阪神・淡路大震災

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
阪神淡路大震災から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
兵庫県南部地震により被害を受けた建物

阪神・淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)は1995年(平成7年)1月17日火曜日)に起こった兵庫県南部地震による災害の被害全体を指す総称である。東日本大震災に次ぐ規模の地震災害である。

兵庫県南部地震[編集]

震源地は淡路島北部の明石海峡付近(北緯34度36分・東経135度02分)で、震源の深さは約16km。規模(マグニチュード)はM7.3

神戸洲本で最大震度6を観測したと発表されたが、気象庁の現地調査により、神戸市等阪神地域と淡路島北部において震度7を観測していたことがわかった。1948年の福井地震を契機として新設された震度7が初めて適用された地震である。

震度7を観測した地域
神戸市 (東灘区 灘区 中央区 兵庫区 長田区 須磨区)
芦屋市 西宮市 宝塚市
淡路市 (津名町 北淡町 一宮町)

本地震は六甲・淡路島断層帯という活断層で発生した典型的な内陸直下型地震(横ずれ断層型)であり、震源地でもある淡路島北部では野島断層という地表地震断層が現れた。

被害[編集]

兵庫県南部地震は直下型断層地震であることから建物の倒壊被害が多く発生した。

以下、「県内」とは「兵庫県内」を指す。

  • 死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名
  • 負傷者
    • 重傷者 : 県内10,494名 (98.2%)、県外189名 (1.8%)
    • 軽傷者 : 県内29,598名 (89.4%)、県外3,511名 (10.6%)
  • 住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
  • 火災被害 : 全焼7,036棟、焼損棟数7,574棟、罹災世帯8,969世帯
  • その他被害 : 道路7,245箇所、橋梁330箇所、河川774箇所、崖崩れ347箇所

火災の発生と消防困難[編集]

広範囲で(都市ガスによる)住宅火災が発生したものの、地震による水道管断裂および消防用防火貯水槽の水漏れにより「消防隊が現地に到着したものの、何も出来ずに立ち尽くす」といった光景が随所で見られた。

初日の火災は最低10箇所で同時出火し、最終的には火災箇所は合計で17箇所に達し、50万平方メートルを焼き尽くす業火となって神戸市全体を焼け野原にした。

最終的には長田消防署では破壊消防法を実施するに至り、燃え続ける家屋をバールなどで破壊し(消防水を使用出来ないため、火災家屋を孤立させ周辺を空き地にすることで)延焼を食い止めた。

その他、現場のそれぞれの消防車が独断・独自的に即席の水利ホースネットワークを構築し銭湯の残り湯、学校プールの水、河川、海水などありとあらゆる水を消火用水として利用し消火促進に努力した。

民間人も動けるものは手作業のバケツリレーに従事し積極的に消火支援に当たり、中にはわずか100人で40トンにも及ぶ防火水槽が空になるまでバケツリレーを行った住民集団もあった。

ガスの停止について
長田区内ガス会社の関係者によれば「地震発生直後に(安全のために)午前11時にガスを停止した」「一般家庭の都市ガス引き込み管はガスメーター付属の地震検知装置が作動することでガス供給が自動停止する」と証言しているが、その12時間後にも猛烈な炎を吐き出すガス管が区内随所で目撃されており、長田消防署の消防士は「ガス管を繋ぐ市中の管路には地震感知装置が付属されていないため、地震により管路が断絶、発火しても(元栓がないので)供給が自動停止しなかった」と考えている。
ガス爆発について
未明から倒壊家屋の住民救出作業に当たっていた近隣住民と消防士の双方が「午前10時頃に街灯および自動販売機の照明が点灯(通電)すると同時に近在の作業所で爆発が発生した」という証言が出ており、これは同時間帯に他の場所でも同様の証言が多数寄せられている。
このことから、倒壊、損傷家屋で電気配線が損傷を受けている状況で自動的に時間通電設定されていた照明機器に通電が開始されたことによる通電火花により周辺に漂っていたガス漏れのガスに引火、同様の事例が市内各所に存在し「同時多発的に火災が発生した原因」とみられている。
その後の同様の事例として、同地で被災から復旧する作業途中で(安全のために)停電中であった電気配線に、通電先の電気配線状況を個別に確認せず一律的に通電作業を行ったところ、漏電による火災が発生した家屋が存在した事例が報告されている。

自衛隊の出動に関して[編集]

当時は左翼の勢いが強く、軍隊であると彼らが断じる自衛隊の災害派遣に国、県が消極的でそれ用の法整備が遅れていた背景があり、国が承認しない限り県、市が独自に要請しても自衛隊が出動できないという法律上の不備があった。こういった事情により

  • 地震発生直後に至近周辺の自衛隊各部隊で出動準備が完了しているのに、国および県のトップが(混乱により)所在不明、連絡不能で(自衛隊各隊が災害派遣要請なく勝手に出動することは強力に禁止されていたので)出動不能

という結果が生じた。こういった出動に関しての諸々の事情により、

  • 出動命令を待っていた近隣自衛隊よりも、遠く山を超えて日本海側の島根県出雲市消防隊が「命令がないのに、災害規模からして未曾有の大災害と確信、地震発生直後に独自判断で出発、勝手に現地入り」した方が早く到着した

などといった実例が知られている。なお、同様の判断で県上層部の判断、命令なしに独自に現地入りした消防隊は先述の出雲市以外にも複数県に跨っている*1

今日では東日本大震災、普賢岳復興支援などで広く自衛隊の活動内容は国民に知られているが、この当時は「自衛隊は殺人以外に能がない無能集団であり、民間消防隊の方が役に立つ」といった主張が信じられていた。


*1 1995年発生であり、戦時下や戦争直後の混乱を体験している戦前、戦中派の古参消防士(50代以上)の意見・判断が強力な後押しになった事例が多いようだ。

外部リンク[編集]