雄略天皇
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう 418年(允恭天皇7年12月) - 479年8月7日(雄略天皇23年8月7日))は第21代天皇[1]。
概要[編集]
允恭天皇の第5子。日本書紀によると自己主張が強く、また、疑り深い性格であったとされる。このような性格のため皇位継承にあたり多くの人物を殺戮した専制君主と位置づけられている[1][2]。
大量殺戮のきっかけは眉輪王[読 1]による安康天皇[読 2]暗殺であった。大王[注 1]の座を狙う雄略は、事件に乗して兄の八釣白彦皇子[読 3]を殺し、さらに大臣の葛城円邸に逃げた兄の境黒彦皇子[読 4]と安康天皇を暗殺した眉輪王をまとめて殺戮した。また、皇位継承について障害となる可能性があった従弟の市辺押磐皇子[読 5]と、その弟もだまし討ちにした[1][2]。
ライバルたちを全て殺戮し即位し、泊瀬朝倉宮[読 6](奈良県桜井市)に都を構えた[1]。その後、雄略天皇に反抗する勢力、吉備の吉備下道臣前津屋[読 7]、播磨の文石小麻呂[読 8]、伊勢の朝日郎[読 9]らによる反乱が発生したが全て鎮圧した[1]。
また、朝鮮半島にも出兵しており、いわゆる倭の五王の中で武が雄略天皇に当たるといわれている[3]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ この時代は天皇という呼称より大王という呼称が使われていた
ソース[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 竹田恒泰 『現代語古事記 ポケット版』 学研プラス、2016年6月28日 発行、1st。ISBN 978-4-05-406454-6。
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