舒明天皇
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舒明天皇(じょめいてんのう 593年 - 641年(舒明天皇13年10月9日))とは第34代天皇である[1][2][3]。
概要[編集]
諱は、息長足日額天皇[読 1][1][4]。名は田村皇子[読 2]。妃の宝皇女[読 3]は第三十代敏達天皇の曾孫で、後に第35代皇極天皇、第37代斉明天皇となる。第2王子の中大兄皇子は第38代天智天皇、第3皇子の大海人皇子は第40代天武天皇となる。皇女の間人皇女[読 4]は第36代孝徳天皇の后となる[5]。
第33代天皇の推古天皇(554年 - 628年)より先に推古天皇を支えた実力者の厩戸皇子(聖徳太子)が622年に亡くなり、同じく実力者の626年に蘇我馬子も亡くなり、推古天皇は明確に後継者を指名せずに他界する。このため、敏達天皇の孫である田村皇子と、厩戸皇子の子で有り用明天皇の孫である山背大兄王[読 5]という血筋は申し分ない二人が候補になった。蘇我馬子の後を継いだ蘇我蝦夷[読 6]が中心となり、後継者決定について議論を行った。
その間に、山背大兄王を支持する蘇我氏一族の境部臣摩理勢[読 7]が蝦夷の機嫌を損ね、山背大兄王がいる斑鳩に逃げ込む。これが切っ掛けとなり、摩理勢を攻め滅ぼし、山背大兄王を見限り田村皇子を天皇に推挙することになった[1]。
舒明天皇の治世中には内政面で災害や飢饉が続いたと伝えられる。外交面では630年に第1次遣唐使が行われた。また百済や新羅の使節が訪日する等の成果を上げている[6]。
脚注[編集]
読み方[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 小田部雄次 『肖像で見る歴代天皇125代』初版、株式会社KADOKAWA〈角川新書〉、2017年4月10日。ISBN 978-4-04-082117-7。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 不二達彦 『完全版歴代天皇FILE』 学習研究社、2009年6月2日、初版第1刷。ISBN 978-4-05-404154-7。
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