オランダ
オランダ(正式名称: Nederland)は、西ヨーロッパ(西欧)にある独立国である。面積41,526km2。人口16,485,787人。 レンブラント、フェルメール、ゴッホ等の日本でもなじみのある画家を輩出している[1]ほか、エッシャーなどがいる。コーヒーメーカーなどで知られるフィリップス社もオランダの会社である。
概要[編集]
現地語の国名「ネーデルラント」の由来は低い土地から来ているとされるが、日本語では一般的に、国内で中心的な州であるホラント州に由来する「オランダ」で統一されている。政体は王を君主とする立憲君主制で、二院制。オランダ王国の構成国でもある。また、さらに12の州に分かれ、その下には全441の自治体に分割される。首都は最大の都市のアムステルダムとされるが、王宮や政府機関は人口3位のハーグに所在していて実質の首都である。
オランダで有名な農業分野は、ゴーダチーズを作っている。
江戸幕府が、長崎の出島で来航と貿易を許した数少ない国家である[2]。ここから蘭学が始まった。
第二次世界大戦中は中立国として存在していたが、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツにより僅か一週間程度で占領下におかれた。大日本帝国とは1942年に宣戦布告した。
国際機関[編集]
国際司法裁判所が有名であるが、法務関連の国際機関がハーグ市をはじめとするオランダに設置されている[3] 。
- 国際司法裁判所(International Court of Justice)略称:ICJ[4]
- 国際刑事裁判所(International Criminal Court)略称:ICC[5]
- 常設仲裁裁判所(The Permanent Court of Arbitration)略称:PCA[6]
歴史[編集]
かつてはフリースラントと呼ばれていた。
- 734年:フランク王国(現在のドイツ、フランス)に征服される。その後、中部フランクを経て神聖ローマ帝国のホラント伯領となる。
- 1648年:オランダ独立承認
- 1652年:英蘭戦争
- 1914年-1918年:第一次世界大戦
- 1939年-1945年:第二次世界大戦
オランダは日本国内にあった?[編集]
独立国として長い歴史をもつオランダだが、ナポレオン戦争のときは地図上から消失した。フランスに占領されたためである。
そんななか、世界でたった一箇所、オランダ国旗が掲げられている場所があった。日本の出島にあるオランダ商館である。19世紀初頭のごく短期間、オランダは日本国内にのみ存在したのである[7]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ “オランダという国 文化と芸術 視覚芸術”. オランダ大使館・オランダ総領事館. 2016年10月19日確認。
- ↑ カトリック派の国と違い、キリスト教を積極的に布教しなかったためだと推測される。「鎖国」は後年ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが著した「日本誌」から生まれた言葉である。
- ↑ “オランダの国際機関”. 在オランダ日本大使館. 2016年10月19日確認。
- ↑ “INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE”. INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE. 2016年10月19日確認。
- ↑ “International Criminal Court”. International Criminal Court. 2016年10月19日確認。
- ↑ “Permanent Court of Arbitration”. Permanent Court of Arbitration. 2016年10月19日確認。
- ↑ “日蘭交流の歴史”. オランダ大使館・オランダ総領事館. 2016年10月19日確認。
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