安康天皇
ナビゲーションに移動
検索に移動
安康天皇(あんこうてんのう 生年不詳 - 456年(安康天皇3年8月9日))は第20代天皇[1]。
概要[編集]
允恭天皇の第二皇子(一説に第三子)[2]。倭の五王の「興[読 1]」候補の一人。名は穴穂尊[読 2]。母は稚渟毛二岐皇子[読 3]の娘、忍坂大中姫命[読 4][2]。 允恭天皇の崩御に伴い、本来第一皇子である木梨軽皇子[読 5]が皇位につくはずであったが、木梨軽皇子は同母妹である軽大娘皇女[読 6]との近親相姦が発覚し人望を失い、穴穂尊が即位した[1]。神の世界では理想とされる兄妹婚[3]は天皇にとってはタブーで有った[1]。
即位した安康天皇は、石上穴穂宮(奈良県天理市)に都をひらいた[1]。その後、安康天皇は弟で後に雄略天皇になる大泊瀬幼武尊[読 7]のために、叔父である大草香皇子[読 8](仁徳天皇の皇子)の妹の草香幡梭姫皇女[読 9]を妃として迎えようとした。しかし、使者の企てにより安康天皇は大草香皇子を殺害してしまう。また、大草香皇子の妃であった中磯皇女[読 10](履中天応皇女)を皇后にしてしまう。
結果、叔父殺しと叔父の妻を奪うという行為が中磯皇女の連れ子であった眉輪王[読 11]の恨みを買うこととなり、眉輪王に刺殺されてしまう[注 1]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 眉輪王が7歳の時の事件で有り事実かどうかには疑問が残る。
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 竹田恒泰 『現代語古事記 ポケット版』 学研プラス、2016年6月28日 発行、1st。ISBN 978-4-05-406454-6。
歴代の天皇陛下の一覧 |