1981年
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1981年(せんきゅうはちじゅういちねん)は、1900年代の81年目のことであり、日本の元号では昭和56年である。日本の天皇は昭和天皇であり、首相は鈴木善幸である。
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出来事[編集]
1月[編集]
3月[編集]
- 3月5日 - 自民党が衆議院予算委員会で56年度予算案を29年ぶりに単独で強行可決する。
- 3月16日 - 土光敏夫を会長とした第2次臨時行政調査会が初会合する。
- 3月20日 - 神戸ポートアイランド博覧会が開幕する。
- 3月31日 - ピンクレディーが解散する。
4月[編集]
5月[編集]
- 5月4日 - 鈴木善幸首相が訪米する。
- 5月7日 - 鈴木善幸首相がレーガン大統領と会談する。
- 5月12日 - 鈴木善幸首相が日米共同声明の作成過程に不満を表明する。
- 5月16日 - 伊東正義外務大臣と鈴木善幸首相が日米同盟の見解不一致問題で対立し、伊東正義が外務大臣を辞任する。後任に厚生大臣の園田直が就任する。
- 5月17日 - ライシャワー元駐日大使が核積載米艦船、航空機の日本領海、領空の通過や寄港は核の持ち込みとは別問題で日本の政策に反しないと発言する。
- 5月29日 - 元大関貴ノ花が断髪式を行なう。
6月[編集]
- 6月5日 - 衆議院外務委員会で非核三原則を国是と決定する。
- 6月9日 - 鈴木善幸首相が西欧6カ国歴訪に出発する。
- 6月20日 - 園田直外務大臣がマニラで日米共同声明の拘束力否定の談話を行なう。
- 6月28日 - 希望のマラソンで知られるカナダの義足ランナーのテリー・フォックスが癌のため死去(22歳)。
7月[編集]
- 7月10日 - 臨時行政調査会が第1次答申を行なう。
- 7月18日 - オタワ・サミットが開催される。
- 7月21日 - 千代の富士が第58代横綱に昇進する。
- 7月29日 - イギリスのチャールズ皇太子が伯爵3女のダイアナ妃と結婚する。
8月[編集]
9月[編集]
10月[編集]
- 10月1日 - 従前の当用漢字に替え、常用漢字を制定。
- 10月6日 - エジプト大統領のサダトが暗殺される。
- 10月19日 - 京都大学教授の福井謙一がフロンティア軌道理論に関する業績でノーベル化学賞を受賞する。
- 10月22日 - 鈴木善幸首相がメキシコで開催される初の南北サミットに出席する。
- 10月28日 - ロッキード裁判で榎本敏夫の前夫人である榎本三恵子が爆弾発言を行ない、ハチの一刺しは流行語になる。
- 10月29日 - 自民党安保、防衛関係会議で園田直外務大臣に対する批判が出る。衆議院で行政改革関連特例法案が可決される。
11月[編集]
12月[編集]
- 12月4日 - 行政改革関連特例法案が公布される。