允恭天皇
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允恭天皇(いんぎょうてんのう 生年不詳 - 453年(允恭天皇42年1月14日))は第19代天皇[1]。
概要[編集]
仁徳天皇の第四皇子。倭の五王の「済[読 1]」候補の一人。母は葛城襲津彦[読 2]の娘で仁徳天皇皇后の磐之媛命[読 3]。履中天皇、反正天皇、允恭天皇の三人は同母の兄弟である[1]。反正天皇が皇嗣を決めないまま崩御したため、朝廷重臣が皇位につくことを再三説得したが固辞した。しかし、最終的には妃である忍坂大中姫命[読 4]が懇願することで即位した[2]。
事績として、允恭天皇が即位した頃豪族の間で氏姓に関する虚偽が横行していたのを正す事に尽力した[注 1][1]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 豪族の姓には職能や政治的な地位をあらわすもので有り、虚偽の姓により紛争が絶えなかった
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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