天皇
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天皇(てんのう)は現在の憲法では『天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。』(日本国憲法 第1条より引用)と定義されている存在である。長らく続いている。
概要[編集]
天皇の役割は時代によって変化する。第二次世界大戦前の大日本帝国憲法では『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』(大日本帝国憲法 第1条より引用)『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』(大日本帝国憲法 第3条より引用)『天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ』(大日本帝国憲法 第4条より引用) とあり、統治者として規定されていた。
現憲法では『天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし内閣がその責任を負う。』(日本国憲法 第3条より引用)、『天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行い国政に関する機能を有しない。天皇は法律の定めるところによりその国事に関する行為を委任することができる。』(日本国憲法 第4条より引用)、に変わり統治者から象徴へと立場が変化している。
明治時代以前も時代によって、神もしくは神に限りなく近い存在、国王もしくは国王に近い存在、天皇の祖父や父が権力を握り天皇が傀儡にすぎなかった時代(10世紀後半〜12世紀)征夷大将軍を任命するだけの時代(13〜19世紀)、等々に役割が変化している。
当代の天皇を、特に今上天皇と呼ぶ。
都市伝説[編集]
天皇には数多くの都市伝説があり、そのうち最も有名なのが日ユ同祖論(皇ユ同祖論)である。これはヘブライ語と日本語の関係から導き出されたものある。
また2024年にイランの国営放送が「天皇家はイラン人(いらんじん、いらんひとではない)である」と報じたことから、非公式にはイランの帝位請求権も所持するという解釈が一部で広まっている。また、パフラヴィー朝がこれを機に日本へ接近するのではないかという説も流れている。
天皇の公務[編集]
公務は国事行為・公的行為・その他の行為の3つに大きく分類される。詳細は各記事を参照。
国事行為[編集]
詳細は「国事行為」を参照
内容 | 憲法 | 項・号 |
---|---|---|
内閣総理大臣の任命 | 第6条 | 第1項 |
最高裁判所長官の任命 | 第2項 | |
憲法改正・法律・政令・条約の公布 | 第7条 | 第1号 |
国会の召集 | 第2号 | |
衆議院の解散 | 第3号 | |
国会議員の総選挙の施行の公示 | 第4号 | |
認証官の任免、全権委任状・大使および公使の信任状を認証 | 第5号 | |
大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除・復権の認証 | 第6号 | |
栄典の授与 | 第7号 | |
批准書及び法律の定めるその他の外交文書の認証 | 第8号 | |
外国の大使及び公使の接受 | 第9号 | |
国家的性格の儀式を行うこと | 第10号 |
公的行為[編集]
詳細は「天皇の公的行為」を参照
内容 | 式典 |
---|---|
国事行為の一環として その一部をなす儀式への臨席 |
国会開会式 |
親任式 | |
信任状捧呈式 | |
勲章親授式 | |
国事行為に伴う儀式への臨席 | 認証官任命式 |
文化勲章伝達式 | |
国民的行事への臨席 | 国民体育大会 |
全国豊かな海づくり大会 | |
全国植樹祭 | |
式典への臨席 | 全国戦没者追悼式 |
日本学士院賞授賞式 | |
日本芸術院賞授賞式 |
- 式典等公開の場で「おことば」を朗読する行為
- 国内巡幸・外国への公式訪問・被災地訪問・戦没者慰霊・施設企業訪問・地方事情視察
- 外国元首との親電交換・外国賓客の接受
- 拝謁(勲章・褒章受章者、被表彰者)・御会見(国賓)・御引見(外国賓客、外国大公使)・勤労奉仕団御会釈
- 宮中晩餐会(国賓)・午餐(公賓、大臣、駐日大使御夫妻)・お茶(日本芸術院賞受賞者、日本学士院賞受賞者)・園遊会の主催
- 講書始の儀・歌会始の儀
その他の行為[編集]
- 宮中祭祀
- 国事行為の儀式以外の皇室の儀式・行事(大嘗祭など)
- 神社参拝
- スポーツ天覧 (天覧相撲が多い
詳細は「大相撲」を参照
) - 展覧会・美術館・コンサートなどの鑑賞
- 茶会・午餐・晩餐・懇談など
- 親書・親電
- 進講
- 稲作
- 伝統文化活動
- 研究活動
天皇誕生まで[編集]
天地開闢から別天神まで[編集]
まず、日本国が誕生する前は混沌とした状態(カオス)であった。このカオスから天と地が生まれた。天には天之御中主神[読 1](日本書紀によると国常立尊[読 2])が誕生した。その後高御産巣日神[読 3]、神産巣日神[読 4]が生まれた[2][3]。これら三柱[注 1]の神は男神・女神の両方の性質を持ち、人間で言えば両性具有の神であった。三柱の神々は誕生とともにすぐ姿を隠した[3]。
天と地が別れてすぐの地は、出来たてのため海面に浮く油のような状態であたかも巨大クラゲが漂っているようで、まだ地表に岩石や土による強固な地盤が形成されていなかった[3]。ところが、その柔らかな地から伸びてきた芦のようなものから宇摩志阿斯詞備比古遅神[読 5](カビとかキノコとかの神様であったらしい)と天之常立神[読 6]が生まれた。この二柱も両性具有の神ですぐに姿を隠した。ここまでの五柱の神は、天地が出来上がったばかりに誕生した神々のため、別天神と呼ばれた[2][3]。
別天神以降から伊邪那岐神・伊弉諾の神まで[編集]
その後、国之常立神[読 7]、豊雲野神[読 8]が生まれる。この二柱も独神(ひとりがみ)であり、すぐに姿を隠した。この後、宇比地邇神[読 9]とその妻、須比智邇神[読 10]という男神と女神が生まれた。「この二柱は兄妹の関係であったが夫婦となった。兄妹の婚姻は神の世界では理想の結婚と考えられていた。神の世界での理想は人間界では禁忌(タブー)となったと思われる[4]。」っつー意見はあるが、それを言ったらアダムとイブだって兄妹だろ? 創世神話というのはそういうものである。
続いて、角杙神[読 11](男神)とその妻、活杙神[読 12](女神)が生まれた。次に、意富斗能地神[読 13](男神)とその妻、大斗乃弁神[読 14](女神)が生まれた。続いて於母陀流神[読 15](男神)とその妻、阿夜訶志古泥神[読 16](女神)が生まれた。続いて伊邪那岐神[読 17](男神。イザナキ)とその妻、伊邪那美神[読 18](女神。イザナミ)が生まれた。宇比地邇神から伊邪那岐神までの十柱の神々は男神と女神が夫婦なので二柱で一代[注 2]となる。
国之常立神から伊邪那岐神・伊邪那美神まで七代の神を「神世七代」と呼ぶ。
天之御中主神とダークマターの関係[編集]
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竹田恒泰によると、天之御中主神が古事記において最初に登場した神であり宇宙の根源、もしくは宇宙自体を形成する神であり、ありとあらゆるところに天之御中主神が存在しているが目に見えないと[5]主張しており、あたかもダークマターのような存在である。
また、現れるとともにすぐに姿をお隠しになった神々は、反物質と物質の関係を説明しているとも解釈出来るが、そんな事を真面目に研究するほど暇な科学者はこの世にいない。
伊邪那岐神と伊邪那美神による国生み[編集]
独自研究がたっぷり含まれているだけではなく今後も独自研究が増加する可能性があります。
天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神から伊邪那岐神と伊邪那美神に巨大クラゲが漂っているような柔らかな地を、しっかりとした大地に作り上げ国を作りように命令が下った。命令を遂行するために天の沼矛という矛の形をした装置を提供された[6]。伊邪那岐神と伊邪那美神は天空にある、天の浮橋に立ち天の沼矛を使って、地の海水部分に天の沼矛を差し込み海水をかき混ぜ、天の沼矛を引き上げた。かき混ぜるときに海水と天の沼矛の摩擦で発生したのか、天の沼矛が稼働する際の作動音かは古事記には記載が無いが「こおろ、こおろ」という音が発生した[5]。この結果誕生したのがオノゴロ島(自ら自然に固まって出来た島)である。
そして、伊邪那岐神と伊邪那美神は地上に降り結婚し、人間で言うところの性交のような行為、古事記では『故比の吾が身の成り余れる処を以、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、国を生み成さむと以為。生むこといかに』(新版 古事記 現代語訳付き 25頁5-7行目を引用[7])と記載されている行為を行い大八島(本州・九州・四国・淡路・壱岐・佐渡)を生んだ。その中でも最初に誕生したのが淡路島である[8]。 日本国のうち北米プレート上の北海道の記載が無い。また、西日本に比べて東日本の地名が少ないことから北米プレート上の日本がユーラシアプレート上の日本国と結合する前に日本国建国が伊邪那岐神と伊邪那美神によって行われたのか、ヤマト政権の支配が単純に東国まで至っていなかった[8]のかは意見の分かれるところである。(意見が分かれる余地は全く無くユーラシアプレート説は限り無く冗談に近い独自研究)
余談ではあるが、伊邪那岐神と伊邪那美神が人間で言うところの性交のような行為を行う際に女神である伊邪那美神から声をかけたところ、生まれてきたのが神では無く水蛙子[読 19]と淡島[読 20]という不完全な島であった。このため、二柱の神は高天原に一旦戻り、神々に相談する事になった。相談の結果声をかける順が男神、女神の順でなくてはならぬと指摘され、伊邪那岐神から声をかけて性交に似た行為を行った。言葉には力がある事は、米国トランプ新大統領のTwitterを例に出すまでもない事は現代では明白であるが、神世の時代から言葉には力があったことの証明でもある。
正しい順序で声をかけたところ、大八島をはじめとして多くの国が生まれた。 国生みで生まれた島の詳細正式名称は以下のとおり。
大八島
- 一 淡道之穂之狭別島[読 21]・・・・・・淡路島
- 二 伊予之二名島[読 22]・・・・・・四国
- 三 隠伎之三子島[読 26]・・・・・・隠岐諸島 天之忍許呂別[読 27]
- 四 筑紫島[読 28]・・・・・・九州
- 五 伊岐島[読 33]・・・・・・長崎県壱岐島 天比登都柱[読 34]
- 六 津島[読 35]・・・・・・長崎県対馬 天之狭手依比売[読 36]
- 七 佐度島[読 37]・・・・・・新潟県佐渡島
- 八 大倭豊秋津島[読 38]・・・・・・畿内を中心とする地域 天御虚空豊秋津根別[読 39]
八島の後に生まれた島
- 吉備児島[読 40]・・・・・・岡山県 児島半島 建日方別[読 41]
- 小豆島[読 42]・・・・・・香川県小豆島 大野手比売[読 43]
- 大島[読 44]・・・・・・山口県屋代島 大多麻流別[読 45]
- 女島[読 46]・・・・・・大分県姫島 天一根[読 47]
- 知訶島[読 48]・・・・・・長崎県五島列島 天之忍男[読 49]
- 両児島[読 50]・・・・・・長崎県男女群島の男島・女島 天両屋[読 51]
伊邪那岐神と伊邪那美神による神生み[編集]
伊邪那岐神と伊邪那美神は大八島等を作った後、島に住むべき神々を続々と生んだ[9]。 具体的には、住居にかかわる神を七柱[注 3]、水にかかわる神を三柱[注 4]、大地にかかわる神を四柱[注 5]、生産にかかわる神を三柱[注 6] の十七柱の神を生んだ。 最後に生んだ、火迦具土神[読 52]の出産時に伊邪那美神は、人間で言うところ性器にである御陰[読 53]に大やけどを負い病床についた[9]。
病床の伊邪那美神による神生み[編集]
伊邪那美神の嘔吐物から二柱[注 7]が生まれた。また大便から二柱[注 8]、尿からも二柱[注 9]の神が生まれた[9]。
他の宗教と比較して神が多い理由[編集]
世界の主要な宗教は唯一神もしくは絶対神をあがめている。日本では、一本の木や岩石等のありとあらゆる物に神が宿ると信じられている[10]。日本で神は絶対でもなければ唯一でもないし、絶対である必要性も唯一である必要性もない。日本の神はゼネラリストではなくスペシャリスト集団であると考えるのが妥当である[11]。神は高天原という社会を持っており、争いごともあり、結婚もあり、誕生もあり、死もある人間に近い集団である[11]。
伊邪那岐神と伊邪那美神のその後[編集]
結局、伊邪那美神は亡くなり黄泉国へ行ったのであるが、伊邪那美神の事が忘れられない伊邪那岐神は黄泉国へ追いかけていくことになる。伊邪那岐神が黄泉国にたどり着くと御殿の扉が開き伊邪那美神と再会を果たす。当然、伊邪那岐神は一緒に帰ることを伊邪那美神に申し出る。しかし、伊邪那美神は「黄泉国の食べ物を食べてしまい黄泉国の住人になってしまったので帰れない。しかし、愛する伊邪那岐神がわざわざ迎えにきてくれたので何とか帰れるように調整するので時間を下さい。その間は、決して私を見ないと約束して下さい。」と答える。「見るな!」と言われると見たくなるのは『鶴の恩返し』にあるように神も人間も同じで、待ちきれなくなった伊邪那岐命は約束を破って御殿の扉を開いてしまう。するとそこには腐敗して蛆にまみれて変わり果てた伊邪那美命の姿があった。
びっくりした伊邪那岐命はあろうことか逃げ出してしまった。醜い姿を見られた伊邪那美命は怒り狂い予母都志許売[読 54][注 10]に伊邪那岐命を追いかけさせた。また、予母都志許売以外にも黄泉国の軍勢が多数追いかけてきた。伊邪那岐命は逃げる途中に生えていた桃の木の実を三個とって軍勢に投げつけると、なぜか軍勢の勢力が失われた。桃の木に命を助けられた伊邪那岐命は桃の木に「私を助けてくれたように、青草人[注 11]が苦しむときも同じように助けよ。」と命じて意富加牟豆美命[読 55]と名付けた。
最後の最後で、伊邪那美命が醜い姿で追いかけてきた。伊邪那岐命は『火事場の馬鹿力』で千引の岩と呼ばれる巨石で黄泉国との道を塞いでしまう。 伊邪那美命は捨て台詞として「あなたの国の人々を一日千人絞め殺してやる!」との暴言を吐いたため、伊邪那岐命は「愛していた妻がそのようなことを言うのであれば、一日千五百人子供が生まれるようにしてやる!」と言い放った。まあ、お互い言い過ぎの感もあり特に伊邪那岐命は愛していた妻が醜くなったという理由で逃げたのは愛情に欠けると世の女性から非難を受けても致し方が無い。結局2人は喧嘩別れとなり伊邪那岐神は黄泉国から帰ってくる[9][12]。
元々綺麗好きだった伊邪那岐神は帰ってきて[注 12]、来ているものを脱ぎ全身を洗い清めた。脱ぎ捨てた物や洗い清めた時にも多数の神が生まれた。最後に左目を洗ったときに生まれたのが天照御大神[読 56]、右目を洗ったときに生まれたときに生まれたのが月読命[読 57]、鼻を洗ったときに生まれたのが建速須佐之男命[読 58]である[13]。
天照御大神と建速須佐之男命の確執[編集]
伊邪那岐神が生んだ最後の三柱の神である天照御大神・月読命・建速須佐之男命は三貴子[読 59]と名付け、天照御大神には高天原の統治、月読命には夜の世界の統治、建速須佐之男命には海原の統治を命じた[14]。
しかし、建速須佐之男命は泣いてばかりで統治を放棄したため伊邪那岐神が追放した。追放された建速須佐之男命は自分では母と思っている伊邪那美神がいる黄泉国へ向かおうとした。しかし、その途中で天照御大神に事の次第を説明に行こうとした[15]。しかし、天照御大神はすさんだ心の建速須佐之男命が高天原で氾濫を起こすのでは無いかと思い完全武装で待ち構えていた。
建速須佐之男命と天照御大神は話し合いの末、誓約(うけい)をして子を生み生んだ神によって建速須佐之男命の本位を探ることにした。建速須佐之男命は結果を勝手に解釈して自分の勝利と宣言し新田や高天原で大暴れをした。当初は建速須佐之男命行為をかばっていた天照御大神も愛想を尽かし天岩戸をひらき中の洞窟に引きこもってしまい、高天原も葦原中国も漆黒の闇に包まれてしまった。
天岩戸伝説の顛末[編集]
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漆黒の闇に包まれ昼が来ない夜だけの世界になり、沢山の神の声が夏のハエのように満ちあふれ、万の災い事が起こるようになった。月読命には夜の世界の統治をする役割があったが、なぜか天岩戸の伝説においては登場しない。おそらくは天照御大神と二交代で勤務していたのが24時間体制で働くことを余儀なくされたため登場出来なかったと思われる。そういった意味では陰の立て役者=月読命であったと考えられる。
八百万の神々は相談の上「智恵の神」である思金神[読 60]に知恵を借りることになった。思金神は高御産巣日神の子である由緒正しき神である。思金神は計略として「祭り」を採用した。常世の長鳴き鳥[注 13]を大量に集め一斉に鳴かせた。ちなみに常世の長鳴き鳥を鳴かせることは太陽の出現を促す呪術であった。次に、雨の安の川上流にある天の堅石[注 14]を製鉄し、伊斯許理度売命[読 61]に命じて鏡を作らせるとともに、玉祖命[読 62]に命じて八尺勾玉[読 63]の五百箇[読 64]の御すまるの玉[注 15]を作らせた。
天の香山[読 65]に生えていた巨大な榊を根ごと掘り出し、上の枝に八尺勾玉に取り付け、中間の枝には伊斯許理度売命につくらせた八尺鏡[注 16]を取り付け、下の枝には木綿と麻の布を垂らし、巨大なお供え物を作成した。このお供え物を布刀玉命[読 66]が取り持ち、天児屋命[読 67]が祝福の祝詞を奏上した。また、天照御大神がお隠れになった天岩戸のすぐ脇に腕力の神様である天手力男神[読 68]を配置した。
祝詞の奏上に続いて、神楽がはじまった。天宇受売命[読 69]がセクシーダンス[注 17]を披露し、高天原がどよめき八百万神がどっと笑った。高天原が大騒ぎになっていることを不審に思った天照大御神は天の石屋戸を少しだけあけ「自分がヒッキーになったのに、どうしてみんなは楽しく踊り笑っているのか?」とつぶやかれた。それに対して天宇受売命が「天照大御神より尊い神がいらっしゃったので、我々は喜び舞っているのです。」と答えるとともに、天児屋命と 布刀玉命が、石屋戸の隙間に八尺鏡を差し入れたところ、天照大御神は鏡に映る自分の姿を、自分に似た別の太陽の神と勘違いして、石屋戸から外をのぞこうとした瞬間に天手力男神が天照大御神を力ずくで引っ張り出し、天児屋命と布刀玉命が石屋戸にしめ縄を張り中に戻れなくした。
かくして思金神の作戦どおりに、天照御大神が天の石屋戸から外へ出られたので高天原と芦原中国に明かりが戻った。結局、この事件の原因を作った須佐之男命は八百万の神々の合議の上、高天原から追放されることになった。またこの時使用した鏡と玉が三種の神器の二つになる。
この世が漆黒の闇が訪れて天災が発生したという伝説は世界各地に残っている。ノアの箱舟やモーセによる海割れ現象等もおよそこの時代の出来事である。この怪奇現象の伝承について、この時代に火星と金星の位置が入れ替わった影響で地球の自転が一旦停止したという重大な研究成果をイマヌエル・ヴェリコフスキーが『衝突する宇宙』という文献の中で精緻に説明している[16]。
建速須佐之男命のその後[編集]
追放後色々あって、その間に『蚕』、『稲』、『粟』、『小豆』、『麦』等の日本人の生活に欠かせ無いものを生み出したりもした。出雲国に建速須佐之男命が降り立ったところ、八俣遠呂知[読 70]が来て毎年娘を一人ずつ食べてしまい、ついには最後の一人になってしまったという話を聞く。
建速須佐之男命は娘を助ける代わりに娘を嫁にくれという条件を提示する。渋々なのか喜んでなのかまでは古事記に記載されていないが、『国つ神』、大山津見神の子で有る足名稚、手名稚からしてみれば、曲がりなりにも『天つ神』である建速須佐之男命に娘を差し出すのは八俣遠呂知に食われてしまうよりは良い選択であったと思われる[注 18]。
で、ご存じ八俣遠呂知を酒に酔わせてやっつけるという建速須佐之男命の作戦が決行される。結果、八俣遠呂知やっつけたばかりではなく草薙剣をゲットし、天照御大神の心証を少しでも良くするため、献上した。
大国主神の誕生[編集]
建速須佐之男命が助けた娘は櫛名田比売であり、この二柱の間に生まれたのが八島奴美神であり、この後色々な経緯があり建速須佐之男命の六世孫(八島奴美神の血統)として大国主神が生まれる。
大国主神には大勢の兄弟神、八十神がいた。おそらく大国主神は末っ子であったと思われる[17]。当初は大穴牟遅神[読 71]と呼ばれていた。八十神たちは稲羽(いなば)に住む八上比売[読 72]に惚れ込み、求婚のためにこぞって出かけることになり、荷物持ちの従者として 稲羽に同行することになった。
ここからは所謂『因幡の白ウサギ』話になる。和邇(わに)を欺き隠岐島から本州に渡ってきた兎が、和邇に毛をことごとくかきむしられてしまったあげく、八十神たちに嘘の治療法を教えられ苦しんでいるところを大穴牟遅神が正しい治療を行い兎を救った。その兎から「必ず貴方は八上比売と結ばれる。」と予言される。
実際、八十神達は八上比売に袖にされ、あげく「私は大穴牟遅神と結婚します。」という悪魔の宣言を聞くこととなった。 八十神達は2度にわたる暗殺を決行するも、2度とも大穴牟遅神は母神の刺国若比売[読 73]の尽力で蘇りに成功する。また、3度目の暗殺計画の際には大穴牟遅神を須佐之男命のいる根之堅州国[読 74]へ逃亡させている。
大国主神と須佐之男命[編集]
大穴牟遅神は須佐之男命のいる根之堅州国に逃亡してすぐに、須佐之男命の娘である須勢理毘売[読 75]に出会い恋に落ちる。恋に落ちるだけでなく須佐之男命に確認もせず結婚までしてしまった。 これを聞いた須佐之男命は、大穴牟遅神が須勢理毘売に見合った神であるかどうかを見定めるため、幾つかの試練を与える。一説には大穴牟遅神殺害の意志があったとも言われている。大量の蛇と同じ部屋で一夜を過ごさせたり、百足と蜂の巣の中で一夜を過ごさせたり、あげくは野原に火を放ち大穴牟遅神を絶体絶命の窮地にまで追い込んだりした。まだまだ、試練は続きそうであったが須佐之男命が眠っている隙に、大穴牟遅神と須勢理毘売は脱出に成功する。
諦めたのか最初からのもくろみなのかは判然としないが、須佐之男命は自分から奪った生太刀と生弓矢で八十神をやっつけること、須勢理毘売を正妻とすること。大穴牟遅神は大国主神、そして宇都志国玉神[読 76]となり国づくりをするよう命じた。大国主神は命令どおり八十神を殲滅し国を作り始めた。
大国主神 英雄色を好む[編集]
神も人間も同様であると言うことなのか判然としないが大国主神も恋多き男神であった。既に、八上比売が妻としているところに須勢理毘売を連れて帰って正妻にしたため、八上比売は実家に帰ってしまう。それ以外にも沼河比売[読 77]他3名の女神との間に神を多数も受けた。須勢理毘売の嫉妬に狂った歌が古事記に残っている。
色を好むだけでなくもちろん英雄らしいはたらきもしたため、葦原中国を完成させ国作りを終えることとなった。葦原中国は大変な賑わいを見せ、その様子は高天原にも伝わった。
国譲り[編集]
独自研究がたっぷり含まれているだけではなく今後も独自研究が増加する可能性があります。
征服王朝説とか諸説の詳細についてはWikipediaにお任せして、古事記の記載にのっとって国譲りを見ていく。
三貴子の中でも最も偉い天照御大神が「葦原中国は、我が子、正勝吾勝勝日忍穂耳命[読 78]、別名、天忍穂耳命[読 79]が統治すべきである。」と命令を下した以上は大国主神も「やむなし」と理解していたと思われる。
しかし、最初にやってきた天菩比神[読 80]は葦原中国で大国主神にこびへつらって3年もの間滞在するも「国譲り」の話は切り出せなかった。このため、高天原からは天若日子[読 81]に、新兵器の天之麻迦古弓(あめのまかのこゆみ)と天浪波矢(あめのははや)を装備させて葦原中国に向かった。しかし、大国主神の娘である下照比売[読 82]と結婚し、自分が大国主神の後継者になることを考え始めた。
細かいことはさておき、天若日子は8年もの間帰らず、大国主神の後継者になることを密かに考え出していたので、高天原にとっても葦原中国にとっても危険な人物としてマークされるようになり、結果、暗殺されてしまった。
大国主神は既に2度にわたり、話にもならない使者に辟易としていおり、無用な争いが起きることを危惧するとともに、国を統治する気力がだんだんと萎えてきていた(要はアホらしくなった)。次に訪れた建御雷神[読 83]と天鳥船神[読 84]には会うことも無く、息子の八重言代主神[読 85]に権限を委譲してしまった。既に、大国主神は葦原中国の統治程度の話で高天原の使者と話す気力なくなり、統治に興味が無くなってきたことがうかがえる。息子の八重言代主神は大国主神の気持ちをくんで国譲りを承認する。
しかし、洒落っ気の多い怪力の持ち主である八重言代主神の弟である建御名方神[読 86]が現れ、一悶着がおこる。一悶着と言うより大国主神一族が負けた形をとる儀式とみるのが正しい。で、結局は手打ちとなった。建御雷命と天鳥船神が大国主神の前にやってきて国譲りが決定し、出雲に大国主神一族は移住することになった。また、出雲には巨大建造物が作られることになった。
天孫降臨[編集]
序章[編集]
10年以上の無駄な時間を費やして、国譲りに成功した天照御大神は正勝吾勝勝日忍穂耳命に葦原中国を統治に行くよう命ずるが、既に10年以上の年月がたっており正勝吾勝勝日忍穂耳命は、その座を天邇岐志国邇志天津日高日子番能邇邇芸命[読 87]、別名、邇邇芸命[読 88]に譲った。 天照御大神は邇邇芸命が降臨する際に「三種の神器」(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫ではなくて八尺勾玉・八咫鏡・草薙剣)を渡した。 また、天照御大神は家臣として職業別に、天児屋命[注 19]、布刀玉命[注 20]、天宇受売命[注 21]、伊斯許理度売命[注 22]、玉祖命[注 23]の五柱の神を供につけた[注 24]。 さらに、天照御大神は『国譲り』での失敗に懲りて、天岩戸の伝説の際に活躍した思金神、手力男神、天石門別神の三柱も同伴させるというプロ野球に例えるなら阪神タイガース1985年優勝時のラインナップ並み[注 25]の最強ラインナップで挑んだ。
邇邇芸命と思金神は三種の神器のうち一番壊れやすい八咫鏡を伊勢神宮に祀ることにした。その後、天照大神が伊邪那岐命から生まれた地である九州に葦原中国統治の拠点をさだめることになった。
邇邇芸命は地上で花の神である木花開耶姫[読 89]という名前だけでも容姿端麗、才色兼備を想像させる姫と結婚する。この結婚は、木花開耶姫の姉である石の神である磐長姫[読 90]と抱き合わせ結婚であったが、磐長姫が名前の通り恐ろしく醜かったため結婚当日に追い返してしまうという蛮行にでてしまった[18]。当然そんな事をすればしっぺ返しがあるわけで、天皇は神でありながら花にように栄えても、石のように長らえることが出来なくなってしまった[19]。
そんなこともあったが木花開耶姫は邇邇芸命との間に子を授かることになる。しかし、邇邇芸命は「たった一晩をともにしただけで子が授かるわけが無い。その子は天つ神である私の子では無い。きっと国つ神の子供である。」との暴言を吐く。このため、木花開耶姫は出入り口の無い八尋殿[注 26]を作りその中に入り、火を放ち燃える炎の中で無事出産し邇邇芸命の子を授かったことを証明した。出産したのはあわせて三柱で、火照命[読 91][注 27]、火須勢理命[読 92]、火遠理命[読 93]別名は天津日高子穂穂出見命[読 94]である。
海幸彦・山幸彦[編集]
火照命は海の幸を獲る男として海佐知昆古[読 95](海幸彦)と呼ばれ、火遠理命は山の幸を獲る男として山佐知昆古[読 96](山幸彦)として各々別々に暮らしていた。好奇心旺盛な弟の火遠理命は、兄の火照命に「たまには、お互い獲る獲物を変えて見ないか?」と我が儘な申し出をする。最初は断っていた火照命も、等々根負けして少しだけ道具を交換することになった。これが、兄弟間の確執の原因になるとは誰も想像出来なかった。
火遠理命は勇んで海に出たものの結局一匹の魚も捕ることが出来なかったばかりか、兄が大事にしていた釣り針を無くしてしまった。間の悪いことに兄が山から戻ってきて「やっぱりお互いもとに戻さないか?」と言いだした。恐らく兄は嫌々、山の幸を取りに出かけたので直ぐにいやになって帰ってきたと想像される。 そこで、火遠理命は正直に釣り針を無くしたことを兄に告げて謝った。しかし、兄としては弟の我が儘に付き合わされたあげく大事な釣り針まで無くされたので当然ながら逆上してしまう。そして「もとの釣り針を帰せ!!」と兄らしい無茶な要求を突きつける。普通ここまで兄弟喧嘩がこじれれば、親が出てきて仲裁に入るのが普通であるが邇邇芸命と木花開耶姫は仲裁にも入らなかった。既に夫婦の関係は修復不能になっており両親ともネグレクトになっていた可能性がある。
火遠理命は自分の十拳剣[読 97]を打ち砕いて五百本の釣り針を作って、兄に献上して許しを請うことにしたが鋼を打ち砕いて釣り針を作るのは相当難しく、また品質的にも問題があったため火照命は兄のプライドもあったので受け取らなかった。火遠理命は今度は鋼ではなく鉄から千本の釣り針を作って兄に送ったがこれも受け取ってもらえなかった。普通なら兄は兄らしく「お前の努力は認めてやる。今回のことでお前も懲りただろうからお互い自分の役割を一生懸命果たそう。」って感じで治めるのが兄の度量というものであるが、火遠理命の作った釣り針が努力の跡が全く見られない不出来なものだったのか、度量が本当に狭かったのかは不明であるが仲違いは決定的になってしまう。
途方に暮れた火遠理命が海辺で泣いていると潮流を司る塩椎神[読 98]が現れて泣いている理由を尋ねた。火遠理命が正直に事情を話したところ気の毒に思った塩椎神は竹籠の船を作り潮流に乗せて綿津見神[読 99](海神)の宮殿へ向かわせることにした。そして「宮殿傍らの井戸のうえに桂の木があるのでその木の上に座っていれば、海神の娘がうまくやってくれるでしょう。」と親切なアドバイスをもらう。
火遠理命は言われたとおり、桂の木の上で待っていると海神の娘、豊玉昆売[読 100]の侍女が都合良く現れ、侍女はイケメンの火遠理命が気になり声をかける。火遠理命はアピールのチャンスと見て取って、水を所望し侍女が玉器に入れた水を差しだしたところ、火遠理命は自分の首飾りの玉を玉器にくっつけて取れなくすると言う今で言う手品(当時は呪力と言った)を披露して侍女の歓心を惹いた。
侍女が豊玉昆売に事の次第を伝えた所、目論見どおりに豊玉昆売があらわれ火遠理命に一目惚れしてしまう。恋愛に積極的な豊玉昆売はすぐに父の海神にイケメン男子のことを伝えたところ、海神は火遠理命が天つ神であることを見抜いた。 そして、早々に火遠理命と豊玉昆売の婚礼をとりおこなった。で、迂闊にも火遠理命はそれから三年ものあいだ、綿津見神の宮殿で過ごしてしまった。三年もの月日が流れすっかり釣り針のことは忘れていたのであるが、ある日不幸なことに、釣り針の件を思い出して落ち込んでしまう。
心配した、海神と豊玉昆売が事情を尋ねたところ、正直に釣り針を無くし塩椎神からアドバイスをもらってここへ来てしまったが、海神と豊玉昆売が余りにも親切にしてくれたのですっかり釣り針のことを忘れてしまっていた。今更どうしようも無いので嘆き悲しんでいます。と正直に答えた。海神は娘婿が困窮しているので海の魚を全員集めて調査したところ、鯛の喉からあの釣り針を発見することに成功する。
ただし三年もの間、兄に連絡も取らず勝手に結婚までしていたのであるから、兄の怒りが頂点に達しているのは想像に難くない。下手をすると命も危うい状態になっている可能性もある。このため、海神は一計を講じる。海神は火遠理命に「この釣り針をお兄さんに返すとき『この針は心のふさがる釣り針、心の猛り狂う釣り針、貧乏な釣り針、愚かな釣り針』といって後ろ手に渡しなさい。」(現代語古事記 ポケット版 P174より引用)[20]と伝える。これは、呪いの一種であり兄から火遠理命を守るための究極の奥義であった。のちに、この呪いが大英帝国に伝わりサッカーにてバックパスをすることで不吉なことが発生すると言われるようになり、プレミアリーグではバックパスに対するブーイングが今でも強烈である。(ただし、確かな研究は歴史学とスポーツ学という2つの学問の壁に阻まれ遅々として進んでいない。)
結果として、この呪いのお陰で火遠理命は無事釣り針を返却し、兄の火照命は徐々に貧しくなり弟に対して攻撃を加えるも、火遠理命の勝利に終わる。その後火照命の子孫の隼人は今日に至るまで天皇に絶対服従することとなった。それにしても、海神は出来の悪い娘婿に対してここまで尽くすとは、娘がよほど可愛かったと思われる。
そうこうしているうちに、豊玉昆売が「できちゃった!」と言って火遠理命を尋ねてくる。邇邇芸命のように残酷では無かった火遠理命は海辺の波打ち際に産屋を作り出産にそなえた。いよいよ、出産と言うときに豊玉昆売が「出産中は中をのぞかないで下さい。」と言ったにもかかわらず約束を違えてしまう。この辺は伊邪那岐命とよく似ている。要するに豊玉昆売は海に住む世界に者なので出産時は本来の姿である八尋和邇の姿で出産せざるを得なく、その姿を見られなかったのであるが、やっぱり見てしまったということである。で、豊玉昆売はいたたまれなくなり海神の世界へ帰ってしまう。
生まれたのは天津日高子波限建鵜葺草葺不合命[読 101](鵜葺草葺不合命[読 102])である。豊玉昆売はいたたまれない気持ちがあるものの、火遠理命への恋心も捨てきれず妹の玉依頼昆売を御子の養育係として託すことにした。
その後、火遠理命は五百八十年高千穂宮に住むこととなった。天津日高子波限建鵜葺草葺不合命は叔母の玉依頼昆売命と結婚し五瀬命[読 103]、稲氷命[読 104]、御毛沼命[読 105]、若御毛沼命[読 106]、別名、豊御毛沼命[読 107]、またの名を神倭伊波礼毘古命[読 108]を生んだ。稲氷命は母の国である海神の世界へ向かった。御毛沼命は波を越えて常世の国に渡った。そして、神倭伊波礼毘古命は初代天皇への道を進むことになる。
日向出立[編集]
神倭伊波礼毘古命と兄である五瀬命は高千穂で相談の上、葦原中国を統治するため九州南部から東に移動することになった。途中、豊国[読 109]の宇佐(大分県宇佐市)では宇佐津比古[読 110]、𡧃佐津比売[読 111]の二人がいともたやすく服属の意を示した。勢いを借りてさらに九州北部へ移動するが筑紫の岡田宮(福岡県遠賀川河口付近)では一年間滞在、阿岐国の多祁理宮[読 112](広島県府中町)では七年滞在、吉備の高嶋宮では八年滞在することとなり、東への進出は困難があったと思われる。大国主命が平定し繁栄させた葦原中国を天照大神の威光をもってしても簡単には統治出来なかったわけである。
明石海峡付近と思われるで亀の甲らに乗り羽ばたき来る人と会う[注 28]。話を聞いてみると人では無く国つ神の一人であると自称した。また、「海の道のことはよく知っている。」と答えたため槁根津日子[読 113]という名前を神倭伊波礼毘古命が与えた。槁根津日子はその後、倭国造[読 114]となり奈良盆地東部を支配する豪族の祖先となる。
五瀬命の戦死[編集]
槁根津日子を水先案内に波速之渡[読 115][注 29]を経由して青雲の白肩津[読 116][注 30]で停船する。この時、登美能那賀須泥昆古[読 117](登美昆古[読 118])が兵を配して待ち構えており、一戦交えることになった。神倭伊波礼毘古命たちは盾をとって船から降り地上戦となったので、この地が盾津[読 119]と呼ばれるようになった。
戦いの結果、五瀬命は瀕死の重傷を負う。五瀬命は重傷を負いながらも「敵が日を背にし、我々は日に向かって戦ったことに敗因がある。敵軍の裏手に回り込み、次の戦いでは我々が日を瀬にして戦うよう布陣すべし。」と指揮した。おそらく五瀬命は神倭伊波礼毘古命の軍師的な役割をしていたと思われる。神倭伊波礼毘古命軍は五瀬命の指示に従い大阪府南部をへて紀国(紀伊国和歌山県南部三重県南部)の男之水門[読 120][注 31]に到着する。ここで五瀬命は絶命してしまう。 兄であり軍師を無くした神倭伊波礼毘古命軍は五瀬命の指示を忠実に守り、熊野村[読 121][注 32]までたどり着く。しかし、強行軍かつ兄であり軍師である五瀬命を失ったとこで神倭伊波礼毘古命は体調を崩し床に伏せってしまう。また、神倭伊波礼毘古命軍の士気も大いに下がる。
そこへ高倉下[読 122]が現れ、持ってきた太刀を神倭伊波礼毘古命に献上した。すると、奇跡が起こる。神倭伊波礼毘古命は元気を取り戻し軍の士気も回復する。神倭伊波礼毘古命が高倉下にお礼旁々太刀を持ってきた理由を尋ねると、高倉下は「夢の中で、天照大御神と別別天神の一柱である高木の神(高御産巣日神)の二柱の神が、建御雷神を呼ばれて、『葦原中国平定が上手くいってないようである。我が子たちも苦戦している。そもそも、葦原中国は建御名方神と力比べをして建御雷神が平定した国だから応援加勢に行きなさい。』と命令されました。しかし建御雷神は『私が下らなくても、葦原中国を平定した太刀を送れば万事解決します。太刀は高倉下に持って行かせれば良いでしょう。』と答えられ、次に私に向かって『今の話聞いていたよね?明日の朝目覚めたら枕元に太刀が有るから、神倭伊波礼毘古命に届けてやってね。』と言われました。そして、朝目覚めると本当に太刀があったのでお届けに参りました。」と答えた。
何はともあれ、神倭伊波礼毘古命軍は建御雷神の与えてくれた太刀のお陰で勢力を回復する。この太刀の呼び名は三つあり佐士布都神[読 123]、甕布都神[読 124]、布都御魂[読 125] と呼ばれ、石上神宮[読 126](奈良県天理市の石上神宮)に鎮座している。
ヤマト平定へ[編集]
高御産巣日神は神倭伊波礼毘古命に八咫烏[読 127]を与え行軍経路を案内させることにした。八咫烏の案内のお陰で、その後の戦いは圧倒的に有利に進めることが出来た。吉野川[注 33]下流の国つ神、贄持之子[読 128]が早々に帰順する[注 34]。また、後に吉野首[読 129]として奈良県吉野郡の氏族の祖先となる国つ神の井氷鹿[読 130]や、吉野の国巣[読 131][注 35]も恭順する。
別天神である高御産巣日神が与えた八咫烏の威力は凄まじいものがあった。行軍を進め宇陀に到着する。宇陀には兄宇迦斯[読 132]と弟宇迦斯[読 133]という強敵が待ち構えていた。まず八咫烏を使者として使わせ恭順するように命令するが、兄宇迦斯が八咫烏を矢で射って追い返してしまう。兄宇迦斯と弟宇迦斯は手勢を集めようとするが十分な軍勢を集めることが出来なかった。このため、兄宇迦斯は御殿をつくりその中に踏むと圧死する仕掛けを作りそこへ神倭伊波礼毘古命をおびき寄せようとした。そして、嘘の恭順の意を神倭伊波礼毘古命軍に伝えた。
しかしこの計略は弟宇迦斯の裏切りによっていともたやすく発覚してしまう。神倭伊波礼毘古命の臣下である道臣命[読 134][注 36]と大久米命[読 135][注 37]が兄宇迦斯を呼びだし「恭順するために作った御殿であれば、今後どのように恭順の意をあらわすのか、まずは兄宇迦斯、おまえが入ってどのように仕え奉るのかを見せてみろ。」と刀と矛と弓を向けられ命令される。事ここに至っては万事休すで兄宇迦斯はみずから作った罠にはまり圧死してしまう。弟宇迦斯は兄宇迦斯を裏切ることで神倭伊波礼毘古命の臣下となり、その後、宇陀水取[読 136][注 38]となる。兄弟での骨肉の争いは戦国時代を待つまでも無くこの頃から平然と行われていたようである。
八咫烏を得てから神倭伊波礼毘古命軍は連戦連勝する。忍坂[読 137](奈良県桜井市)では土雲[読 138][注 39]の八十健[読 139][注 40]が待ち構えていたが、神倭伊波礼毘古命が歌を詠むのを合図に斬りかかり殲滅してしまう。兄宇迦斯を滅ぼしたときも神倭伊波礼毘古命は歌を詠んでいるが、この頃になると鼻歌歌いながらでも勝てるほどに強力な軍になった事が見て取れる。神倭伊波礼毘古命は合計六首の歌を詠むことになるが、この六首を「久米歌[読 140]」と呼ぶことになる。
意外な結末[編集]
兄師木・弟師木のような雑魚を片付けたところに、邇芸速日命[読 141]が現れる。そして神倭伊波礼毘古命に「神倭伊波礼毘古命を追っかけて天より下ってきました。」と伝える。また、驚くべき事に邇芸速日命は宿敵である登美昆古を既に支配下におさめていた。そればかりではなく登美昆古の妹である登美夜昆売[読 142]を妻にして宇麻志麻遅命[読 143][注 41]と呼ばれる子までもうけていた。
と言うことで、道中色々ありましたが最後は邇芸速日命が突然現れ宿敵の登美昆古と戦うことも無く平定に成功する。畝火の白檮原宮[読 144](奈良県橿原市畝傍町)に都を置き天下を治めることとなった。神倭伊波礼毘古命は後に神武天皇 と呼ばれることとなる。
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
読み方[編集]
- ↑ あめのみなかぬしのかみ
- ↑ くにとこたちのみこと
- ↑ たかみむすひのかみ
- ↑ かむすひのかみ
- ↑ うましあしかびひこじのかみ
- ↑ あめのとこたちのかみ
- ↑ くにのとこたちのかみ
- ↑ とよくもののかみ
- ↑ うひじにのかみ
- ↑ すひちにのかみ
- ↑ つのぐいのかみ
- ↑ いくぐいのかみ
- ↑ おおとのじのかみ
- ↑ おおとのべのかみ
- ↑ おもだるのかみ
- ↑ あやかしこねのかみ
- ↑ いざなきのかみ
- ↑ いざなみのかみ
- ↑ ひるこ
- ↑ あわしま
- ↑ あわじのほのさわけのしま
- ↑ いよのふたなのしま
- ↑ えひめ
- ↑ いいよりひこ
- ↑ おおげつひめ
- ↑ おきのみつごのしま
- ↑ あめのおしころわけ
- ↑ つくしのしま
- ↑ しらひわけ
- ↑ とよひわけ
- ↑ たけひむかひとよくじひねわけ
- ↑ たけひわけ
- ↑ いきのしま
- ↑ あまひとつはしら
- ↑ つしま
- ↑ あめのさでよりひめ
- ↑ さどのしま
- ↑ おおやまととよあきづしま
- ↑ あめのみそらとよあきづねわけ
- ↑ きびのこじま
- ↑ たてひかたわけ
- ↑ あずきしま
- ↑ おおのてひめ
- ↑ おおしま
- ↑ おおたまるわけ
- ↑ おみなしま
- ↑ あまひとつね
- ↑ ちかのしま
- ↑ あめのおしお
- ↑ ふたごのしま
- ↑ あめのふたや
- ↑ ひのかぐつちかみ
- ↑ みほと
- ↑ よもつしこめ
- ↑ おおかむずみのみこと
- ↑ あまてらすおおみかみ
- ↑ つくよみのみこと
- ↑ たけはやすさのおのみこと
- ↑ みはしらのうずのみこ
- ↑ おもいかねのかみ
- ↑ いしこりどめのみこと
- ↑ たまのおやのみこと
- ↑ やさかのまがたま
- ↑ いおつ
- ↑ あまのかぐやま
- ↑ ふとたまのみこと
- ↑ あめやのこやねのみこと
- ↑ あめのたぢからのおかみ
- ↑ あめのうずめのみこと
- ↑ やまたのおろち
- ↑ おおあなむぢのかみ
- ↑ やがみひめ
- ↑ さしくにのわかひめ
- ↑ ねのかたすくに
- ↑ すせりびめ
- ↑ うつくしにたまのかみ
- ↑ ぬまかわひめ
- ↑ まさかつあかつかちはやひあめのおしほのみみのみこと
- ↑ あめのおしほみみのみこと
- ↑ あめのほひのかみ
- ↑ あめのわかひこ
- ↑ したてるひめ
- ↑ たけみかづちのかみ
- ↑ あめのとりふねのかみ
- ↑ やえしろのぬしがみ
- ↑ たけみなかたのかみ
- ↑ あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと
- ↑ ににぎのみこと
- ↑ このはなさくやひめ
- ↑ いわながひめ
- ↑ ほでりのみこと
- ↑ はすせりのみこと
- ↑ ほおおりのみこと
- ↑ あまつひこほほみのみこと
- ↑ うみさちびこ
- ↑ やまさちびこ
- ↑ とかちのつるぎ
- ↑ しおつちのかみ
- ↑ わたつみのかみ
- ↑ とよたまびめ
- ↑ あまつひこなぎさたけかやふきあえずのみこと
- ↑ うかやふきあえずのみこと
- ↑ いつせのみこと
- ↑ いなひのみこと
- ↑ みけぬのみこと
- ↑ わかみけぬまのみこと
- ↑ とよみけぬまのみこと
- ↑ かむやまといわれびこのみこと
- ↑ とよのくに
- ↑ うさつひこ
- ↑ うさつひめ
- ↑ たけりのみや
- ↑ さおねつひこ
- ↑ やまとのくにのみやつこ
- ↑ なみはやのわたり
- ↑ しらかたのつ
- ↑ とみのながすねびこ
- ↑ とみびこ
- ↑ たてづ
- ↑ おのみなと
- ↑ くまのむら
- ↑ たかくらじ
- ↑ さじふつのかみ
- ↑ みかふつのかみ
- ↑ ふつのみたま
- ↑ いそのかみのかみのみや
- ↑ やたのからす
- ↑ にえものつのこ
- ↑ よしのおびと
- ↑ いひか
- ↑ よしののくず
- ↑ えうかし
- ↑ おとうかし
- ↑ みちのおみのみこと
- ↑ おおくめのみこと
- ↑ うだのもいとり
- ↑ おさか
- ↑ つちぐも
- ↑ やそたける
- ↑ くめうた
- ↑ にぎはやひのみこと
- ↑ とみやみべ
- ↑ うましまじのみこと
- ↑ かしはらのみや
注釈[編集]
- ↑ 神様なので人(にん)とは数えず柱(はしら)と数える。
- ↑ 神様なので対とかカップルと呼ばず、一代(ひとよ)と数える
- ↑ 大事忍男神(おおことおしおのかみ)、石土毘古神(いわつちびこのかみ)、岩巣比売神(いわすひめのかみ)、大戸日別神(おおとひわけのかみ)、天之吹男神(あめのふきおのかみ)、大屋毘古神(おおやびこのかみ)、風木津別之忍男神(かざもくつわけおしのかみ)
- ↑ 大綿津見神、速秋津日子神、速秋津比売神
- ↑ 志那都比古神(しなつひこのかみ)、久久能智神(くくのちのかみ)、大山津見神(おおやまつみのかみ)、鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
- ↑ 鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)、大宣都比売神(おおげつひめのかみ)、火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ) 別名:火迦具土神(ひのかぐつちかみ)
- ↑ 金山毘古神(かなやまびこのかみ)、金山毘売神(かなやまびめのかみ)
- ↑ 波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)、波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)
- ↑ 弥都波能売神(みつはのめのかみ)、和久産巣日神(わくむすひのかみ)
- ↑ 黄泉国の恐ろしい醜い女
- ↑ 現世に生きる人間を指す。古事記に於ける人間への言及はここが初出。
- ↑ 筑紫の日向に帰ったとある。
- ↑ ニワトリ
- ↑ 鉄鉱石
- ↑ 多くの玉を緒に通した飾り
- ↑ 大きな鏡
- ↑ 乳房もあらわ陰部もあらわになるような素敵な神楽だったらしい
- ↑ 既にこの時期、『国つ神』と『天つ神』の間は上下の関係が出来上がっていた
- ↑ 中臣連の祖となり、中臣鎌足から藤原氏となり日本の歴史に大きな影響を及ぼす存在となる。
- ↑ 忌部首(いんべのおらびと)の祖となり、後の朝廷の祭礼に物資を調達する役割を担うことになる。
- ↑ 猿女君の祖となり、朝廷の鎮魂祭礼で舞楽を演じる巫女を出す氏族となった。また、稗田阿礼はこの一族から別れた稗田族の出身である。
- ↑ 作鏡連(かがみつくりのむらじ)の祖。鏡作部(かがみつくりべ)を統率した氏族
- ↑ 玉祖連の祖。玉造を業とした玉造部(たまつくりべ)を統率した氏族で後に「宿禰」の姓が与えられる。
- ↑ 五伴緒(いつとものお)と呼ばれる
- ↑ 真弓・北村・バース・掛布・岡田・佐野・平田・木戸・ピッチャー
- ↑ 高い神聖な建物
- ↑ 隼人の阿多君(鹿児島県を本拠とした豪族)の祖となる)
- ↑ カイトボーディングの原型と思われる。
- ↑ 大阪湾の沿岸部
- ↑ 所在未詳。大阪湾沿岸部のどこか
- ↑ 大阪府泉南市近辺
- ↑ 和歌山県新宮市
- ↑ 奈良県の吉野川
- ↑ 後に阿陀(奈良県五條市)の鵜飼の祖
- ↑ 大嘗祭等で歌舞を執り行い物産を天皇に献上する氏族
- ↑ 大伴連の祖となる
- ↑ 久米直らの祖となる
- ↑ 朝廷の飲料水を扱った部民
- ↑ 大和朝廷に従わなかった土着民を蔑む呼称
- ↑ 多くの勇猛な者
- ↑ 物部連(もののべのむらじ)、穂積臣(ほづみのおみ)、婇臣(うねめのおみ)の祖となる
ソース[編集]
- ↑ 『憲法と天皇制』横田耕一 1990年 岩波新書 p78-100
- ↑ a b 尾崎 2014.
- ↑ a b c d 竹田 2016.
- ↑ 竹田 2016, p. 17.
- ↑ a b 竹田 2016, p. 18.
- ↑ 中村 2015, p. 24.
- ↑ 中村 2015, p. 25.
- ↑ a b 尾崎 2014, p. 37.
- ↑ a b c d 中村 2015.
- ↑ 青木 2016, p. 78.
- ↑ a b 青木 2016, p. 79.
- ↑ 竹田 2016, p. 40-43.
- ↑ 竹田 2016, p. 50-52.
- ↑ 中村 2015, p. 37.
- ↑ 竹田 2016, p. 59.
- ↑ イマヌエル 2014.
- ↑ 竹田 2016, p. 85.
- ↑ 竹田 & 2016 160頁4-5行目.
- ↑ 青木 2016, p. 39.
- ↑ 竹田 2016, p. 174.
出典・引用等[編集]
- 青木康 高野勝久 菅野達夫 『神社と神様大全』2513、宝島社〈別冊宝島〉、2016年11月15日、1st。ISBN 978-4-8002-6308-7。
- イマヌエル・ヴェリコフスキー 『新装版 衝突する宇宙』 法政大学出版局、2014年3月3日 発行。ISBN 978-4588350078。
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 竹田恒泰 『現代語古事記 ポケット版』 学研プラス、2016年6月28日 発行、1st。ISBN 978-4-05-406454-6。
- 中村啓信 『新版 古事記 現代語訳付き』 株式会社KADOKAWA〈角川文庫 15906〉、2015年5月15日 発行、11th。ISBN 978-4-04-400104-9。