後三条天皇
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後三条天皇(ごさんじょうてんのう 1034年(長元7年7月18日) - 1073年(延久5年5月7日))は第71代天皇[1]。
概要[編集]
諱は、尊仁[読 1][2]。後朱雀天皇の第二皇子で、三条天皇の娘である禎子[読 2]内親王[注 1]を母とする。1045年(寛徳2年)、兄の後冷泉天皇が即位したのを機に皇太弟となった。しかし、藤原氏を直接の外戚としない尊仁が皇太弟になることを、関白、藤原頼通は非常にいやがっていたと『今鏡』には記載されている[1]。
後冷泉天皇は藤原頼通の娘である寛子を嫁がせていたが、皇子が生まれ無いまま後冷泉天皇が崩御したため、1068年(治曆4年)に後三条天皇として即位することになる[1]。
後三条天皇は、藤原氏との縁が薄く学問に精進し高邁な思想を兼ね備えており、周囲からも尊敬されていた[2]。
このため、関白が藤原頼通から藤原教通に移行したのを機会に自ら親政を行った[2]。
業績としては荘園管理令の発布と延久宣旨枡[読 3]の制定がある[2]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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