後白河天皇
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後白河天皇(ごしらかわてんのう 1127年(大治2年9月11日) - 1192年(建久3年3月13日))は第77代天皇[1]。
概要[編集]
諱は、雅仁[読 1][2]。鳥羽法皇の第四皇子。本来なら皇位につく立場では無かったが、先代の近衛天皇に子がなかったことから、中継ぎ的な役割で即位することになった[2]。1158年に上皇になり1169年には法皇となり院政を行った[2]。
武家との関係は曖昧で、味方の時もあれば、敵の時もあった。
源頼朝には、在京公事が必要な官位しか与えず、後年征夷大将軍を与えない嫌がらせとされた。
脚注[編集]
読み方[編集]
- ↑ まさひと
注釈[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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