東京国際空港
東京国際空港(とうきょうこくさいくうこう、英:Tokyo International Airport)は東京都大田区の多摩川(六郷川)河口にある国際空港である。通称は羽田空港(Haneda Airport)。総面積 12.71km2[1]。日本で最も広い空港である。2017年(平成29年)の乗降客数は世界第4位の約8541万人を誇る。3レターコードはHND。
概要[編集]
首都圏の玄関口で日本最大の空港である。
国内線・国際線が発着するが国内線の利用客が多く、国際線ターミナルは閑散としている[2]。天候により羽田と成田で到着地が変更される場合がある。
アクセス[編集]
鉄道[編集]
- 都心からは最低1回、多摩地域などからは最低2回から3回乗り換えがあるが、東京モノレールしか直行手段がなかった時代と比べて選択肢は格段に増えている。
- なお、JR羽田空港アクセス線が開業すると乗り継ぎなしまたは1回の乗り換えで利便性が向上する。
空港連絡バス[編集]
歴史[編集]
前史[編集]
- 1917年(大正6年)1月4日、日本飛行学校(玉井清太郎、相場有の共同経営)が羽田穴守で開校した。場所は現在の東京国際空港の有料駐車場内の赤い鳥居の付近であり、古寺のような建物だったとされる。玉井清太郎は玉井式2号機で操縦を教えていた[3]。萬朝報の1917年(大正6年)2月13日記事に、「民間飛行家・玉井清太郎氏を指南役とし我が邦最初の飛行学校なるものが府下羽田町に設立され、既に去月から十名の生徒が練習に力めている。主事相場有氏曰はく去月四日開校し練習性も最早単独に直線飛行が出来る程度まで進歩しました」と語ったという。
- 1917年(大正6年)5月4日、玉井式3号機が完成し、第1回目の試験飛行が成功する。同年5月20日、日本飛行学校の玉井清太郎は第3回目の飛行で『東京日日』のカメラマン湯川を乗せたまま東京芝浦で墜死する。
- 1923年(大正12年)11月末、玉井藤一郎改め照高は、日本飛行学校を羽田から神奈川県鶴見町に移転した。
飛行場開設[編集]
- 1921年(大正10年)2月8日、日本飛行倶楽部は「中央飛行場設置に関する請願書」を帝国議会に提出した。
- 1930年(昭和5年)1月、逓信省航空局は東京府荏原郡羽田町大字鈴木新田の埋め立て地15万8千坪(約48ha)を飛行場用地として飛鳥文吉から購入した[4]。工事に着手したのは同年2月からである。羽田を選定した理由は、(1)京浜間の中間にあり京浜国道との連絡がよい。(2)都心から30分ほどの距離にある。(3)海に面しているので水陸両用の飛行場として利用することができる、の3点であった[3]。
- 1931年(昭和6年)8月25日、逓信省航空局は東京府江原郡羽田町の埋立地に、53haの民間航空機専用の「東京飛行場」を立川から移転開設した。滑走路は延長300m、幅15mの1本のみ[3]。滑走路以外は円形の待合室、格納庫2棟のみ。正式名は東京飛行場であった。移転前の立川飛行場の告示に正式名称が規定されている。日本初の国営民間専用空港である。
逓信省告示第九百七十八号 本日より左記飛行場を設置する。 昭和4年4月1日 東京飛行場 一、設置の目的 公共用 一、経営者ノ氏名又ハ名称及住所 国 一、用地所有者ノ氏名又ハ名称及住所 国 一、所在地名 東京府北多摩郡立川町字古新田 一、陸上、水上又ハ水陸両用飛行場ノ別 陸上飛行場
羽田に移転時の逓信省告示は次の通り。
逓信省告示第千七百十一号 昭和六年八月二十五日より左記飛行場を移転ス。 名称 現在位置 移転位置 東京飛行場 東京府北多摩郡立川町 東京府荏原郡羽田町
- 1931年9月25日、初の税関設置飛行場に指定される。
- 1939年、東京飛行場は約72haに拡張され、滑走路は延長800m、幅80mが2本となった。
- 53万平方メートルの敷地は狭隘なものとなり、1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)にかけて、73万平方メートルに拡張され、延長300m、幅15mの1本滑走路1本から、延長800メートル、幅30メートルの2本滑走路となった[3]。
米軍に接収[編集]
- 1945年9月13日、連合国総司令部(GHQ)は、20~30名の自動小銃を携えた米軍兵士がジープで東京飛行場に乗り付け、羽田空港を接収した。そのとき同時に名称を「Haneda (Army) Air Base」に変更した。一部住民の立ち退きが命じられ、1200世帯3000人に48時間以内に空港島から立ち退くよう緊急命令が出された。同年11月、米軍第808飛行場建設部隊は飛行場の拡張工事を開始した。面積を従来の3.5倍の260万平方メートルにする計画であった。
- 1946年6月、第1期拡張工事が完了し、敷地は約257.4h(78万7000坪)となり、滑走路はA滑走路2100m×45m、B滑走路1100m×45mのアスファルト舗装となった。そのほかエプロン、駐機場、管制塔、事務所、宿舎などが整備された。
米軍より返還[編集]
- 1952年(昭和27年)7月1日、空港施設の一部が返還され、名称は「東京国際空港」となる。当日午後の返還式にロバート・マーフィ米国大使、サムエル・ブレンノール少将(米極東空軍副司令官)、アウブレー・ムーア准将(第1503空軍入総部隊司令官)、日本側から村上義一運輸大臣、安井誠一郎都知事、大場哲夫航空庁長官が出席した。名称変更は運輸省告示により、次の通りなされた。
運輸省告示第二百九十九号 航空法(昭和27年法律第二百三十一号)附則第十項の規定により現に存する飛行場に関し次のように告示する。 昭和二十七年九月二十九日 一、名称 東京国際空港 三、設置の目的 公共用 六、飛行場の施設の概要 イ 主滑走路 長さ 二千百三十三メートル ロ 副滑走路 長さ 千六百七十六メートル
- 1955年(昭和30年)5月17日、東京国際空港ターミナルビルが開館、供用開始。同年9月2日、A滑走路とB滑走路は共にアスファルト舗装で、ジェット機が離陸するとアスファルトが溶けるとともに、国際的にはC級の短いものであるため、A滑走路を2550メートルに延長し、飛行機が設置離陸する個所をコンクリートで固める工事を行った。
- 1958年(昭和33年)6月30日、「東京国際空港」は全面返還された。
- 1961年(昭和36年)、A滑走路を3000メートルに延長した。
- 1962年(昭和37年)8月、国産旅客機YS-11が初飛行。
- 1964年(昭和39年)4月21日、ジェット機用C滑走路3150メートルを整備し、供用開始した。滑走路は3本となる。
- 1964年(昭和39年)9月、浜松町-羽田(現天空橋)間の東京モノレールが開通し、空港のアクセスとなる。
- 1966年(昭和41年)2月4日、札幌発東京行の全日空ボーイングB727型機が東京湾に墜落。乗員乗客133名全員が死亡した。同年3月4日、カナダ太平洋空港DC-8型機が着陸に失敗し、炎上。乗員乗客64名が死亡、8名が重軽傷を負った。
- 1969年(昭和44年)2月、ジャンボ機(B-747型機)が初飛行。
- 1970年(昭和45年)6月、羽田空港 新国際線到着ターミナルが供用開始。
- 1971年(昭和46年)、B滑走路を1570メートルから東京湾を埋め立て、2500メートルに延長した。
- 1978年(昭和53年)5月、羽田空港 国際線航空会社(チャイナエアラインを除く)が成田へ移転。羽田は国際空港から国内空港となる。7月羽田空港 国内線転用工事竣工。
沖合展開[編集]
- 1984年、沖合展開工事を開始する。
- 1988年7月、新A滑走路(3000m)の供用開始。
- 1993年9月、新旅客ターミナル(ビックバード)が完成する。京浜急行第一期空港線延長工事が完了し、京急蒲田から羽田(現・天空橋駅)まで開通。
- 1997年3月、新C滑走路(3000m)供用開始。10月、羽田空港 ボーディングステーション供用開始。
- 1998年11月、京急空港線が延伸され、第1旅客ターミナルに直接乗り入れ開始。
- 2000年3月、新B滑走路(2500m)が供用開始。
- 2003年11月、羽田とソウル(金浦)を結ぶ国際旅客チャーター便運航開始。
- 2004年12月、第2旅客ターミナル完成。
- 2007年9月、羽田と上海(虹橋)を結ぶ国際旅客チャーター便運航開始。
- 2010年10月、D滑走路(2500m)と国際線ターミナルの供用を開始。国際空港機能が復活する。国際線ターミナル開業に伴い、天空橋-羽田空港間に羽田空港国際線ターミナル駅が完成し、羽田空港駅は羽田空港国内線ターミナル駅に改称する。
- 2011年(平成23年)11月、羽田第1旅客ターミナル出発エリア・屋上エリアリニューアル。
- 2013年(平成25年)4月、羽田第2旅客ターミナル南ピア3スポット増設。
- 2024年1月2日 日本航空516便衝突炎上事故が発生。
施設概要[編集]
- 名称:東京国際空港
- 所在地:〒144-0041 東京都大田区羽田空港
- 種別:国管理空港[5]
- 設置管理者:国土交通大臣
- 標高:6.4m
- 面積:1,516ha
- 滑走路(長さ×幅)
- A滑走路: 3,000m×60m
- B滑走路: 2,500m×60m
- C滑走路: 3,360m×60m
- D滑走路: 2,500m×60m
- エプロン(バース数):大型ジェット用174、中
- 無線施設:ILS、ASR、ASDE、VOR/DMEなど
- 運用時間:24時間
羽田再拡張事業[編集]
新滑走路建設工事は、羽田空港の南側沖合の海上に、長さ 2,500m の滑走路を新たに建設し、現空港との連絡誘導路の建設、進入灯橋梁の建設、東京港第一航路の移設等の工事を行う。新滑走路の建設工法は新設滑走路を埋立部と桟橋部から構成し、連絡誘導路は桟橋と橋梁とで構成する[6][7]。
5本目滑走路[編集]
東京国際空港の拡張として5本目のE滑走路新設計画が「首都圏空港機能強化技術検討小委員会」検討されてきたが、工費が高いため検討は進んでいない[8][9]。
東京都の有識者会議「東京と日本の成長を考える検討会」は平成30年10月、「東京と日本の成長を考える検討会報告書」を取りまとめ、国際線の増設や新滑走路増設などにより空港容量を拡大していく必要があると提言した[10]。
定時運航ランキング[編集]
定時運航ランキングのメガ空港部門で2018年、4年連続トップになっている。定時運航とは定刻15分以内に離着陸することをいう[11]。
「2018年定時運航率ランキング」メガ空港部門の上位(トップ5)は次の通り。
- 羽田空港 日本 85.6
- アトランタ 米国 82.2
- シンガポール シンガポール 80.7
- デンバー 米国 80.7
- ロスアンジェルス 米国 80.0
周辺[編集]
- 羽田空港にほど近い人工島、城南島に位置する公園。オートキャンプ・バーベキュースペースなどを備える公園であり、羽田空港に離着陸する飛行機が真上を飛ぶ絶好の撮影スポットとしても有名。
- 真上を飛ぶのは滑走路22への着陸進入機と、34Rからの離陸機。上空を旋回しながら向かってきて、滑走路へと進んでいく様子は圧巻。
- アクセスは基本的に自動車などになる(最寄り駅の流通センター駅からは徒歩1時間弱かかる)。駐車場あり。夜22時から翌6時までは城南島内の道路が関係車両以外通行禁止となるため、立ち入れない。公共交通機関でのアクセスでは京浜島つばさ公園が便利。
- 京浜島つばさ公園
- 羽田空港にほど近い人工島、京浜島に位置する公園。羽田空港に離着陸する飛行機を望む撮影スポットとしても有名。滑走路22への着陸進入機と、34Rからの離陸機が良く見られる。
- アクセスは自動車またはバスがある。バスでは大森駅・昭和島駅などから京浜急行バス「森24:京浜島循環」「森36:京浜島・昭和島循環」「森45:京浜島・昭和島循環」系統の「京浜島海上公園」バス停すぐ。駐車場あり。徒歩では東京モノレール昭和島駅から30分~45分程度。
- 整備場駅
- 東京モノレール羽田空港線の駅。天空橋駅とともに旧整備場地区へのアクセスに便利。ビジネスジェットや海上保安庁所属機が駐機するNスポットに近く、撮影も可能。
- その他、整備等関連会社やケータリング会社が存在する。
- 羽田空港の鳥居
- 羽田空港の敷地内にある鳥居である。かつての旧ターミナル駐車場から現在地に移転。天空橋駅下車徒歩5分。
就航都市[編集]
日本国内[編集]
日本国外[編集]
- アジア
- 北米
- JFK
- ニューヨーク
- ダレス
- サンフランシスコ
- シカゴ
- ロサンゼルス
- シアトル
- アトランタ
- ダラス
- ミネアポリス
- ヒューストン
- デトロイド
- コナ
- ホノルル
- バンクーバー
- ピアソン
- 欧州・中東
- ヒースロー(ロンドン)
- シャルルドゴール(パリ)
- フランクフルト
- ミュンヘン
- フィウミチーノ
- シェレメーチエヴォ
- ウイーン
- イスタンブール
- ヘルシンキ
- コペンハーゲン
- ドバイ
- ハマド
- オーストラリア
- ケアンズ
- シドニー
かつてあった国際線[編集]
- 北朝鮮
- 平壌
公式サイト[編集]
羽田空港ポータルサイト[編集]
羽田空港ビルディング[編集]
https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/
参考文献[編集]
- ↑ 秋本俊二(2017)『羽田空港のひみつ』PHP研究所、ISBN-10: 456983275X
- ↑ 羽田空港国際線ターミナルの閑散としたチェックインカウンターフロア
- ↑ a b c d 平木国夫(1983)『羽田空港の歴史』朝日新聞社出版局、ISBN-10: 4022593342
- ↑ 衣本啓介(2010)『羽田空港の歴史』地図、4804
- ↑ 東京国際(羽田)空港東京航空局
- ↑ 羽田空港再拡張事業の概要・経緯について関東地方整備局
- ↑ 東京国際空港(羽田)の整備
- ↑ 羽田空港第五滑走路増設に関する研究報告
- ↑ E滑走路南に人工地盤で用地確保を
- ↑ 東京と日本の成長を考える検討会報告書東京と日本の成長を考える検討会、2018年10月
- ↑ On-time performancefor airlines and airports