反正天皇
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反正天皇(はんぜいてんのう 生年不詳 - 410年(反正天皇5年1月23日))は第18代天皇[1]。
概要[編集]
仁徳天皇の第三皇子。倭の五王の「珍[読 1]」候補の一人。母は葛城襲津彦[読 2]の娘で仁徳天皇皇后の磐之媛命[読 3]。履中天皇、反正天皇、允恭天皇の三人は同母の兄弟である[1]。日本書紀によれば401年(履中天皇2年)に立太子した[2]。
履中天皇の即位に協力し、住吉仲皇子[読 4]を側近を使って殺害した。この事情もあって履中天皇に皇位を譲られている。天皇家初の兄弟継承が行われた。以後の皇位継承において兄弟間の継承が行われるようになった[1]。都は丹比柴籬宮[読 5](大阪府松原市)という説[1]も有るが「比定地未確定」との説も有る[3]。
在任中の事績については日本書紀に『五穀の実り人民ににぎわいて天下太平なり』程度しか記載されおらず、伝えられることがほとんど無い[1][3]。
在位5年で崩御、享年60歳であったと伝えられる[3]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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