履中天皇
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履中天皇(りちゅうてんのう 生年不詳 - 405年(履中天皇6年3月15日))は第17代天皇[1]。
概要[編集]
仁徳天皇の第一皇子。倭の五王の「讚[読 1]」候補の一人。母は葛城襲津彦[読 2]の娘で仁徳天皇皇后の磐之媛命[読 3]。日本書紀によれば343年(仁徳天皇31年)に立太子した[2]。
仁徳天皇崩御後、履中天皇は住吉仲皇子[読 4][注 1]と皇位をめぐって争いを行った。履中天皇は即位の前に黒媛[読 5]と婚礼をあげるため使者として住吉仲皇子を送った。しかし、黒媛に住吉仲皇子が魅せられてしまい、履中の名をかたって黒媛を犯してしまった。これを知った履中天皇が激怒し、また、住吉仲皇子も履中天皇を亡き者とするため挙兵した[1]。
住吉仲皇子の挙兵により、履中天皇は一旦難波から石上神宮(奈良県天理市)に逃れた[注 2]。そこで、履中天皇の同母弟でのちの反正天皇になる瑞歯別尊[読 6]に命じて、住吉仲皇子を殺害させた[1]。当時、履中天皇は疑心暗鬼になっており、瑞歯別尊のことも疑っており、潔白を証明したいのであれば住吉仲皇子を殺害せよと瑞歯別尊に命じている[3]。
即位後の政権は、履中天皇のもと有力豪族が並んで運営する中央集権が確立されていった[1]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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