大嘗祭

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大嘗祭(だいじょうさい)とは、宮中祭祀のひとつであり、即位した天皇が初めて執り行う新嘗祭を指す。

概要[編集]

皇位継承に伴う重要な祭祀と位置付けられている。中心となるのが大嘗宮の儀と言われる。昭和から平成への代替わりの際は、皇居の東御苑に造営された巨大な大嘗宮で平成2年(1990年11月22日夕方から11月23日未明にかけて行なわれている。白い絹地の祭服を着た天皇陛下が伊勢神宮の方角に向かって座り、その年に収穫された米などを皇祖神などに供えた後、自らも食べて国家と国民の安寧と五穀豊穣に感謝し、祈るとされている。天皇が神と一体化する儀式とする説もある。宮内庁によると、平成の大嘗祭関連の費用はおよそ22億5000万円であった。

大嘗祭の起源は飛鳥時代末期の天武天皇持統天皇の頃であり、稲作文化を背景として皇位継承の国家的祭祀として整備された。平安時代の法令・儀式書の延喜式で儀式の内容が定められたと見られている。しかし室町時代になって朝廷が衰退、さらに応仁の乱室町幕府も衰退して乱世になるとおよそ220年の間にかけて中断を余儀なくされた。江戸幕府徳川綱吉の時代に世情が安定すると、東山天皇貞享4年(1687年)に再興したが、それも質素な小屋で催される程度のものだったという。
明治時代になると天皇が「万世一系」であるとの理念を体現するため、演出するために宮中祭祀や儀式の様式を登極令としてまとめ上げ、天皇を神格化するために大嘗祭は巨大化された重要儀式として生まれ変わった。これに基づいて大正天皇昭和天皇の代替わりは行なわれており、戦後政教分離の観点から登極令は廃止されたが、大嘗祭の規定だけは現行法令にないため、現在も前例にならって踏襲されている。

ただ、日本国憲法では政教分離に反するのではないかとする意見もあり、また膨大な国費を支出することから、即位の礼と大嘗祭への国費支出の違憲性が裁判で争われている。平成7年(1995年)の大阪高裁での判決は訴えが退けられているが、「政教分離違反の疑義を一概に否定できない」と判断されている。また、この儀式は新しい天皇が「神を初めてもてなす機会」であり、古来と変わらぬ所作で非公開であることから、天皇が「神と一体化」する儀式とする意見もあるが、宮内庁は平成時にこれを否定している。

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