皇太子

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皇太子(こうたいし)とは、皇帝天皇に後継者であると指名された者が就く地位のことである。尊称は殿下(でんか)あるいは東宮(とうぐう)、春宮(とうぐう)と言う。

概要[編集]

皇太子は皇帝や天皇の「子」もしくは「養子」である場合のものであり、皇帝や天皇から見て「孫」に当たる場合は皇太孫(こうたいそん)と言われる。皇帝や天皇から見て「弟」に当たる場合は皇太弟(こうたいてい)と言われる。「娘」あるいは「養女」の場合は皇太女(こうたいじょ)と言われる場合もある。

皇太子は何事もなければ皇帝や天皇の「長男」が就くものであるが、その場合の政治状況や実力者の承諾の有無、権力争いなどにより必ずしも「長男」であるとは限らない。あくまで皇太子の地位は「次代の皇位」を約束された者が就くものであり、次男以下や養子が就く場合も多数存在する。

また、1度は皇太子の地位にありながら、実力者の都合で廃されたり、皇帝や天皇の意思で廃されたりした太子を廃太子(はいたいし)という。

日本では飛鳥時代から天皇家で皇位継承争いがスタートした頃から廃太子も盛んに行われており、平安時代には藤原氏摂関家として政権を掌握した頃に廃太子もピーク状態になっている。鎌倉時代以降は政権が武士に移ったため、廃太子や皇位継承争いも下火になり、明治時代以降は皇室典範が制定されたことにより、皇位継承が安定化して皇太子に関する争いも起きなくなった。

中国の場合、初めての皇帝が始皇帝であるため、その長男で太子に指名されていた扶蘇が初めての皇太子ということになる。しかし扶蘇は始皇帝の死後、丞相李斯宦官趙高により自殺させられたため、皇帝には即位していない。その後の中国の諸王朝でも皇位継承争いや皇太子の座をめぐる争いは起きているが、皇太子をめぐる争いで有名なものが三国志で起こった二宮の変である。

イスラム欧州でも皇位や皇太子の座をめぐる争いは起きているが、この中で有名なのがオスマン・トルコにおける「兄弟殺し」である。

また、現在では国王大公などの後継者も総じて皇太子と呼ばれているが、国王の場合は王太子(おうたいし)、王太弟(おうたいてい)、王太孫(おうたいそん)であり、大公などの場合は大公世子(たいこうせいし)、公世子(こうせいし)、世子(せいし)などと言われる。

皇太子は後継者としての地位を明確にするほか、皇帝や天皇が親征したりして国を留守にしたり、病気などで執務がとれない場合などにその代理として執務を取り仕切り、祭祀を総覧する役目もある。

著名な皇太子(王太子なども含む)[編集]

日本[編集]

中国[編集]

  • 扶蘇の始皇帝の皇太子。父の崩御後に自殺させられる)。
  • 孫登(呉の孫権の最初の皇太子。241年に早世)。
  • 孫和(呉の孫権の2番目の皇太子。孫登の弟でその死後に皇太子となるが、二宮の変で孫権に廃太子とされ、のちに自殺する。子の孫皓は呉の最後の皇帝となった)。
  • 司馬遹西晋恵帝の皇太子。司馬懿の玄孫。八王の乱賈南風に殺害された)。
  • 朱標の洪武帝(朱元璋)の長男で皇太子。1392年に早世。子の朱允炆が皇太孫となり、のちに建文帝として即位した)。

欧州[編集]

外部リンク[編集]