土御門天皇

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第83代天皇・土御門天皇

土御門天皇(つちみかどてんのう、建久6年12月2日1196年12月23日) - 寛喜3年10月11日1231年11月6日))は、日本の第83代天皇(在位:建久9年1月11日1198年2月18日) - 承元4年11月25日1210年12月12日))。為仁(ためひと)。父は第82代天皇の後鳥羽天皇で第1皇子。母は源通親の養女(法勝寺執行法印能円の娘)承明門院・源在子[1][2]承久の乱での関与は低かったが、鎌倉幕府に願い出て、父や弟上皇と共に流罪になったが、流罪先の四国では厚遇され、子孫は皇統を継承している。

生涯[編集]

後鳥羽天皇は誰を自分の後継者にするか迷ったとされており、建久9年(1198年1月7日に朴訥を行なって第1皇子を後継者に選んだという[1]。実は朴訥をした時点で第1皇子にはまだ命名すら行なわれておらず、1月10日になって為仁と命名され、翌日に立太子されて同日に践祚が行なわれてそのままわずか3歳で即位して土御門天皇となった[1]。この皇位継承に対して藤原定家は自らの日記である『明月記』において皇位継承という国家の重大事が軽率に行なわれたとして後鳥羽天皇と当時朝廷の実権を掌握していた源通親を批判している。

土御門天皇自身は幼児のため、後鳥羽上皇による院政が行なわれた[1]。天皇は非常に温和な性格の持ち主であり倒幕の意思は無かったとされ、密かに倒幕の意思を持っていた父の上皇と対立して諫言したという[1]。また世事に疎く、活動的な上皇から見れば温和でぬるい性格として忌避していたとされ、弟で才気が溢れる守成親王(後の順徳天皇)を溺愛していた上皇は承元4年(1210年)11月25日に土御門天皇に対して守成親王に対して強制的に譲位を迫られ、やむなく上皇になったという[3]。土御門上皇は文化人で和歌を好み、御製を集めたものとして『土御門院御集』がある[4]

承久3年(1221年)の承久の乱では、父の後鳥羽上皇や弟の順徳上皇が倒幕計画に積極的だったのに対して土御門上皇は「まだその時期ではない」と父に諫言して思いとどまらせようとしたがかなわなかった[3]。乱後、北条義時によって首謀者として後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡流罪にされたが、土御門上皇のみは乱にほとんど関与していなかったことから義時は罪に問わず、京都に留めようとした[3]。しかし孝行心の厚い土御門上皇は父が配流されたのに自分だけが京都にとどまるわけにはいかないとして自ら配流するように義時に申し出る[3][4]。義時はその必要は無いとして拒絶していたが、土御門上皇が何度も願うため遂に承久3年(1221年)閏10月に四国の土佐に配流された[3][4]

しかし北条義時をはじめ、義時の後継者である北条泰時も後鳥羽上皇・順徳上皇と違って乱にほとんど関与していない土御門上皇にはかなりの配慮をしており、土佐配流の翌年には京都近くに身柄を移すため阿波に配流先を変更した[3]。幕府は土御門上皇のみは流人として扱わず丁重に扱い、阿波守護に対して御所を造営するように命じたりしている[3]

寛喜3年(1231年)10月に出家して法皇となり、法名は行源と号する[4]。その直後に阿波で崩御した[5]享年37。

遺体は阿波国板野郡里浦で火葬に付され、天福元年(1233年)12月に遺骨は現在の京都府長岡市金ヶ原の金原陵に葬られた[4]

土御門天皇には10男9女の皇子・皇女があり、多くは仏門に入った。土御門天皇の崩御から11年後に四条天皇が崩御して後嗣問題が浮上すると、幕府は土御門天皇が承久の乱に大きく関与していないことからその皇子である邦仁王を後嵯峨天皇として立て[5]、弟の順徳上皇の子孫の皇位継承を封じたが、この後嵯峨天皇は後年両統迭立南北朝時代の根源をつくっている。

一説に日蓮宗の開祖である日蓮は土御門天皇の皇胤と言われている[5]

后妃・皇子女[編集]

在位中の元号[編集]

脚注[編集]

  1. a b c d e 高森明勅『歴代天皇事典』(PHP文庫、2006年10月)、P213
  2. 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、P400
  3. a b c d e f g 高森明勅『歴代天皇事典』(PHP文庫、2006年10月)、P214
  4. a b c d e 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、P401
  5. a b c 高森明勅『歴代天皇事典』(PHP文庫、2006年10月)、P215

参考文献[編集]

歴代の天皇陛下の一覧
現皇統および南朝方
1神武天皇 - 2綏靖天皇 - 3安寧天皇 - 4懿徳天皇 - 5孝昭天皇 - 6孝安天皇 - 7孝霊天皇 - 8孝元天皇 - 9開化天皇 - 10崇神天皇 - 11垂仁天皇 - 12景行天皇 - 13成務天皇 - 14仲哀天皇 - 15応神天皇 - 16仁徳天皇 - 17履中天皇 - 18反正天皇 - 19 允恭天皇 - 20安康天皇 - 21雄略天皇 - 22清寧天皇 - 23顕宗天皇 - 24仁賢天皇 - 25武烈天皇 - 26継体天皇 - 27安閑天皇 - 28宣化天皇 - 29欽明天皇 - 30敏達天皇 - 31用明天皇 - 32崇峻天皇 - 33推古天皇 - 34舒明天皇 - 35皇極天皇 - 36孝徳天皇 - 37斉明天皇 - 38天智天皇 - 39弘文天皇 - 40天武天皇 - 41持統天皇 - 42文武天皇 - 43元明天皇 - 44元正天皇 - 45聖武天皇 - 46孝謙天皇 - 47淳仁天皇 - 48称徳天皇 - 49光仁天皇 - 50桓武天皇 - 51平城天皇 - 52嵯峨天皇 - 53淳和天皇 - 54仁明天皇 - 55文徳天皇 - 56清和天皇 - 57陽成天皇 - 58光孝天皇 - 59宇多天皇 - 60醍醐天皇 - 61朱雀天皇 - 62村上天皇 - 63冷泉天皇 - 64円融天皇 - 65花山天皇 - 66一条天皇 - 67三条天皇 - 68後一条天皇 - 69後朱雀天皇 - 70後冷泉天皇 - 71後三条天皇 - 72白河天皇 - 73堀河天皇 - 74鳥羽天皇 - 75崇徳天皇 - 76近衛天皇 - 77後白河天皇 - 78二条天皇 - 79六条天皇 - 80高倉天皇 - 81安徳天皇 - 82後鳥羽天皇 - 83土御門天皇 - 84順徳天皇 - 85仲恭天皇 - 86後堀河天皇 - 87四条天皇 - 88後嵯峨天皇 - 89後深草天皇 - 90亀山天皇 - 91後宇多天皇 - 92伏見天皇 - 93後伏見天皇 - 94後二条天皇 - 95花園天皇 - 96後醍醐天皇 - 97後村上天皇 - 98長慶天皇 - 99後亀山天皇 - 100後小松天皇 - 101称光天皇 - 102後花園天皇 - 103後土御門天皇 - 104後柏原天皇 - 105後奈良天皇 - 106正親町天皇 - 107後陽成天皇 - 108後水尾天皇 - 109明正天皇 - 110後光明天皇 - 111後西天皇 - 112霊元天皇 - 113東山天皇 - 114中御門天皇 - 115桜町天皇 - 116桃園天皇 - 117後桜町天皇 - 118後桃園天皇 - 119光格天皇 - 120仁孝天皇 - 121孝明天皇 - 122明治天皇 - 123大正天皇 - 124昭和天皇 - 125明仁 - 126徳仁
北朝方
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