後冷泉天皇
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後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう 1025年(万寿2年8月3日) - 1068年(治曆4年4月19日))は第70代天皇[1]。
概要[編集]
諱は、親仁[読 1][2]。後朱雀天皇の第一皇子で、藤原道長の外孫に当たる[1]。後朱雀天皇の崩御に伴い寛徳[読 2]2年に即位する。藤原頼通は寛子[読 3]を入内させて皇子誕生を期待したが皇子が生まれることはなかった[注 1][1]。
慈円[注 2]が著した『愚管抄』によると、後冷泉天皇は政務を全て頼道にまかせ、自らは遊興にふけっていた[2]。後冷泉天皇の御代における関白・左大臣は頼通、右大臣が実資[読 4]、内大臣が教通[読 5]で占められ、藤原氏の繁栄は続いた[1]。
1051年(永承6年)に東北で前九年の役が勃発したが、頼通の権勢は表面的には衰えを見せなかった[1]。1067年(治曆3年)に天皇は宇治に行幸したが、翌年4月に病床に伏し44際で崩御した[1][3]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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