京浜急行電鉄
あんしんを羽ばたく力に
京急1500形電車 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒220-8625 神奈川県横浜市西区高島1-2-8 |
設立 | 1948年(昭和23年)6月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 鉄道事業など |
外部リンク | 京浜急行電鉄 |
京浜急行電鉄(けいひんきゅうこうでんてつ、英:Keikyu Corporation)は、東京都東南部及び神奈川県東部で鉄道事業を行う私鉄会社である。略称は「京急」。本線は泉岳寺(東京都港区)から浦賀(神奈川県横須賀市)までを結んでいる。東京都心と羽田空港を繋ぐ空港線は多数の乗客を運ぶ。前身は大師電気鉄道であり、明治31年(1898年)に創立された。京急の設立は戦後の昭和23年(1948年)である。
概要[編集]
大手私鉄でもっとも関東の鉄道ファンに人気がある鉄道会社である。某テレビ番組で鉄道ファンに人気のある路線として1位を獲得している。
バラエティー番組の鉄道企画からのオファーも受け入れているほか、鉄道ファン向けのイベントを開催することが多い。沿線は様々な特徴があり鉄道ファンが連日撮影に訪れている。「普通車[注 1]」「鉄道屋」「快特」などの独自な言葉も多い。グループ全体の収益の6割強が鉄道からの収入となっている。
赤に白帯というインパクトの強いカラーリングが特徴である。白帯が広いものと白帯が細いものがある。JR側の車両に向けて「羽田は京急で」と挑発的な広告が大量に書かれているが「品川横浜15分」などと書かれていたこともある。沿線住民によると台風や大雪でも止まらず、労働条件も良く長年ストライキがないと言われている。
土地柄[編集]
鉄道ファンと一般人(非鉄)では、まったく人気は異なり、京急沿線民の一般人の中には「工場・ギャンブル・薄暗い・在日外国人・貧乏」というイメージを持つ者もおり、敬遠されることも少なくはない。ただし、工場があることは通勤に便利であり、ギャンブルをするところは都市部である以上鉄道輸送が欠かせず、薄暗いのは照明の節約でエコであり、しかも「明」が豊臣秀吉の金の茶室であるならば「暗」は粗末な千利休茶室、日本独特の趣があるといえば聞こえが良い、在日外国人は日本を守る在日米軍(鶴見川崎周辺は在日朝鮮人の方たち)であり、貧乏は日本の社会問題で京急に責任はない。一方で、この独特で個性的な雰囲気が様々な特徴を作り出しており鉄道ファンに人気の要因になっている[1]。
転換クロスシート[編集]
東京近辺では、転換クロスシートで高速運転する料金不要車自体が珍しく、それも人気の理由となっている。しかし、京阪神近辺では珍しいものではなく、転換クロスシート車間での競争が激しいため、京急は立地で得をしているとも言える。
幻の京急直営カジノ計画[編集]
2014年、赤字廃業となったギャンブル場の跡地を、京急直営のカジノ場にするべく計画されていたが、住民からの反対が根強く、2021年に横浜市の林前市長が落選したことで、野党共闘でカジノ反対を公約にした市長となりカジノ計画は即日で撤廃された[2][3]
旧村上ファンド株騒動[編集]
2024年11月急遽浮上した旧村上ファンドの京急と京成の株買い集めで、京急が旧村上ファンドを警戒しているという。旧村上ファンドといえば阪急と阪神の統合で大騒動を巻き起こしたことがあり今後注目の話題である[4]。今後、京急と京成が統合された場合、どちらの社名が手前になるのであろうか。
沿革[編集]
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- 1897年(明治30年)6月29日、大師電気鉄道の創立事務所を東京市京橋区紺屋町に設置
- 1898年(明治31年)2月25日、大師電気鉄道を設立(資本金9万8000円)。立川勇次郎が専務取締役(代表)に就任。本社事務所を京橋区南鍋町1丁目5番地に置く。
- 1899年(明治32年)1月21日、六郷橋駅~大師駅間(約2km)が開通(日本初の1435mmの軌間を採用)
- 1899年(明治32年)4月25日、大師電気鉄道を京浜電気鉄道に変更。
- 1899年(明治32年)11月29日、川崎(六郷橋)~大師間の複線運転開始
- 1901年(明治34年)2月1日、品川延長線の六郷橋~大森停車場前間の営業を開始
- 1902年(明治35年)9月1日、神奈川延長線第1期工事が竣工、六郷橋~川崎停留場間が開通
- 1903年(明治36年)8月22日、東京電車鉄道が新橋~品川間運転開始
- 1904年(明治37年)3月1日、軌間変更工事竣工(1435mmを1372mm)
- 1904年(明治37年)5月8日、品川延長線品川鉄橋(八ツ山~大森海岸間の開通で、品川~川崎間が全通、八幡(大森海岸)~学校裏間の複線新設専用軌道が開通
- 1905年(明治38年)12月24日、川崎~神奈川間の開通により品川(八ッ山橋)~神奈川間が全通
- 1908年(明治39年)8月、品川~大森海岸間の複線化工事が竣工
- 1908年(明治39年)10月1日、学校裏~梅屋敷間および雑色~川崎間の新設複線専用軌道が開通(六郷川架橋)
- 1909年(明治42年)3月24日、六郷川鉄橋建設工事に着手
- 1910年(明治43年)3月31日、蒲田~穴守(初代)間の複線化工事が竣工
- 1911年(明治44年)4月1日、六郷川鉄橋が開通
- 1923年(大正12年)4月1日、梅屋敷~雑色間の新設複線専用軌道が開通
- 1925年(大正14年)3月11日、品川鉄橋(八ツ山橋)~高輪間が開通し、路線が東京市内に入る(高輪停留場を開業)
- 1926年12月、六郷橋~京浜川崎間の新設複線専用軌道が開通
- 1928年(昭和3年)12月28日、六郷橋~川崎大師間の新設複線専用軌道が開通
- 1929年(昭和4年)6月22日、神奈川~横浜(仮)駅(月見橋)間が開通(横浜駅で省線と連絡)
- 1930年(昭和5年)2月5日、横浜(仮)駅(月見橋)~横浜(新)駅間が開通
- 1931年(昭和6年)1月1日、高輪~蒲田間で急行の運転を開始
- 1931年(昭和6年)12月26日、黄金町~横浜間の開通により湘南電気鉄道と連絡完成。横浜~浦賀間の直通運転開始
- 1932年(昭和7年)10月1日、横浜市との契約により生麦~横浜駅前間を延長し、品川~横浜間の運行開始
- 1933年(昭和8年)4月1日、省線品川駅へ乗入開始、八ッ山~高輪間の軌道を廃止
- 1933年(昭和8年)4月1日、品川~横浜間の軌間再変更工事が竣工(1372mmを1435mmへ)、品川~浦賀間の直通運転を開始
- 1936年(昭和11年)12月25日、品川駅~上大岡駅間の急行運転開始
- 1941年(昭和16年)11月1日、京浜電気鉄道(株)、湘南電気鉄道(株)、湘南半島自動車(株)3社合併、社名を京浜電気鉄道(株)とする。
- 1942年(昭和17年)5月1日、京浜電気鉄道(株)、東京横浜電鉄(株)、小田急電鉄(株)3社合併、社名を東京急行電鉄(株)とする(局制を敷き、品川・渋谷・新宿の3営業局を設置)
- 1942年(昭和17年)12月1日、横須賀堀ノ内~久里浜(仮駅)間開通
- 1944年(昭和19年)10月1日、産業道路駅~入江崎駅間開通
- 1945年(昭和20年)1月7日、入江崎~桜本間開通
- 1948年(昭和23年)6月1日、京浜急行電鉄(株)発足。本社を東京都港区芝高輪南町17番地に置く
- 1948年(昭和23年)7月3日、逗子線、湘南逗子~逗子海岸間開通、7月15日、品川~浦賀間の直通運転再開
- 1948年(昭和23年)8月、逗子線、金沢八景~神武寺間の複線復旧工事竣工、9月6日、横浜~逗子海岸間の直通運転開始
- 1949年(昭和24年7月10日、品川~逗子海岸間の直通運転(夏季)開始
- 1952年(昭和27年)1月1日、大師線、塩浜~桜本間を川崎市へ譲渡
- 1952年(昭和27年)7月6日、品川~逗子海岸間で特急の直通運転開始
- 1954年(昭和29年)6月15日、久里浜線の横須賀堀ノ内~湘南井田間の複線工事竣工
- 1956年(昭和31年)3月24日、品川~横浜間の全踏切道で急緩行列車選別装置の使用開始
- 1958年(昭和33年)6月、湘南逗子~逗子海岸間の複線化工事竣工
- 1959年(昭和34年)3月15日、久里浜線の湘南井田~湘南久里浜間の複線運転開始
- 1963年(昭和38年)1月25日、都心乗入線品川~泉岳寺間の第1期建設工事着手
- 1963年(昭和38年)11月1日、京浜久里浜~野比間開通
- 1964年(昭和39年)3月25日、大師線の小島新田~塩浜間営業休止
- 1966年(昭和41年)3月27日、野比~津久井浜間開通
- 1966年(昭和41年)7月7日、津久井浜~三浦海岸間開通・特急を終日10分間隔で運転開始
- 1968年(昭和43年)6月21日、都心乗り入れ、品川~泉岳寺間開通
- 1970年(昭和45年)11月20日、休止中の大師線、小島新田~塩浜間廃止
- 1970年(昭和45年)12月1日、鈴ヶ森~平和島間の全線高架化線開通(上り線1月20日開通)
- 1971年(昭和46年)1月24日、休止中の空港線、羽田空港~穴守間廃止
- 1975年(昭和50年)4月26日、三浦海岸~三崎口間開通
- 1976年(昭和51年)10月15日、北品川~青物横丁間の高架化工事完成。
- 1987年(昭和62年)6月1日、京浜○○の駅名を一斉に京急○○の駅名に改称[注 2]。
- 1988年(昭和63年)7月26日、車両がすべて冷房車になる。
- 1993年(平成5年)4月1日、穴守稲荷〜羽田(現天空橋)間開業
- 1995年(平成7年)2月21日、品川〜横浜間で120kmに引き上げ。11月18日、空港線の天空橋〜羽田空港開業。
- 2005年(平成17年)10月7日、三崎口〜油壺の免許廃止。
- 2010年(平成22年)5月16日、平和島〜六郷土手間、京急蒲田〜大鳥居間の上り線高架化。
- 2012年(平成24年)10月21日、平和島〜六郷土手間、京急蒲田〜大鳥居間の下り線高架化。
- 2019年(令和元年)3月3日、東門前〜小島新田間地下化。
- 2020年(令和2年)3月14日)、産業道路、花月園前、仲木戸、新逗子、羽田空港国際線ターミナル、羽田空港国内線ターミナル改名
- 2022年(令和4年)11月26日、特急と快特の交互10分間隔化などの、23年ぶりの大規模なダイヤ改正
- 2023年(令和5年)11月25日、「エアポート急行」の名称を「急行」に変更予定。
現行の車両[編集]
- 1500形(1985 - )4両編成2本、6両編成15本、8両編成6本が在籍。
- 600形(1995 - )… 4両編成6本、8両編成6本が在籍。
- 2100形(1998 - )… 主に快特とウイング号に使用。8両編成10本が在籍。泉岳寺駅より先の都営浅草線方面には直通が無い(直通し営業運転した事があるが出発信号が見ずらい事から基本入れない)。
- 新1000形(2002 - )20年以上に亘り製造されている車両。2024年現在も製造されている。
過去の車両[編集]
- 2000形(1981 - 2018)
- 800形(1978 - 2019)
- 旧1000形(1959 - 2010)
- 700形(1967 - 2005)
- 600形(1956 - 1986)
- 500形(1951 - 1986)
- 400形(1942? - 1986)
- 230形(1929 - 1978)
- 140形(1924 - 1965)
- 120形(1922 - 1958)
- 29号形(1913 - 1947)
- 26号形(1911 - 1942)
- 1号形(1901 - 1925)
- 4輪単車(1899 - 1926?)
乗り入れ列車[編集]
- 都営5500形(2018 - )
- 京成3700形(1991 - )
- 京成3400形(1993 - )(まもなく引退)
- 京成3000形(2003 - )
- 京成3050形(2010 - )
- 京成3100形(2019 - )
- 北総7300形(1991 - )
- 北総7500形(2006 - )
- 北総9100形(1994 - )
- 北総9200形(2013 - )
- 北総9800形(2017 - )
過去の乗り入れ車両[編集]
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- 都営5300形(1991 - 2023)
- 都営5000形(1981 - 1995)
- 都営5200形(1981 - 1999)
- 京成3500形(1981 - 2016)
- 京成3600形(1987 - 2020)
路線[編集]
基本事項[編集]
- 社名:京浜急行電鉄株式会社
- 創立:1898年(明治31年)2月25日 (前身:大師電気鉄道株式会社)
- 設立:1948年(昭和23年)年6月1日
- 本社所在地:〒220-8625 神奈川県横浜市西区高島1-2-8
- 資本金:437億円
- 従業員:2,858人
- 主な事業内容:交通事業、不動産事業、レジャー・サービス事業、流通事業、その他事業
脚注[編集]
- 注
- 出典
日本の主な鉄道事業者 |
パスネット(廃止) |