属車及び都営5300形は8両固定編成のため、空港線絡みの運用に充当できず、北総・公団車は泉岳寺~西馬込間の区間列車に、都営5300形は神奈川新町~新逗子間の急行運用に充当される運用が存在した。北総車の泉岳寺~西馬込間の間合い運用は現在でも平日朝と夜間に存在する。本務の羽田~千葉ニュータウン中央間は都営車と京急車の6両が殆どの運用に充当された結果走行距離調整のための措置である。
  5. 1998年11月~1999年6月まで羽田空港成田空港間の直通特急が運行開始されたが運用の都合上京成側で京成上野~成田空港間の特急と一体運用となり都営車や京急車が京成上野に乗り入れる運用が存在した。京急車については京成上野まで特急で昇った折り返し列車を京成高砂行き普通列車に充当するという二重間合い運用も存在した。
阪神電車の準急
かつての阪神電車には、「準急」という種別が存在した。これは、ラッシュ時に加速性能の劣る急行・特急用赤胴車を実質普通電車として運行させたもので、加速性能の高い青胴車による各駅停車と同じ速度で走らせるために、一部の駅を通過としたものである。そのため、全区間で通過駅より停車駅の方が多めで、2駅連続通過する区間は特に限られていた。

送り込み運用の例[編集]

ホームライナー(JR)
最初のホームライナーは、上野駅から東大宮操車場へ回送される特急用電車を活用し、1982年6月1日東北本線上野駅 - 大宮駅間で乗車整理券を徴収して退勤客等に開放したものであるとされる。同列車は同年7月1日に「ホームライナー大宮」と命名。その後、「ホームライナー」は全国各地のJRに展開したが、現在送り込み運用に相当するのは、JR北海道の手稲→札幌間とJR東海の「ホームライナー大垣」のみであり、「ホームライナー津田沼」のように回送列車に戻されたものもある。
新幹線300系電車西日本旅客鉄道〈JR西日本〉所属編成)
2012年3月の運転終了まで、JR西日本所属の300系は定期列車の殆どが東京 - 名古屋新大阪岡山間の「ひかり」・「こだま」に充当され、所属基地の博多総合車両所との入出庫列車として名古屋 - 博多間の「ひかり」(2007年11月で700系に変更)及び岡山 - 博多間の「こだま」が1往復設定されていた。

バス[編集]

間合い運用の例[編集]

ジェイアールバス関東西日本ジェイアールバス昼特急シリーズ)
夜行高速バスドリーム号」の間合い運用として2001年12月に「東海道昼特急大阪号」が誕生、ドリーム号と同じ独立3列席のダブルデッカーを使用する。これは日中は車庫で待機する車両の有効活用に加えて乗務員の1勤務あたりの拘束日数も短縮しており、三ヶ日到着後次の夜まで現地待機する2泊3日(東京・京阪神基準)の行路を昼特急と組み合わせた1泊2日に短縮した。新宿駅発着(現在は東京駅発着、新宿駅経由)で中央自動車道経由の中央ドリーム号系統にも「中央道昼特急」が設定され、こちらは小黒川パーキングエリアで交替している。車種のバリエーション増加に伴い、接客設備をグレードアップした「プレミアム昼特急」「グラン昼特急」や、4列席の「青春昼特急」も設定されている。
過去には、その他つくば発着便の送り込みや、各支店・営業所所属車両の土浦支店での検査のため、つくば号での間合い運用が頻繁に存在した。[1](リンク切れ)。また、初期の東京 - 吉川・松伏線ではマロニエ新宿号などで上京した車両が間合い運用に入ることがあった。
昼行便と夜行便をセットにした車両運用や乗務員仕業は、東北急行バスニュースター号・ホリデースター号・スイート号」や宮城交通・京王バス東広瀬ライナー号」などでも見られる。
ジェイアール東海バス
名古屋支店所属車両のうち、東名ハイウェイバスで名古屋から上京した車両が運用の都合上東京 - 静岡系統や東京 - 浜松系統で充当されることがある。またドリーム静岡・浜松号のジェイアール東海便も名古屋支店担当となっている。他にも東名ハイウェイバス(ノンストップライナー)とドリームなごや号中央ライナーとニュードリームなごや号を組み合わせた運用が存在する。
WILLER EXPRESS
名古屋 - 大阪線には主に4列シートで座席に液晶モニターのついた「シアター」が使用されるが、朝の2便と夕方の2便には夜行用の「NEWプレミアム」や「ポーテ」が間合いで使用される。3列シートの為ゆったりしているが、液晶モニターはない。日によって4列シートの車両が来る場合もある。
中国ジェイアールバス
かつて運行していた夜行バスふくふく東京号の同社担当便は、下関に営業拠点が無いため広島支店担当の夜行バスニューブリーズ号(広島 - 東京)の間合い運行で対応していた。
北海道中央バス
札幌、小樽、岩見沢エリアなどでは、高速バスの車両が一般路線として間合い運用される例が多い。
ミヤコーバス
2007年3月の改正で仙台 - 築館・栗駒線を4往復から2往復に減便し、折返し間合いを利用して翌月に2往復増便する仙台 - 村田・蔵王町線へ車両を充当した。それまで仙台 - 村田・蔵王町線は白石営業所(のちに村田営業所へ移管)のみの担当であったが、増便分に限り、栗駒営業所の車両・乗務員が担当することとなった(栗駒営業所の廃止により、築館営業所へ移管された)。2007年1月のミヤコーグループ再編までは、白石営業所は宮交仙南バス、栗駒営業所は宮交栗原バスと別会社であったが、統合され同一会社となったためにできた芸当である。栗駒営業所担当便は1日で栗駒~仙台~蔵王町~仙台~栗駒と、宮城県内をほぼ縦断する運用となっている。ちなみに、仙台~村田・蔵王町線の前身は宮城交通が運行していた特急仙台村田線であるが、この路線は当初仙台 - 山形線の出入庫運用として開設された路線である。2016年10月10日の運行をもって廃止。
岩手県交通
松園営業所管轄の桜台団地線(系統番号315)に、平日の日中は、紫波営業所の車両・乗務員が間合い運用されている。同じく松園営業所管轄の盛岡都心循環バス「でんでんむし」は右回り線は通常、専用車両で運行されているが乗務員交代で入庫する為その代走として、毎日1便だけ、浅岸線の間合い運用で一般車が担当する。専用幕が無いため「岩手県交通」表示で車体にマグネットシートによる「でんでんむし」表示が行われている。
山交バス
かつて、仙台 - 新庄間を結ぶ特急48ライナーが、同社夜行高速バスTOKYOサンライズ号専用の車両により間合い運転されることがあった。但し、間合い運用に入ることは極めて稀だったので、遭遇するのは困難であった。
関東バス
深夜中距離バス銀座線(銀座新宿駅 - 三鷹駅北口)用の車両が日中に鷹34系統(三鷹駅北口 - 武蔵野大学)として間合い運用されることがある。土日祝日、年末年始等は上記二系統が運行されないが、2007年正月には武蔵野吉祥七福神めぐり号として吉祥寺駅周辺の寺院を周り運行した。この他、過去には2014年に開業した土曜休日限定運行の湾01系統(武蔵野車庫・吉祥寺駅北口 - お台場)に充当されていたが、専用車両のうち1台が事故廃車となった影響で湾01系統での運用は終了。その後は青梅街道営業所から元羽田空港リムジンバス予備車の日野・セレガを転籍させて充当している。2017年8月には、特定日のみながら夜行路線用の三菱ふそう・エアロキングを使用した間合い運用が実施された。
東急バス
TOKYU E-Liner(高速虹が丘線)(東急バス虹が丘営業所 - 渋谷駅)や深夜急行バスなどとして運用される車の一部は、昼間は東京都市大学のキャンパス間輸送に使用されており、こちらも第三京浜道路を走行する。なお東京都市大学は東急グループに属する学校である。
山梨交通
山梨県京都大阪間を結ぶクリスタルライナーが好調であることから2008年より夜行便用の3列シート車が2台体制になったが、閑散期は1台で足りることから残る1台を使用し静岡甲府線に充当されることがある。但し山梨交通の公式サイトでは公表されておらず、いつ使われるかは不明。
三重交通
名鉄バスセンター発着の一般路線の名古屋桑名線(国道1号線経由)及び名古屋長島温泉線(名四国道経由)は、従来B特急車と呼ばれるトップドア車が使われていたが、バリアフリー法及び使用車種規制の影響により転出が進んだ。また両路線とも乗客数の多い名古屋市内のみの運転が増え、桑名方面への直通は乗客減のため削減された。そのためA特急車と呼ばれる高速バス車両が高速バスの間合いで名古屋市内の路線を走るケースが増えている。
京阪バス
門真営業所がかつて管轄していたコミュニティバスくるっとBUS」は専用の小型車両で運行されていたが、間合い運用として一般系統である門真29号経路や門真19号経路などで運用されていた。なおこの際、通常掲出される「くるっとBUS」のマークは外されていた。これらの運行経路は2009年10月30日をもって廃止あるいは他の営業所に経路変更の上で移管された。
近鉄バス
土休日ダイヤで運行される京都駅三井アウトレットパーク滋賀竜王間の高速バスは、JR久宝寺駅から近鉄八尾駅前を経由して京都駅まで運行される八尾・京都特急線(こちらも土休日のみ運行。ただし開設当初は平日も運行していた)の運用とつなげることで、運用の効率化を図っている。
神姫バス
慢性的な車両不足のために姫路市内の白鳥台、横関方面県立大学工学部前、上手野などの姫路市北西部の路線の一部と明石駅 - 西神中央駅間ではノンステップバスが配置されていない山崎営業所と三木営業所の車両が間合い運用している(前者は2008年12月から)。なお、山崎車は青色の電動幕式で表示、三木車はLEDゴシック書体車と電動幕車で運用している。
中国バス
福山営業所に併設される整備工場へ入庫する他営業所の車両が、整備明けの間合いで福山発着の各路線にて運行されることがある。
JR九州バス
鹿児島県広島県を結ぶ鹿児島ドリーム広島号において、平成28年より夜行仕様の新車を使用しているが、同路線は季節運行であるため運行期間外は桜島号に充当される。

送り込み運用の例[編集]

道北バス
同社は札幌 - 遠軽線「高速えんがる号」の運行に参加しているが、同社は経路途中の北海道旭川市の会社であり、車両・乗務員は本社で担当する。このため、旭川 - 遠軽線の「特急北大雪号」で遠軽へ入った後、折り返し札幌行きの運用に入り、旭川駅前で乗務員交代を行い札幌からは旭川(旭川ターミナル)行き「高速あさひかわ号」で旭川へ帰る。なお、中湧別文化センタートムまで延長運行する直行便(旭川市中心部を通過)は共同運行する北海道中央バス札幌北営業所担当)ともども、運行期間の前後は長距離回送を行う。
京成バス
成田空港 - 葛西・小岩線は主に千葉営業所が担当しているが、朝の一之江駅発成田空港行き1本と夜の成田空港発小岩駅行きの1本は奥戸営業所が担当している。これは奥戸営業所が担当するかしま号の鹿嶋への送り込みを兼ねたもので、成田空港 - 鹿島神宮駅間は回送となる。
同じ奥戸営業所が担当する羽田空港 - 小岩線/亀有線は東京ディズニーリゾート - 羽田空港線/横浜線の送り込みを兼ねる運用が存在する。
都営バス
臨海支所では2004年にはとバス管理委託を受けた際に、臨海車庫発着の出入庫専用系統として錦糸町駅南口行きの錦22系統、船堀駅行きの臨海22系統が設定されている。これらの系統では既存系統と異なる経路での運行や複数系統の乗り継ぎが必要な区間を直通するなど一見利便性が向上した一方で、特定の時間帯と方向に便が集中するため使いにくい難点が生じている。葛西駅一之江駅への出入庫系統は葛西22系統の一部とされたが、2014年3月までは同一経路で江戸川営業所が担当する臨海28乙系統が運行されていて、委託・支所降格前は臨海営業所の担当であったが、2014年4月に臨海28乙系統に戻されている。そのほか、ほとんどの営業所・支所等で送り込み運用があり、出入庫系統が多く存在する。
遠州鉄道(遠鉄バス)
三ヶ日〜浜松間の東名高速経由急行バス「オレンジ・エクスプレス」で、細江営業所からのe-Wing(中部国際空港リムジン)車両の送り込み運用が平日と土曜に実施されている。
名古屋市交通局名古屋市営バス
鳴尾営業所が担当する高速1号系統に充当される車両が、 - 鳴尾車庫間を基幹1号系統として営業する運用がある。この運用に充当される車両は一般車両のカラーである。そのため基幹バスとして運用する際には、乗客から識別しやすくするため、「基幹バス」と大きく書かれたバスマスクを掲出して運行される。
奈良交通
葛城営業所が担当する八木新宮特急バス八木駅 - 新宮駅)に充当される車両が葛城営業所入出庫のついでに八木駅~葛城営業所最寄りの停留所:忍海まで営業運転している。
中国バス
広島営業所(広島ナンバー)が担当する広島 - 福岡線広福ライナー昼行便用車両が福山営業所へ点検入庫する際は、同所及び井笠バス福山カンパニー福山東営業所が担当する広島 - 福山線ローズライナーを利用して広島・福山双方への車両送り込みを実施している。この場合は車両のナンバープレートで判別が可能。
過去には、大阪方面への高速バス「みよしワインライナー」の間合いで、三次〜甲山間の一般路線に運用されたことがある。
広電バス
中営業課花の季台車庫駐在の車両を横川駅発広島修道大学行に充当するため、花の季台 - 広島バスセンター線を午前中1便のみ横川駅で運行を打ち切る運用が存在していた。その後、ダイヤ改正で通常便と同じく広島バスセンターまで延長される形で消滅した。尚、横川駅 - 修道大学線に関しては、広島バスセンター及び小河内車庫から車両を回送する形に改められている。
同課が移転・名称変更した西風新都営業課担当の広島市立大学 - 五日市駅北口線は、一部便が同課西風新都営業所入出庫の送り込みとして最寄りのこころ南発着で運行されている。
高速道専用車両を薬師が丘 - 広島バスセンター線に間合い運用することもあった。
せとうちバス
かつて、伊予鉄バスと共同運行していた「松山 - 大三島特急線」が同社の単独運行となったため、松山発大三島ゆき始発便の送り込み兼用として、今治 - 松山特急便が朝1便、また大三島発松山ゆき最終便の帰区回送を兼ねた松山 - 今治特急便が夕方1便運行されている。
九州産交バス
同社は福岡 - 宮崎線フェニックス号の運行に加わっているが、同社は経路途中である熊本県の会社である。このため、熊本 - 宮崎線なんぷう号の運用において、フェニックス号の送り込みを兼ねるものがある。このほか、福岡 - 黒川温泉線の運行も同様に、熊本 - 福岡線ひのくに号の運用において福岡への車両送り込みを行っている。

過去の送り込み運用[編集]

房総エキスプレス
同社が請け負う企業送迎バスの車両送り込みを兼ねた都市間ツアーバスを催行したことがある。当時数多く運行されていたツアーバスの中では珍しく、東京都内への通勤客をターゲットとしていた。「新高速バス制度」施行に伴い運行終了。
広島交通
広島バスセンターへの送り込みを兼ねて、高陽車庫 - 広島バスセンター間に高速路線用車両を使用した急行便が運行されたことがある。
中国ジェイアールバス
かつて運行していた広島 - 福山線ローズライナーの同社広島支店担当便は、福山・広島 - 福岡線広福ライナー夜行便の送り込み及び広島支店への回送を兼ねていた。福山に拠点がないための措置。ただし、夜行便は中国バスと一日交替で担当するため、中国バス福山営業所が福山行夜行便を担当した場合は岡山支店が運行した。
石見交通
高速バス「いさりび」号の車両が、浜田駅〜周布間の浜田市内線に間合い運用されていた。

航空[編集]

航空においては国際線用の旅客機国際空港発着の国内線に充当することをいう。国際線と国内線では旅客機の仕様が異なるが、機材を有効活用するため実施されることがある。代表的な例として、全日本空輸 (ANA) の成田 - 大阪(伊丹)線や日本航空 (JAL) の成田 - 福岡線が知られている。なお、国際線機材で国内線を運航する場合は、外貨機から内貨機への機種変更を行うための作業が必要になる(逆の場合も同じ)。

逆に国内線用の旅客機を国際線に使用するケースでは、JAL・ANAが大阪 - グアム線に国内線仕様のボーイング747を使用していた(ただし洋上飛行となるため、ライフラフトを装備した機体による限定運用)。なおJALは伊丹時代 (747SR)、ANAは関空開港後 (747-400D) の運航である。21時前後に出発して翌朝大阪に戻り、国内線運用のない深夜帯に機材を有効活用していた。

このほかにも、羽田~ソウル線にはボーイング747-400、大阪 - ソウル線にはDC10、福岡 - 釜山線にはボーイング767の国内線仕様機を投入するなど、近距離国際線に充当するケースも多く、飛行時間やギャレーなど機内装備の事情で、機内食やアルコール類提供のサービス、機内販売が行われない場合もある。

国内線同士の例としては、JALの子会社である日本トランスオーシャン航空の機材(ボーイング737-400)が沖縄発着便の機材を羽田 - 岡山や羽田 - 関空間の路線にJAL名義の便で充当している。

船舶[編集]

関西汽船では、朝に大阪到着後夜まで使用しない船舶を間合い運用し、繁忙期に小豆島航路が運航されていた(ジャンボフェリーの寄港開始の影響で中止)。また定期航路ではないが、太平洋フェリーでは朝入港して夕方まで使用しない船を利用して昼間に名古屋港内や仙台湾のクルーズを実施する場合がある。これも一種の間合い運用といえる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. パンタグラフの項も参照のこと。
  2. Intercités 100% éco”. Voyages-sncf.com. 2012年2月12日確認。
  3. 共通運用を組んでいた全特急がTcM'MTsTsTdM'MM'MTcでの組成による6M5Tの11両編成であった上に、配置編成数も37本所有し、うち32本使用で5本は予備編成であった。