高速バス

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高速バス(こうそくばす)は、主に高速道路を通行する路線バスのことを指す。

運行の背景[編集]

名神高速道路が日本初の高速道路として開通するにあたり、この区間を利用して長距離バスを運行しようとする民間事業者が現れた。一般道路と違い高速で、それまでも東北急行バスなどが一級国道などで運行していた長距離急行バスに比べて信号渋滞が生じないために、鉄道に対抗でき、路線バス拡大の好機と読んだためである。
鉄道路線だった白棚線をバス専用道走行の白棚高速線に改装して成功を収めた国鉄も東海道新幹線定着後に減量予定だった東海道本線の急行の代替になると読み、民間事業者同様、路線認可申請を行った。運輸省は国鉄に名鉄・京阪系の日本急行バスへの出資を勧めたがこれを拒み、同じく反名鉄の近鉄・阪神系の日本高速自動車と共に、1965年に名神高速道路での路線の開設に至った。1969年には東名ハイウェイバスドリーム号が運行開始した。しかし、東名、名神で運行された高速バスは、新幹線や近鉄特急の前に対抗できず、日急バスは名鉄、日高バスは近鉄単独資本となり、東名で民間運行した東名急行バスは会社解散した。

1976年の国鉄大幅値上げあたりから高速バスが幹線交通機関として注目され始め、まず既存の東名・名神ハイウェイバスや日本交通の山陰特急バスが鉄道の急行列車より廉価な交通機関として注目され、中国ハイウェイバスも国鉄姫新線を運行する急行をスピードで凌駕したため、別の意味で注目された。
次いで、1983年に開設された中国自動車道経由の大阪市福岡市を結ぶ「ムーンライト」が、昭和55年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正で廃止された関西と九州を結ぶ夜行急行列車の後釜に座ったものの、この時は西日本での認知向上に止まった。現在のように広く庶民に認知されたのは、東北自動車道のヨーデル号で実績を積んだ弘南バス1986年京浜急行電鉄と共同で夜行のノクターン号を運行することが全国的に報道された時とされる。
ノクターン号が運行を開始しても新規路線は昼行中心だったが、1988年5月に鳥取県の2事業者と京急が、鳥取県から大阪を飛び越えて東京まで夜行直結する「キャメル号」を運行開始させ、交通利用人口が少ないとされる鳥取県からでも東京直結路線が採算ラインに載ることが確実になるとバス事業者もようやく夜行バスの将来性に広く注目するようになり、平成改元前後に夜行バスの新設が全国で相次ぐようになった。

概要[編集]

一般の路線バスに比べて長距離を運行し、また他の交通機関と比較して運賃が安価である場合がおおい。このため人気はあるが、鉄道と異なり道路を利用する関係上、天気などの気象状態のほか、大型連休・旧盆年末年始などの行楽シーズンや、集中工事期間、突発的な交通事故などの発生による渋滞・交通規制などにより、定時運行ができないリスクが鉄道に比べ格段に高いことを覚悟する必要がある。さらに、スキー道具やサーフボードのような大型手荷物を有する場合、利用できないことが多い[1][2]。特にダブルデッカー車両は荷物収納室が非常に狭いためさらに厳しくなる。
また、一般の路線バスと異なり、いわゆるバリアフリー対象から除外されているため、車椅子などでの利用は困難を伴う(床下の荷物収納室に折りたたんで収納し、座席までは数段のステップを上り下りするため、かなりの労力が伴う[3])。特に電動式は利用できない[4][5]。ただし、ダブルデッカーが使用される場合、1階席はもともとノンステップであるため、1階に車椅子スペースが設置されていることも多い[注 1]。(この場合、スロープなども用意されており、電動式ももちろん利用可能)。

客層[編集]

短距離路線や陰陽区間や南九州横断のような鉄道が不便な中距離路線ではビジネス客も多いが、それ以外の中・長距離では学生生徒(いわゆるバックパッカー)など、金銭的な余裕はないが時間的な余裕は取れる層が多い。また近年では、鉄道に比べて乗り換えが少ないことを好む年齢層や、時間的に余裕のある定年退職後のシニア世代が、新幹線と比較して速度が遅いにも関わらず、(金銭面を理由としない)車窓をより楽しめることを理由に利用する例が、東阪間を中心に増えつつある(ただ、一般的な高速バス用車両では、前述のように出入口から座席まで数段のステップを上下する必要があり、人によっては利用しにくいこともある)。

運行形態[編集]

2000年代前半にダイヤ形態を変えた名神ハイウェイバス東北急行バスをはじめ、多くの路線バスで停まる停留所は一般道路上を含めた起終点周辺のみで、途中区間はクローズドドアシステムで区間内の自由乗降が制限される「拠点間直行」方式が取られている。一方で、拠点間直行方式は、途中通過地で受けられる恩恵が殆ど無く、短所が顕在化する地域もある[注 2]
この嚆矢になったのは、阪急バス1980年代前半から中国自動車道で運行し始めた高速バスで、特に東阪間のドリーム号以外での夜行新設路線になった大阪福岡間の「ムーンライト号」で、西鉄との2社共同運行かつ運賃を一括管理して走行キロに応じて精算する「プール精算方式」を採用し、1980年代後半の中央高速バスやJRグループ発足当日に開業した「つくば号」といった昼行便もほぼ同様の運行体系[注 3]を採用して以降、国内の高速バスで昼夜行問わずデファクト・スタンダードとなっている。

高速バスの区間により異なるが、拠点間直行が採用されたのは以下のような背景がある。

  • バス業界には、他社の縄張りで旅客営業をする場合、当該他社の同意を必要とする暗黙のルールがあるが、拠点間直行だと起終点の2社の同意だけで済む。
  • 起点付近では、短距離客が多く乗ると、長距離移動の客が座れない。特に高速道内では座席定員を超える乗客を乗せてはいけないので、乗客管理が煩雑になる。そのため、起点付近では降車不可にしている。
  • 高速道路のバスストップは、停車すると時間のロスが大きく、乗り心地の悪化にもつながる。
  • 終点付近では、高速バスの定時性の悪さから、ダイヤがあてにならない。速く走れる時に合わせてダイヤを引くと遅れが目立つし、遅く走る時に合わせて引いた場合は早着した停留所で待機しなければならない。そのため、早着・遅延どちらでも問題無い様に、終点付近では乗車不可にしている。

なお、1969年に開設した東名ハイウェイバス1975年開設の中国ハイウェイバスは複数の速度種別で、高速道路上のバスストップに多く停まり、区間内は自由乗降可という旧来のスタイルを残し、一部ライナー以外はクローズドドアを採用せず、途中駅の受ける恩恵が大きい鉄道列車[注 4]のような長所を持っている。

また、阿南 - 阿波海南間のように、行き違い待ちのあるJR牟岐線が、高速バスと速度面で同等に近かった(牟岐線がやや速い)にも関わらず、高速バスはクローズドドアシステムを採用していたため、徳島県内は鉄道、対兵庫・大阪は高速バスと棲み分けざるを得ず、両者とも十分な本数を運行できなかった区間で、共倒れを防ぐために共通乗車制度を実施する新たな試みも行われている[注 5]

停留所・休憩[編集]

一般道では、通常のバス停を使用する。多くはマイカーでアクセスしやすい幹線道路を走るので、駐車場を整備し、パーク・アンド・ライドに対応して優位性を持たせた路線も多い。

高速道路上に設けられたバス停に停車する便も多い他、インターチェンジのランプウェイ上に設置された停留所に停車しに行くバスも多く、この場合は停車により大きく所要時間が延びる。

鉄道の在来線特急に無い昼行高速バスの特色としてはおよそ1〜2時間毎のサービスエリアでの休憩があり、駅構内のコンビニのような飲食物の調達やトイレ時間となっている。

鉄道より高速バスが優位な区間[編集]

東北[編集]

  • 盛岡 - 安代・鹿角・大館・碇ヶ関・黒石
東北新幹線と同時に開業した高速バス「みちのく」や後日開通した「あすなろ」号によって、鉄道短絡路である花輪線は東北新幹線接続路線の中では影が薄い存在となった。
  • 盛岡 - 宮古
1978年、当時非冷房が当たり前だった山田線急行を凌駕するレベルで「106急行バス」開業。僅か5年のうちに東北新幹線接続の幹線バスとして認知され、第三セクター転換したての三陸鉄道さえ接続を重視するほどになった。今やJR山田線は開業前の帝国議会で「サルでも乗せる気か」と原敬総理を追及した議員の言葉が冗談でないほどの状況に陥っている。
  • 仙台 - 横手
国鉄時代には仙台から秋田県横手方面へ北上線経由の「きたかみ」や陸羽東線経由の「千秋」といった急行列車が運行されたが、1982年に共に廃止されると鉄道では北上や新庄での乗り換えが必至となり、1997年の秋田自動車道開通で、仙台から横手への直通バスが速度向上すると乗換による鉄道利用は殆ど顧みられなくなった。
  • 仙台 - 酒田・由利本荘
国鉄時代には仙台から山形県庄内方面へ仙山線経由の「月山」や陸羽東線経由の「もがみ」といった急行列車が運行されたが、1982年に「月山」の仙台直通、1986年に「もがみ」が廃止されると鉄道では山形や新庄での乗り換えが必至となり、1989年に仙台から酒田への直通バスが運行されると乗換による鉄道利用は全く顧みられなくなった。
  • 仙台 - 気仙沼
仙台から気仙沼へのJRでの(BRTを含めた)最速ルートは、新幹線・在来線とも一ノ関経由であるが、我田引鉄の後遺症で大船渡線が陸前門崎〜千厩間を迂回するのがネックとなっている。一ノ関以南で新幹線利用だと料金が高く、全部在来線だと時間がかかることから、直通の高速バスが主流となっている。ただし東日本大震災以前は、高速バスより圧倒的に速く料金も同等の快速南三陸が線形の良い気仙沼線経由で運行していて、高速バスとシェアを分けあっていた。
  • 新潟 - 小国・南陽・山形
山形新幹線乗り入れに際し、フラワー長井線左沢線を結ぶ狭軌バイパス新線建設による「べにばな」直通維持といった対応を怠り、国道113号経由で「Zao」号が開業すると、米坂線は都市間交通路として顧みられなくなった。
  • 新潟 - 会津若松・郡山
1997年の磐越自動車道開通時点では、磐越西線の快速「あがの」は2往復あったが、2003年に1往復に減り、2022年に遂に廃止となった。快速「あがの」でも2時間20分近くかかる新潟 - 会津若松間で、高速バスは西会津 - 会津若松を短絡することから所要2時間を切っており、新潟側で繁華街の万代バスセンターに乗り入れることを考えると、鉄道は競争力を徐々に失っていると思われる。
  • いわき - 郡山
高速バスが平均1時間間隔で運行するため、JR磐越東線は競争力を失って、小川郷〜小野新町駅間を通る列車は1日6往復に減少し、快速列車も廃止している。
  • 東京 - 弘前
「ノクターン号」は、北東北と東京を初めて結んだ夜行高速バスだったが、対する特急「あけぼの」、急行「津軽」は秋田県下重視のダイヤ編成から、弘前に早朝に着くことができず、運行から間を置かずに競争力を失い、急行「津軽」は1993年、特急「あけぼの」は2014年に廃止された。現在、東京と東北方面を結ぶ定期夜行列車は運行されていない。

関東甲信[編集]

  • 東京 - 香取・神栖・鹿島・小見川
東関東自動車道を走行する「かしま号」や小見川ルート線などが頻発するのに加え、沿線で最も人口が集積している神栖市の中心部にある鹿島セントラルホテルを「かしま号」が通るため、JR鹿島線などの鉄道は競争力を失い、成田線滑河以東に直通する定期特急列車は完全消滅し、快速列車も鹿島線直通の1往復のみである。
  • 東京 - 館山・南房総
高速バスが東京湾アクアライン経由で東京 - 木更津間を短絡しため、JR内房線は競争力を失い、特急「さざなみ」も君津以北で事実上の通勤特急として運行されるまで縮小した。
  • 東京/千葉 - 馬来田 - 上総亀山 - 安房鴨川
内房線電化前は久留里線は千葉方面と直通していたが、高速バスカピーナ号運行後も、シリーズハイブリッド気動車導入等での直通復活を渋ったJRは、線区全体の競争力を失い、久留里以南の存廃が議論される状態となっている。また、JR外房線もカピーナ号および東京湾アクアライン経由の高速バスアクシー号によって上総一ノ宮以南で特急「わかしお」が削減されるなど、かつてほどの勢いはない。
  • 池袋 - 小諸
1997年に開業した北陸新幹線は佐久市を経由したため、それまで在来線特急「あさま」が直通した小諸市は東京への直通鉄道交通を失い、小諸高原バス停を経由した既設の千曲バス上田線の輸送実績も堅調で、2009年にはJRバス関東、2010年には千曲バスが小諸系統を新設した。
  • 名古屋 - 飯田・伊那
国鉄時代は急行「伊那」が最長で大垣 - 上諏訪間を直通したが、中央道特急バス恵那山トンネルを短絡して、急行「伊那」は名古屋直通列車としての競争力を失い、1983年7月ダイヤ改正で一旦廃止された。1996年に特急「伊那路」が運行を開始したが、定期的な名古屋駅や飯田以北への乗り入れはなく、勢いは小さい。
  • 新宿 - 伊那・飯田
新宿 - 山梨県内の中央高速バスで実績を積んだバス会社が、次に伊那方面を新宿発のターゲットにした。飯田線を管轄する国鉄静岡局は開設に反対したが、地元は「静鉄局は高速化の要望に何も動かなかった」と反発。1984年に路線が開設されると急行「こまがね」は甲府 - 飯田間などの中途地域の往来が可能な長所を持ちながら編成を3両に減車し、1986年11月に早くも廃止に追い込まれた。静鉄局の後を継いだJR東海も飯田線の飯田以北の高速化は消極的であり、都市間の往来手段としてまず顧みられない。
  • 長野 - 伊那・飯田
1960年代の国道19号・153号経由の急行バスは鉄道より劣勢だったが、平成改元とほぼ同時期に「みすずハイウェイバス」として復活した中央自動車道経由便は、南信と県庁連絡において鉄道より所要時間で圧倒。快速「みすず」は3往復から1往復に減便。
  • 甲府 - 静岡
中部横断自動車道開通後、一時休止していたバス路線を高速バスで復活させ、両都市間を2時間を切って結んでいる。現在は2往復のみだが、いずれ増便の要望も出ると思われる。なお、鉄道は曲線が多いにも関わらず車体傾斜装置を採用せず、新富士駅への延長もしない身延線やスイッチバックの富士駅を経由するハンデもあって、特急「ふじかわ」でも高速バスより所要時間が長い。

中部地方[編集]

  • 岐阜 - 高山
東海北陸自動車道の開通後、岐阜バス濃飛バスが運行の東海北陸道経由の高速バスは同区間を約2時間で結び、単線のハンデがある特急「ひだ」の方が所要時間が長い列車も出てきている。
  • 名古屋 - 富山
北陸新幹線開業後、「しらさぎ」が金沢駅折り返しとなり、時間帯により米原でも乗り換えがあるために、乗り換え不要で運賃がJRの普通運賃より安い高速バスに人気が集まった。富山地方鉄道のみで単独運行であるが、1時間毎に運行され、特急「ひだ」に本数で凌駕している。加えて、富山発早朝便の「しらさぎ」が事実上廃止された[注 6]ため、特急「北アルプス」の廃止がここでも惜しまれる状況である
  • 名古屋 - 高岡
こちらも、上記と同様、「しらさぎ」廃止の影響を受け、かつ鉄道路線より短絡経路であって、鉄道では盲腸区間である砺波駅南バス停留所に立ち寄る。この区間は加越能バスイルカ交通の二つの事業者による競合であり、両者は名古屋駅高岡駅ともに乗り場が大きく離れているため注意が必要である。
名古屋駅と高岡駅を結ぶ高速バスについて
名古屋駅乗り場、降り場 高岡駅乗り場、降り場
イルカ交通 ミッドランドスクエア前 高岡駅南口バス停留所
加越能バス 名鉄バスセンター 高岡駅前バス停留所
  • 名古屋 - 福井、金沢/大阪 - 金沢
くたばれ北陸新幹線のハッシュタグが界隈以外の人からも支持されていることから、先述の池袋 - 小諸間のように、乗換なしであることで堅調な支持を得ることが見込まれる。

関西 対 中四国[編集]

  • 徳島・鳴門 - 明石・神戸・大阪
徳島駅 - 舞子駅の距離は直線距離で76kmだが、鉄道だと高松・岡山廻りになるため274.6km(宇多津の短絡線を考慮しても約272km)もの道のりになり、本州内で新幹線を使っても時間がかかる。一方で高速道路は、徳島-舞子を直線に近いルートで結んでいるので、両駅間だと特に1時間20分ぐらいで移動することが可能で、圧倒的にバスが有利となっている。なお、徳島-和歌山の南海フェリーもあるが、大阪府泉南地区との往来以外は所要時間が長い。もっとも、神戸淡路鳴門自動車道開通前から、阪神 - 徳島間の往来は阿波國共同汽船などの直行船舶航路の利用実績が高く、国鉄のシェアは決して高くなかった。
  • 大阪 - 加東・加西・福崎・美作・津山・真庭
1975年中国自動車道の落合IC以東の開通で神姫バスと共に中国ハイウェイバスを国鉄近畿自動車局が開設したが、鉄道では乗り換え必至で大迂回となる加古川線北条線の利用や姫新線直通の「みまさか」、播但線直通の「但馬」といった急行の利用に大きく影響し、「身内潰し」の非難を受け、落合IC以西への延伸を渋るまでに至った。国鉄が渋っていた間、阪急バスおよび提携バス事業者が院庄IC以西に進出。中国勝山以東で細々残った急行「みまさか」も1989年に廃止され、姫新線は長距離交通路としては顧みられなくなった。
ただ、1994年12月より「スーパーはくと」が経由するようになった佐用は多少鉄道のシェアを戻している。
  • 大阪・舞子 - 阿南・阿波海南・甲浦
自動車専用道は、徳島市内と日和佐道路が開通しているのみだが、鉄道だと概ね3回の乗換が必至な一方、高速バスは大阪まで直通するため、対大阪では高速バスが優位である。なお、高速バスは阿南駅以北でクローズドドアのため、本州の高速舞子まで下車できず、徳島 - 日和佐・牟岐・甲浦の県内利用はできない。

中四国内・九州[編集]

  • 岡山 - 宇野
瀬戸大橋線の開通で運行系統が一変したため、東側を短絡する特急バスが競争力を持つ。詳しくは当該ページ参照。
  • 徳島 - 松山
鉄道での最短時間だと高松・今治廻りになり、かつ高松駅での特急同士の乗り換え待ち必至のため約4時間かかるが、高速道路は、徳島-松山を直線に近いルートで結んでいるので、渋滞がなければ両市の市街地間を3時間20分ぐらいで乗り換え無しで移動することが可能で、圧倒的にバスが有利となっている。桜三里と伊予三島〜阿波池田間に鉄道要るだろ
  • 高松 - 高知(黒潮エクスプレス)
高速バスは4車線の高速道路経由なので、渋滞しない場合、同区間を約2時間と少しで走行する。一方、四国山地の山中を縫う昭和戦前開業の単線のルートで、ハード面で不利なのは間違いない鉄道は、特急でも2時間半近くかかって劣勢で、「しまんと」も朝晩に絞った運行となっている。阿佐線はDMVより、近代化して人口20万超都市を経由する高速鉄道線として生かすテはなかったのか?
  • 松江・出雲市・庄原 - 広島
JR在来線で最短経路となる木次・芸備線は、1960年代は主流だったものの、山岳路線でかつ加茂中 - 三次間を短絡する国道整備が進んだため、1980年後半に既に競争力を失っていた。近年は普通列車も減便して都市間の往来手段としてはまず顧みられず、鉄道だと、岡山駅まで2時間45分〜3時間かけ特急で移動後、新幹線を使う方法がほぼ唯一になる。この状況のため、約3時間で直行可能な高速バスが両都市間の往来の主流となっている。
広島県内でも、三次 - 広島間は、芸備線が高速バスに伍しているが、庄原市(市街地・東城)と広島との往来は前述の列車の本数減少や芸備線が地形に逆らわず迂回していることもあり、同じく高速バスが交通の主流となっている。
渋滞しない場合、高速バスは同区間を約1時間で直通運行。JR呉線は、山陽新幹線を使った三原経由でも所要時間はさほど変わらない。また、呉・安芸津経由だと広島 - 呉間での快速運行はあるが、道路より迂回し、1時間45分近くかかるため、日中は直通を止めている。
  • 広島 - 玖珂(岩国市)
岩国市西端にある玖珂は岩徳線が通じるが、非電化で広島方面に直通しないため、防長交通の直通高速バスが優位となる。
  • 博多 - 宮崎県内
九州自動車道開通で、小倉を迂回する直通特急は「にちりんシーガイア」のみになるなど、鉄道での往来は競争力を失い、「フェニックス号」などの高速バスが福岡市と都城市、宮崎市との往来の主流になっている。
  • 福岡 - 唐津・伊万里
1983年の筑肥線急行「平戸」の唐津以東廃止後に高速バスが新設されたため、博多〜伊万里間の鉄道利用は高速バス開設時から乗り換え必至であり、高速バスは競争力を付け、2003年に西九州自動車道が開通すると、博多 - 唐津間もスピードアップして、筑肥線の日中は博多 - 唐津間の直通を縮減するところまで追い込まれている。

過去[編集]

東日本[編集]

  • 旭川 - 紋別
1984年国道273号の浮島トンネルが開通し、「特急オホーツク号」が運行を開始すると、名寄本線は存続の決め手を失い、1989年に全線廃止された。
  • 札幌 - 羽幌
1984年に沿岸バスが「はぼろ号」を運行すると、急行列車の利用客が減って国鉄羽幌線は存続の決め手を失い、3年後に廃止に追い込まれた。
  • 札幌・旭川 - 留萌
深川留萌自動車道が2020年に留萌市街に通じ、従前からの高速るもい号などが競争力を得ると、JR留萌本線深川駅特急乗り換えによる主軸交通路としての地域を失い、2023年4月に留萌管内で廃止に追い込まれた。
  • 盛岡 - 弘前
東北新幹線と同時に開業した高速バス「ヨーデル」号によって、鉄道短絡路である花輪線は東北新幹線接続路線の中では影が薄い存在となり、後に特急「たざわ」が秋田から延長されるが、明らかに大廻りの列車設定だった。東北新幹線八戸延伸で八戸 - 弘前間に特急「つがる」が設定されると、少し様相が変化して鉄道のシェアが持ち直した。

中部[編集]

  • 金沢 - 輪島・珠洲
1982年に能登有料道路が開通し、全国的な高速バス開設の動きに呼応して、北陸鉄道グループが能登方面特急バスを開設すると鉄道より2時間速いバスに乗客が転移し、穴水以北の鉄道線が廃止に追い込まれた。
  • 名古屋・岐阜 - 関
東海北陸自動車道の開通後、岐阜バスが東海北陸道経由の高速バスを運行すると、名鉄美濃町線経由の利用が減少し、美濃町線は2005年に廃止された。
  • 名古屋 - 伊賀上野 - 奈良
戦後、急行「かすが」や特急「あすか」が関西線で運行されたが、国鉄分割民営化前に「かすが」1往復まで削減。三重交通奈良交通が高速バスを運行すると伊賀市の上野市街地直結や本数頻発で競争力が無くなり、2006年に直通列車廃止に追い込まれた。

西日本[編集]

  • 大阪 - 鳥取・倉吉
1966年から山陰特急バスとして地道に運行してきたが、1975年に兵庫県以東を中国自動車道に載せ替えると鉄道に対する競争力をつけ始め、1980年代後半の福知山線電化で大阪 - 山陰間の直通優等列車が減るなど国鉄(JR)側が減量化した。しかし、1994年智頭急行が開通すると鉄道がスピード面で盛り返し、1990年前後の勢いは影を潜めた。
  • 広島 - 粕淵・大田市
JR在来線で最短経路となる三江・芸備線は、1975年の山陽新幹線博多開業時は口羽 - 浜原間が未成で、その後開通したものの、粕淵 - 大田市間で三角形の2辺を大廻りしたため、博多開業時に増強した身内の国鉄バス広浜・川本線や広島電鉄の三瓶山急行バス(三次経由)が往来の主流となり、広島との直通列車は分民化後に一部区間を中国自動車道に載せ替えたバスがオーバーフローになる時期に、これも鉄道で大廻りとなる石見川本・江津経由で浜田まで運行されたのみだった。粕淵 - 大田市間で三江線の支線が建設されれば、広島 対 出雲市・松江も含めて鉄道シェア奪回となり得たが、それもなされずに、大田市 - 広島間のJRバス撤退後に直行交通手段が一時休止した上、JR三江線も廃止。現在は石見交通などが大田市 - 石見川本 - 広島間のバスを2往復運転している。
  • 広島 - 加計 - 上殿 - 三段峡(- 浜田)
中国自動車道開通により、広島交通広島電鉄が広島と三段峡を高速経由で直通するバスを走らせたのに加え、大朝経由の国鉄バス広浜線よりも広島 - 浜田間を短絡した石見交通・広島電鉄の新広浜線が経路を載せ替えて、上殿(戸河内IC)、加計を経由して島根県石央方面に直通し、上殿、加計でも広島方面との利用を可能にしたため、可部線非電化区間は分民化前後から競争力を失い、加えて浜田自動車道開通で広島 - 浜田間の高速バスが大朝経由ながら、今福線延長想定の所要時間に相当の約2時間20分で3社共同で直行して頻発したため、今福線の三段峡 - 浜田間延長運動も継続の意味を失い、可部線非電化区間は2003年に廃止に追い込まれた。現在は、前述の広交や広電の高速バスに加え、上殿には広島 - 益田間の新広益線が停車するが、浜田方面の直行バスは廃線となった。
  • 岩国 - 錦町(- 六日市 - 日原)
山陽新幹線新岩国駅開設前より、岩国 - 日原 - 津和野・益田間で国鉄バスや石見交通が特急バスを運行し、岩日北線も六日市まで完工寸前で新岩国駅もそれらが集客の頼りのところもあったが、まず、岩日北線が工事凍結して日原まで全通の希望が無くなり、石見交通が六日市以南で中国自動車道に載せ換えて岩国を経由しなくなり、JRバスも路線撤退して、六日市以南の路線バスが分断し、岩国から山陰に直行するバスは消滅して、島根県石西から新岩国駅への利用はほぼ無くなった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ドリーム大阪号などダブルデッカー使用路線でバリアフリー対応としている[6]
  2. 例えば、阪急バスが拠点間直行を行った影響で、中国自動車道が1980年代にいち早く延伸されたものの、21世紀中に高速バスでの往来が不可能だった岡山県津山市・新見市 - 広島市間。広島つやまエクスプレス参照。
  3. 昼行バスでは中央高速バスの上野原バス停や東海道昼特急新城バスストップのように双方向利用可のバス停もある。
  4. 利用者:Marmarayの個人的意見。
  5. なお、一般路線バスは地域ごとに細かく系統が分断され、徳島と日和佐・牟岐方面を直通する系統は設定されていない
  6. 北陸新幹線敦賀延伸後も、この改悪点は改善されない。
出典