後土御門天皇
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後土御門天皇(ごつちみかどてんのう 1442年(嘉吉2年5月25日) - 1500年(明応9年9月28日))は第103代天皇[1]。
概要[編集]
諱は、政仁[読 1]。後花園天皇の第一皇子として誕生した[2]。母は藤原孝長の娘、信子[読 2](嘉楽門院[読 3])。1457年(長禄元年)に親王宣下を受ける。1464年に後花園天皇の譲位を受け、翌年即位する[3]。
天皇在位中に応仁の乱が起こる。室町幕府の末期に該当し幕府が守護大名に対して統制が出来なくなっていたことにより、守護大名らの反乱に苦しめられることになる。また、幕府の失政や政治腐敗も重なり[注 1]、土一揆や徳政一揆が続発するようになり室町幕府の政治基盤が大きく揺らぐことになった[3]。
応仁の乱による混乱で、朝廷も皇室財源が枯渇した[4]。また、戦火により寺社や有力公家らの邸宅も被災し、廷臣の多くが地方へ難を逃れた。このため、朝廷の諸行事は中止を余儀なくされた。また、節会や旧来の朝儀すらも次々と廃止になった[4]。天皇も戦火を逃れるため室町第をはじめとした各所に行幸を繰り返し、1479年(文明11年)に修繕が完了した土御門内裏へ還幸を果たした[4]。
在位期間は36年で比較的長期に渡ったが、応仁の乱に翻弄された[4]。1500年(明応9年)に崩御するも、葬儀費用もままならず遺体が40日間も御所に放置された[1]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 当時の室町幕府の将軍である義政は政治を顧みること無く遊興にふけっていた。
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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