かすが (列車)

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かすが
Kasuga
種別急行
運行事業者東海旅客鉄道
走行路線関西本線
起点駅名古屋駅
終着駅奈良駅
両数2両
運行開始年1966年
廃止年2006年

かすがとは、名古屋 - 奈良間を関西本線経由で運行していたJR東海急行列車である。

概要[編集]

草創期[編集]

1930年に当時の国有鉄道が大阪電気軌道・参宮急行電鉄(後の近畿日本鉄道)に対抗して設定した快速列車にルーツを持つ急行列車。戦時中の運行中断を経て1949年に準急列車として復活。1966年に急行へと昇格した。

運転開始当初、東海道本線の名阪間は山陽直通客車列車の運行もあって逼迫し、加えて名古屋 - 湊町間で東海道本線と比較して関西本線経由の方が距離が短く、近鉄も途中で乗り換えが必要という事情もあって、キハ55などの新製気動車が優先投入され、名阪間の速達需要を担っていた。しかし東海道本線の電化で遠回りでも高速化で所要時間が短くなり運用効率も向上した上、近鉄も新車投入や伊勢湾台風からの復旧後に名古屋線の標準軌改軌を行って名阪間直通化を行ったことで次第にかすがの優位性は薄れ、1960年代に特急くろしおの間合いで伊賀上野・奈良・王寺・堺市経由で名古屋 - 東和歌山間に設定された特急「あすか」も集客不振に喘ぎ短命だった。

大和路電化後[編集]

1973年奈良以西の電化後は大阪ミナミへの直通が無くなり、「かすが」は全て奈良折り返しとなり、他に名古屋行のみの異色急行「しらはま」が伊賀上野経由で運行されて、ローカル線の急行列車という立場に甘んじるようになった。

さらに、1982年5月の関西本線名古屋口電化で、1往復は快速化され、「かすが」は2往復まで削減。1985年3月改正では1往復となり、国鉄分割民営化を迎えた。

国鉄分民化後[編集]

JR東海発足後も国鉄時代から引き続きキハ58+キハ65の組み合わせで運行されていたが、ボックスシートから新幹線0系の廃車部品であるリクライニングシートへ座席を交換してアップグレードを行った。
1999年にはキハ58・65の老朽化によりキハ75系へと置き換え。キハ75は普通・快速列車用の気動車であり、座席は転換クロスシート(一部固定クロスシート)で片側3ドアデッキレス構造という遜色急行に近い存在となった。ただしかすが運行時、キハ75は中央ドアを締め切り扱いとし、座席のシートカバーもビニール製から布製とするなど一定の配慮はされていた。

2006年3月のダイヤ改正を以て利用者減少を理由に廃止。これにより亀山駅を越えて名古屋から奈良方面に向かう列車が全廃となった。

ダイヤ[編集]

1日1往復の運行で、名古屋発が午前中、奈良発が午後という設定だった。

停車駅[編集]

停車駅は以下の通り[注 1]

名古屋駅 - 桑名駅 - 四日市駅 - 亀山駅 - 柘植駅 - 伊賀上野駅 - 奈良駅

かすが復活?[編集]

2023年11月29日「関西本線活性化利用促進三重県会議」が開催され、その中で2024年秋に名古屋~奈良間を関西本線経由で直通する列車の実証運行を目指す事が明らかにされた。もし実現すれば、2006年廃止以来の復活運行となるが、過去「かすが」に運用していたキハ75系を運転できる乗務員がJR西日本亀山運転区に残っているのか等の課題がある。また、キハ75系も予備車が殆どないため、運転する際は南紀や大阪ひだで西日本乗り入れの実績があり、かつ電車免許のみの運転士でも融通の利くHC85系のほうが有力視されている。仮にHC85系使用となれば、前述の特急「あすか」以来の特急形車両による運行となる。

脚注[編集]

  1. 国鉄時代は、ほぼ全列車が富田駅に停車し、加佐登駅にも1970年代前半まで1往復停車した。また、奈良以西では王寺天王寺に停車した。加えて笠置駅にも季節停車していた。


東海旅客鉄道の在来線列車
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関西本線名古屋地区)・
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東海道本線経由夜行列車 サンライズ出雲 - サンライズ瀬戸ムーンライトながら -富士 - さくら - みずほ - はやぶさ - 銀河 - サンライズゆめ - あさかぜ (過去)