清寧天皇
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清寧天皇(せいねいてんのう 445年 - 484年(清寧天皇5年1月16日))は第22代天皇[1][2]。
概要[編集]
雄略天皇の第三皇子[1]。母は葛城円[読 1]大臣の娘、韓媛[読 2][2]。[注 1]
478年に立太子し、479年に雄略天皇が崩御すると、皇位を簒奪しようとする星川皇子を倒して皇位についた[2]。雄略天皇夫人、吉備稚媛[読 3]は実の息子である星川皇子を皇位につけようとしたが、雄略天皇の側近によってこの計画は失敗に終わる[2]。
清寧天皇は子がなかったため、皇統が絶えることを憂慮したが市辺押磐皇子の子である億計[読 4]と弘計[読 5]を見つけ出した[1][2]。
清寧天皇は在位5年で崩御後し、河内坂門原陵[読 6]に埋葬された[1]。残された、億計と弘計は互いに皇位を譲り合っていたため空白期間が生じた。このため、暫定的に陵天皇候補の姉にあたる飯豊青皇女[読 7]が政治を見たとされる[3]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 尾崎他著の「完全保存版 天皇125代」では皇后も実子もいなかったため実在性も含めて謎の天皇であると位置づけている。
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 竹田恒泰 『現代語古事記 ポケット版』 学研プラス、2016年6月28日 発行、1st。ISBN 978-4-05-406454-6。
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