京都市

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京都市(きょうとし)とは、京都府中部〜中南部にかけての範囲にあるのことである。京都府の府庁所在地であり政令指定都市である。京都府の人口の過半数を占める一極集中型の都市でもある。

概要[編集]

京都府の南部、京都盆地に位置する府庁所在地である。近畿地方の中北部に位置する。市街地は京都盆地の北部に位置するが、市域は盆地周辺の北山区・東山区・西山区・山科盆地を含む南北に細長い広大な地域を占めている。

京都盆地は日本の都がおかれていた場所で、多くの寺社がある。日本が世界に誇る観光都市で、文化財・国宝は山のようにあり、書き出したらきりが無い。そのため、東西の両本願寺金閣寺清水寺銀閣寺南禅寺竜安寺北野天満宮八坂神社知恩院など由緒ある社寺が非常に多く、神社はおよそ260社、寺院はおよそ1600余りを数え、これらの中には国宝重要文化財も多く、日本全国で見てもその件数は20パーセント近くが京都に存在することになる。これらの文化財や長い歴史の中から生まれた年中行事や風俗、味覚、さらに嵯峨野や高雄、東山の景観など、京都市は日本が誇る随一の文化観光都市として世界にも名高い。もっとも、1000年にわたり王城の歴史と伝統を持ち、有名な古寺や文化財が多いため、現在でも貞観11年(869年)から始まった祇園祭欽明天皇の時代から始まったとされる葵祭など長い伝統を持つ祭りも数多く存在する。西陣織友禅染清水焼京扇子京人形に仏具など長い歴史を持つ有名な伝統工業や工芸品も多い。

古くから、畿内の一国で、山城国(雍州)の北半に位置する。また、1,000年以上の間日本の首都で有り、明治東京奠都までと言えば、山城国のこの地を指した。

中京区・上京区・下京区は京都の中心街としてビジネス街を形成し、左京区・右京区・北区・伏見区・山科区は住宅地を形成している。南区から西京区にかけては阪神工業地帯に近接する関係から工業地区が形成され、北区・左京区の北部は広大な山地がある関係から農林業が行なわれている地域となっている。

このように文化観光都市として発展した京都市には新幹線東海道本線山陰本線奈良線近鉄などの私鉄網が張り巡らされ、さらに国道1号線名神高速道路などの交通にも恵まれている。国内外から訪れる観光客も年間3000万人以上を数える日本随一の文化観光都市である。高速道路は、京都市の南〜東端に位置する。

歴史[編集]

この京都市は古墳時代などに中国大陸からの渡来人として有名な秦氏鴨氏出雲氏などが居住していた。そのため、広隆寺や松尾大社が秦氏により、賀茂神社が鴨氏により、出雲高野神社が出雲氏により既に創建されていた。

本格的に都市機能をもって繫栄しだしたのは延暦13年(794年)、桓武天皇により平安京遷都が行なわれてからである。この時、平安京は中国の都を模して造営され、東西に約4.5キロ、南北に約5.3キロに及ぶ規模の都市が築かれ、中央の北に天皇の御所である大内裏が置かれ、さらに朱雀大路(千本通付近)を中心に左右両京に分かれて碁盤目状の縦横の街路をもった政治都市として発展を遂げてゆき、明治時代を迎えるまでの1000年余りの間、日本の首都・王城の都として君臨した。
794年に奈良から京都に遷都したので、「鳴くよ(794)うぐいす平安京」という語呂合わせで暗記が容易であり、滅多なことでは「平安京遷都は何年か?」という問題は試験に出ない。出たとしたらボーナス問題である。

ただし平安時代末期に平氏政権ができたのをきっかけに政権が貴族から武士へと移り、鎌倉幕府が創設された後は完全に貴族は政権を失ってこれにより京都も政治都市としての機能を半ば失うことになる。室町幕府は本拠を京都に置いたため、京都が再度政治都市となるが、応仁の乱により京都は荒廃して天皇の葬儀すらままならない状況になり、室町幕府は事実上山城国の局地政権化して、統治機能を失ってしまった。

この荒廃した京都を復興させたのが織田政権を築いた織田信長と、その配下から信長没後に台頭した豊臣秀吉による豊臣政権である。特に秀吉は関白別邸の聚楽第を設け、京都の市街地を整備し、御土居と称する土塁が市街地の四周に張り巡らされ、伏見城も築城されてこれは同時に京都の市域を南部に拡大することにつながった。

秀吉没後に成立した江戸幕府は天皇からの大政委任の名目で、政権は江戸に移ったので京都は再び政治都市としての機能を失う。一方で、江戸幕府は禁中並公家諸法度で天皇・貴族に学問を奨励し、政治関与を禁じたので、京都は学問・美術・工芸・宗教が発展してゆく文化都市へと変貌を遂げた。江戸時代に京都は江戸大坂と並んで三都に数えられ、人口も60万人を数える大都市となる。幕末文久の改革以降になると、朝廷と幕府の関係が逆転。将軍後見職徳川慶喜が京常住となり、尊皇倒幕の志士も集まって、大政奉還まで、短期間ながら京都は再び政治都市の機能を戻した。

江戸幕府が滅亡し、明治元年(1868年)に東京奠都が行なわれる。これにより、名目的にとはいえ1000年余り続いた京都の政治都市としての機能は完全に停止し、京都の衰退が始まった。これを明治政府は明治4年(1871年)に出した勧業場開設をはじめとする新産業計画によって食い止め、日本の都市近代化の最先端を切らすことで寂れないように手を打った。ちなみに小学校中学校女学校水力発電所路面電車図書館などは、全て京都が日本の最初の創始となっている。特に日本最初の小学校である柳池小学校は明治2年(1869年)5月21日に開設されているから、学制ができる3年前に開校したことになる。日本最初の中学校は明治3年(1870年)12月開校の京都府中学校で、水力発電所は明治22年(1889年)創設の蹴上発電所、路面電車は明治28年(1895年1月31日の七条停車場から伏見油掛までの6キロである。加えて、1897年国内2番目の総合大学として京都帝国大学が開学した。

ちなみに、新天皇即位式などで名目的に残った「首都」状態は、平成の即位式の東京実施で完全に喪失した。

市域の変遷[編集]

明治22年(1889年)に上京区・下京区の2区をもって市制施行される。昭和4年(1929年)に左京区・中京区・東山区が新設され、昭和6年(1931年)には右京区・伏見区が新設された。

昭和23年(1948年)に葛野郡中川村・小野郷村などを上京区に編入し、昭和24年(1949年)に北部の愛宕郡岩倉村・八瀬村・大原村・静市野村・鞍馬村・花脊村・久多村を左京区に編入する。昭和25年(1950年)に乙訓郡大枝村を右京区に、乙訓郡久我村や羽束師村を伏見区に編入する。昭和30年(1955年)に上京区から北区、下京区から南区が独立し、昭和32年(1957年)に久世郡淀町を伏見区に、北桑田郡京北町広河原を左京区に編入し、昭和34年(1959年)に乙訓郡久世村を南区に、乙訓郡大原野村を右京区に編入した。昭和51年(1976年10月に東山区から山科区が、右京区から西京区が分立して京都市を構成する京都11区が完成した。

2005年には、京北町全域を右京区に編入。従って、現市域の北部では、旧丹波国域の一部が含まれている。

地理[編集]

行政区[編集]

京都市は11の行政区によって構成される。

交通[編集]

鉄道[編集]

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