寝台列車

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寝台列車は、寝台車を主体とした夜行列車

概要[編集]

国鉄時代は、特急急行を問わず、二等(1961年までは三等)が全て寝台車である[注 1]列車を(寝台列車)と注記していたが、まず特急から星を形取ったマークのみの表示となり、急行もやがて特急の白黒を反転したマークのみとなって注記は書かれなくなった。普通列車の寝台列車は存在しなかった。

20系など固定客車編成のものは、ブルートレインと呼ばれた。

昨今の状況[編集]

1958年に固定客車編成が登場して以来、寝台列車は商用客を主なターゲットとしてきたが、1970年代の国鉄運賃大幅値上げで飛行機の航空運賃との差が縮まり、さらに価格競争激化と機材の大型化、新幹線の速度向上[注 2]により利用客が減少した。また、寝台料金の高さから貨客船への転移、高速バスの増発とともに、急速に数を減らした。
一方で、ヨーロッパでは復調の兆しがあるが、日本は、国土が細長い故に、路線を設定して優位に立てる区間が限られており、電話会議が普及すると宿泊を伴う出張を嫌う傾向が企業に出たこと、車内の居住性が悪いこと、海外車両メーカーに対し閉鎖的に扱う体質だったため、寝台車を競争原理で安価に導入するのが難しかったり、乗務員等の経費も要するため、乗車率が高くても利益が出にくかった。そのため衰退の一途をたどり、急行銀河の様な乗車率の高い列車も廃止となった。

主な寝台列車[編集]

現存[編集]

廃止済み[編集]

ヒルネ[編集]

ヒルネを採用した寝台特急あけぼの。

寝台列車のうち寝台特急は概して長距離を運行したため、6時30分〜18時の時間帯に編成の一部でリネンを収納して、座席開放して、寝台券無しで乗車可能にした。鉄道ファンや鉄道ライターはこれをヒルネと称した。
なお、「あけぼの」の青森と秋田間のように、少ない昼行特急の本数を補うため、夜間にヒルネ扱いをした列車もあった。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. 一等車(1961年までは二等)が全車座席車の列車も含まれた。なお、ヒルネ(特定号車の開放式寝台車の座席利用)区間の有無は問わなかった。
  2. 例えば、博多行最終は、山陽新幹線博多開業時は東京発17時台だったが、2022年現在は東京発18時51分で、かつての「あさかぜ」の東京発の時刻より遅い時刻である。