後花園天皇
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後花園天皇(ごはなぞのてんのう 1419年(応永26年6月18日) - 1470年(文明2年12月27日))は第102代天皇[1]。
概要[編集]
諱は、彦仁[読 1]。伏見宮第三代貞成[読 2]親王(御崇光院[読 3])の第一皇子として生まれる。母は庭田経有[読 4]の娘、幸子[読 5](敷政門院[読 6])である[2]。
伏見宮は北朝の崇光天皇の皇子で有り、後花園天皇も北朝つまり持明院統(後深草天皇の系統)である。先代の称光天皇が皇子に恵まれないまま、危篤に陥ったため後花園天皇を親王宣下も無いまま即位させた[1]。しかし、これは両統迭立を破るものであったため南朝方の反発を招いた。
1443年(嘉吉3年)、後南朝の残党が内裏を急襲する禁闕[読 7]の変が起きている[注 1]。また、土一揆、飢饉、政変等が相次ぎ世の中は不安定であったが、当時征夷大将軍であった足利義政は遊興にふけっていたため、天皇自ら義政に讒言することもあった[1]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 三種の神器のうち宝剣と神璽を奪われるが、後に回収
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 尾崎克之 栗原加奈夫 岡林秀明 常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、宝島社〈別冊宝島〉、2014年2月23日、1st。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
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