上皇明仁

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明仁から転送)
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明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )は、日本の第125代天皇(在位: 1989年昭和64年)1月7日 - 2019年平成31年)4月30日)、上皇(在位:2019年令和元年5月1日 - )魚類学者。現時代においては敬称をつけて上皇陛下(じょうこうへいか)と呼ばれることが多い[1]。父は第124代天皇・昭和天皇。母は香淳皇后で長男。

略歴[編集]

よく平成天皇と言い間違われるが平成天皇は間違いで正しくは今上天皇であった。妻は上皇后美智子。幼少期の照合は継宮(つぐのみや)で、身の回りの品につけるお印は栄(えい)。

なかなか皇子に恵まれなかった昭和天皇にとって、待望の長男で皇子であった。昭和12年(1937年3月29日、両親の下を離れて東京・赤坂の東宮仮御所に移る。昭和15年(1940年4月、学習院初等科に入学する。昭和19年(1944年5月15日太平洋戦争による戦況悪化により静岡県の沼津御用邸に疎開する。さらに奥日光南間ホテルへ移った。11歳のとき、奥日光に疎開中、初等科6年のときに終戦を迎える。11月7日に帰京した。

昭和21年(1946年)春から学習院中東科に進学し、東京・小金井の東宮仮寓所に移る。10月15日にはアメリカから招いた英語の家庭教師であるバイニング夫人が来日する。昭和24年(1949年)に慶応義塾塾長を務めた経済学者小泉信三が教育係、東宮御教育常時参与に就任する。しかし12月28日、東宮仮御所は焼失し、それにより昭和25年(1950年)からは東京・渋谷の東宮仮御所へ移った。

昭和27年(1952年4月に学習院大学政経学部政治学科に進学する。11月10日成年式、ならびに立太子の礼が行なわれる。昭和28年(1953年3月30日から10月12日までは父・昭和天皇の名代としてイギリスエリザベス2世の女王戴冠式の参列などのため、欧米15カ国を周遊する。昭和31年(1956年3月に学習院大学を終了した。昭和32年(1957年4月に初めての公職である日本赤十字社名誉副総裁に就任する。8月19日に美智子と長野県・軽井沢のテニストーナメントで出会う。11月27日皇室会議において美智子との婚約が決定し、昭和34年(1959年4月10日に後に皇后となる美智子と結婚する。この際にはパレードの沿道に53万人の大人数が集まったという。

昭和35年(1960年2月23日に長男・徳仁が生まれる。6月18日に新築の元赤坂の東宮御所に転居した。9月22日から10月7日までは結婚後初となる外国訪問を行ない、日米修好100年もあってアメリカに赴いた。11月12日から12月9日まではイランエチオピアネパールインドタイを訪問する。しかし昭和38年(1963年)には美智子が流産するなどの不幸にも見舞われた。12月15日にはハゼの研究で初めて論文を発表する。昭和39年(1964年11月8日1964年東京パラリンピック開会式に出席し、自らは名誉総裁に就任した。昭和40年(1965年11月6日には岐阜県での第1回全国身体障害者スポーツ大会に出席する。11月30日に次男・礼宮(現・皇嗣秋篠宮)が誕生した。

昭和44年(1969年4月18日に長女の紀宮(皇籍離脱後は黒田清子)が生まれた。昭和45年(1970年3月14日大阪万博の開会式に出席する。昭和46年(1971年5月6日神奈川県戦没船員の碑除幕式に出席する。

昭和48年(1973年5月6日から6月23日までオーストラリアニュージーランドを訪問し、オーストラリアでは日豪両国の戦争犠牲者を慰霊した。昭和50年(1975年7月17日から7月19日まで沖縄国際海洋博開会式出席のため、初の沖縄県訪問を行なうが、初日にひめゆりの塔ひめゆり火炎瓶事件が発生している。

昭和52年(1977年9月16日大分県での第1回全国育樹祭に主席する。昭和53年(1978年6月12日から6月17日まで日本人がブラジルに移住して70周年を記念して式典が開かれたため、参列のためブラジルに訪問する。さらにパラグアイやアメリカにも訪問した。9月29日には大分県での第1回全国豊かな海づくり大会に出席する。昭和60年(1985年3月16日つくば万博開会式に名誉総裁として出席する。4月20日には第1回日本国際賞授賞式に出席した。

昭和61年(1986年5月22日ロンドンリンネ協会の名誉会員に選ばれる。11月29日伊豆大島三原山の噴火による避難民のお見舞いのため、東京都の体育館を訪問した。12月に初の歌集となる「ともしび」を出版する。

昭和63年(1988年9月22日、父の昭和天皇の容態が悪化したため、国事行為の臨時代行を全面的に委任された。

昭和64年(1989年)1月7日、父の昭和天皇が崩御したため、それに伴って第125代天皇として即位し、1月8日元号が昭和から平成に改元される。1月9日に即位後朝見の儀に出席し、この際「皆さんと共に日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」ことを誓った。

平成2年(1990年11月12日即位の礼11月22日から11月23日にかけて大嘗祭を開催する。平成3年(1991年2月23日に長男・徳仁を立太子する。7月10日長崎県雲仙普賢岳噴火火災の被災地を慰問する。9月26日から10月6日にかけて即位後は初めてとなる外国訪問で東南アジア3カ国(タイ・マレーシア・インドネシア)へ赴く。

平成4年(1992年10月23日から10月28日にかけて、天皇として初めての中国訪問を行なう。平成5年(1993年4月23日から4月26日にかけて、全国植樹祭出席で歴代天皇としては初めてとなる沖縄県訪問を行なう。7月27日北海道南西沖地震の被災地である奥尻島などをお見舞いする。8月6日から8月9日にかけて、ベルギー国王・ボードゥアンの葬儀に参列する。9月3日から9月19日にかけてイタリア・ベルギー・ドイツバチカンなどを訪問した。12月8日に赤坂御所から皇居として完成した御所に転居した。

平成6年(1994年2月12日から2月14日にかけて太平洋戦争の激戦地である硫黄島など小笠原諸島を訪問し、日米両国の戦争犠牲者を慰霊した。6月10日から6月26日にかけてアメリカを訪問する。10月2日から10月14日までフランス・スペイン・ドイツを訪問した。

平成7年(1995年1月阪神淡路大震災が発生すると、1月31日にその被災地を見舞うために兵庫県に赴いた。7月26日から8月3日にかけては戦後50年の慰霊の旅として沖縄県・広島県・長崎県などを訪問する。

平成9年(1997年5月30日から6月13日にかけて、ブラジル・アルゼンチンルクセンブルク・アメリカを訪問する。

平成10年(1998年2月7日長野冬季オリンピックで開会を宣言する。5月23日から6月5日にかけてイギリス・デンマーク・ポルトガルを訪問するが、イギリスにおいては日本軍による元捕虜らの抗議活動に見舞われた。平成11年(1999年11月12日、政府主催の在位10年の記念式典が開催される。

平成12年(2000年5月20日から6月1日にかけてオランダスウェーデンスイスフィンランドなどを訪問し、戦争捕虜抑留問題が残るオランダにおいてはベアトリクス女王と並んで戦没者記念碑に進んで供花する。平成13年(2001年7月26日には地震被害の大きい伊豆諸島・新島と神津島を訪問し、火山活動が続く三宅島をヘリで視察した。12月18日には誕生日前の記者会見において「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫とされることに『韓国とのゆかりを感じています」と発言した。

平成14年(2002年7月6日から7月20日にかけてポーランドハンガリーチェコオーストリアを訪問する。

平成15年(2003年1月18日前立腺癌により、東大病院において手術を行なう。7月1日に2000年の北海道・有珠山噴火で被災した住民を激励した。11月14日から11月17日にかけて、鹿児島県を訪問し、これにより即位後の全都道府県の一巡を達成する。

平成16年(2004年7月1日、前立腺癌の細胞の増殖を抑えるため、ホルモン療法を開始する。10月28日園遊会東京都教育委員に学校の日の丸、君が代に対して強制でないことが望ましいと発言した。11月6日新潟県中越地震の被災地をお見舞いする。

平成17年(2005年1月16日から1月18日にかけて、阪神淡路大震災10年の追悼式典出席のため、神戸市を訪問する。さらに国連防災世界会議開会式にも出席した。3月24日には皇太子の徳仁と供に愛知万博開会式に出席する。5月7日から5月14日にかけてノルウェーアイルランドを訪問した。6月27日から6月28日にかけて、戦後60年に際して自治領サイパン島を慰霊訪問する。

平成18年(2006年3月7日、噴火災害による全島避難指示解除から1年の三宅島を訪問する。6月8日から6月15日にかけてシンガポール、タイ、マレーシアを訪問した。

平成19年(2007年5月21日から5月30日にかけて、スウェーデンバルト3国、イギリスなどを訪問する。この際に博物学者リンネの生誕300年記念行事で英語による基調講演を行なった。8月8日新潟県中越沖地震の被災地をお見舞いする。10月30日には福岡県西方沖地震で被災した玄界島をお見舞いした。

平成20年(2008年2月25日、ホルモン療法の副作用で骨粗しょう症になる可能性と宮内庁が発表し、これにより公務や祭祀の日程見直しが検討される。12月9日には胃から十二指腸にかけて精神的、身体的なストレスが原因と見られる出血などの痕跡を確認したと宮内庁が発表した。さらに12月11日には宮内庁の長官・羽毛田信吾が定例記者会見で明仁のストレスについて「皇位継承をはじめ、皇室の問題を憂慮しているご様子だ」との見解を示した。

平成21年(2009年1月29日、明仁の病気の悪化などにより、宮内庁が式典でのお言葉省略などの負担軽減策を発表する。7月3日から7月17日にかけてカナダハワイを訪問した。11月12日には政府主催の在位20年記念式典が開催される。12月15日には当時の中華人民共和国の国家副主席である習近平と会見した。

平成23年(2011年3月東日本大震災が発生すると、3月16日に東日本大震災で国民にビデオメッセージを出し、その後3月30日から5月11日まで7週間連続で被災地や避難所訪問を行なう。11月6日から11月24日にかけて気管支肺炎のため入院した。

平成24年(2012年2月18日、東大病院で冠動脈バイパス手術を行なう。3月11日に東日本大震災1年の追悼式に出席する。5月16日から5月20日にかけてイギリスのエリザベス女王即位60年の記念行事出席のため、イギリスを訪問した。10月13日福島県川内村を訪問し、東京電力福島第1原発事故による放射性物質の除染作業を視察する。

平成25年(2013年4月12日、皇后美智子と共に東京都内でのチャリティー舞踏会に出席し、2人でワルツやタンゴのステップを披露した。4月15日から4月16日にかけて長野県千曲市の「あんずの里」を訪問する。10月27日には熊本県水俣市水俣病慰霊の碑に供花する。11月30日から12月6日にかけてインドを訪問した。

平成26年(2014年7月22日宮城県の国立ハンセン病療養所を訪問する。これは皇太子時代から46年かけて、国内全てのハンセン病療養所の入所者との懇談を果たしたことになった。

平成27年(2015年4月8日から4月9日にかけてパラオを訪れて戦後70年で戦争犠牲者を慰霊する。8月15日に全国戦没者の追悼式のお言葉で初めて「深い反省」の文言を発する。

平成28年(2016年1月26日から1月30日にかけてフィリピンを訪問した際に戦争犠牲者に慰霊する。5月19日には熊本地震での被災地を訪問した。8月8日、高齢となった天皇のあり方を国民に問いかけるビデオメッセージを公表する。これが天皇の生前退位をめぐる議論の契機となり、平成29年(2017年6月9日に退位を実現する皇室典範特例法が成立する。

平成31年(2019年4月30日午前10時頃、皇居宮中三殿へ、皇祖皇宗や、日本の神々へ退位を報告する儀式を終え、午後5時ごろから行われた、退位礼正殿の儀も終えて、第126代天皇徳仁へは日付が変わって5月1日午前0時に譲位した。

人物像[編集]

  • 趣味はテニス、ハゼの分類学の研究である。
  • 弟宮の常陸宮をはじめ、7人きょうだいの5番目である。

脚注[編集]

  1. 一部で「今上上皇」と呼ばれることもあるが、「今上」は「現在の天皇」のみを意味するため、これは誤りである。
歴代の天皇陛下の一覧
現皇統および南朝方
1神武天皇 - 2綏靖天皇 - 3安寧天皇 - 4懿徳天皇 - 5孝昭天皇 - 6孝安天皇 - 7孝霊天皇 - 8孝元天皇 - 9開化天皇 - 10崇神天皇 - 11垂仁天皇 - 12景行天皇 - 13成務天皇 - 14仲哀天皇 - 15応神天皇 - 16仁徳天皇 - 17履中天皇 - 18反正天皇 - 19 允恭天皇 - 20安康天皇 - 21雄略天皇 - 22清寧天皇 - 23顕宗天皇 - 24仁賢天皇 - 25武烈天皇 - 26継体天皇 - 27安閑天皇 - 28宣化天皇 - 29欽明天皇 - 30敏達天皇 - 31用明天皇 - 32崇峻天皇 - 33推古天皇 - 34舒明天皇 - 35皇極天皇 - 36孝徳天皇 - 37斉明天皇 - 38天智天皇 - 39弘文天皇 - 40天武天皇 - 41持統天皇 - 42文武天皇 - 43元明天皇 - 44元正天皇 - 45聖武天皇 - 46孝謙天皇 - 47淳仁天皇 - 48称徳天皇 - 49光仁天皇 - 50桓武天皇 - 51平城天皇 - 52嵯峨天皇 - 53淳和天皇 - 54仁明天皇 - 55文徳天皇 - 56清和天皇 - 57陽成天皇 - 58光孝天皇 - 59宇多天皇 - 60醍醐天皇 - 61朱雀天皇 - 62村上天皇 - 63冷泉天皇 - 64円融天皇 - 65花山天皇 - 66一条天皇 - 67三条天皇 - 68後一条天皇 - 69後朱雀天皇 - 70後冷泉天皇 - 71後三条天皇 - 72白河天皇 - 73堀河天皇 - 74鳥羽天皇 - 75崇徳天皇 - 76近衛天皇 - 77後白河天皇 - 78二条天皇 - 79六条天皇 - 80高倉天皇 - 81安徳天皇 - 82後鳥羽天皇 - 83土御門天皇 - 84順徳天皇 - 85仲恭天皇 - 86後堀河天皇 - 87四条天皇 - 88後嵯峨天皇 - 89後深草天皇 - 90亀山天皇 - 91後宇多天皇 - 92伏見天皇 - 93後伏見天皇 - 94後二条天皇 - 95花園天皇 - 96後醍醐天皇 - 97後村上天皇 - 98長慶天皇 - 99後亀山天皇 - 100後小松天皇 - 101称光天皇 - 102後花園天皇 - 103後土御門天皇 - 104後柏原天皇 - 105後奈良天皇 - 106正親町天皇 - 107後陽成天皇 - 108後水尾天皇 - 109明正天皇 - 110後光明天皇 - 111後西天皇 - 112霊元天皇 - 113東山天皇 - 114中御門天皇 - 115桜町天皇 - 116桃園天皇 - 117後桜町天皇 - 118後桃園天皇 - 119光格天皇 - 120仁孝天皇 - 121孝明天皇 - 122明治天皇 - 123大正天皇 - 124昭和天皇 - 125明仁 - 126徳仁
北朝方
北1光厳天皇 - 北2光明天皇 - 北3崇光天皇 - 北4後光厳天皇 - 北5後円融天皇 - 北6後小松天皇