捕虜

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
Jump to navigation Jump to search

捕虜(ほりょ)とは、戦争時に投降してきた敵の軍人または敵国人として逮捕された民間人のことである。戦争中に敵軍に捕らえられ、軍事的理由によって自由を奪われるもので、国際法上一定の待遇を保障される。軍隊構成員である交戦者(戦闘員、非戦闘員)と軍隊随伴者(従軍記者酒保商人など)及び政治上、軍事上重要な地位にある者は捕虜とされる。捕虜を捕獲した国家は、捕虜を戦場から隔離して収容した上で、給養する義務を負い、反面平和的労働に従事させることができる(1949年に成立した捕虜の待遇に関する条約より)。

古くは捕虜は俘虜(ふりょ)と呼ばれた。

投降したからには殺すわけにはいかず、帰国を認めれば敵の戦力になってしまう厄介な存在である。

各国の捕虜の扱い[編集]

  • 太平洋戦争で餓死寸前で捕虜になった日本兵は、結構イイ物を食わせてもらい「アメリカの兵隊はこんな旨いものを食っているのか」と驚き、同時に「この戦争は負ける」と悟ったという。
  • 日露戦争当時には、日本は捕虜を馬鹿丁寧に扱っていた。収容所に入れはしたが、捕虜は自由に町に遊びに行くことができたという。日本は国民に「敵の捕虜も、自国のために勇敢に戦った軍人であり、敬意を表するように」と厳命していた。ロシア兵捕虜に日本の将校よりも良い食事をさせていた。階級の高い捕虜には、国から妻子を呼び寄せて、貸し与えた一戸建ての家で暮らすことも認めていたという。日本は捕虜の待遇が良いと評判になると、ロシア兵は先を争って投降したという。捕虜のロシア兵の多くがロシア語の読み書きが全くできないので、日本は捕虜のロシア兵にロシア語教育をしてあげたという。
  • 近年、愛媛県松山城の古井戸の底から百年以上前のロシア金貨が発見された。そのロシア金貨にはロシア人男性の名前と、日本人女性の名前とが刻み込まれていた。これはロシア兵捕虜と、その交際相手の日本人女性が、再会を願って投げ込んだものだとされている。この金貨の発見が切っ掛けとなり松山城はデートスポットになった。
  • 紳士の国であり、騎士道の本家家元であるイギリス第2次世界大戦で捕虜のイタリア兵を紳士的に扱った。しかし、料理が激烈に不味いのがイギリスの伝統。イギリス料理の不味さにイタリア兵たちは「こんなモノ食えるか!」と本気で怒ったという。それを見たドイツ兵捕虜たちは「あいつら戦場では本気を出さず、下らないことに本気出しやがって。俺たちが捕虜になったのはイタリアのせいだ」と怒りたいけど盟友に怒るわけにもいかず我慢を余儀なくされた。勇敢だが捕虜になると従順になってしまうドイツ兵は、捕虜になっても敵を悩ませ続けるイタリア兵の態度を見倣うべきかも知れない。収容所に配属されているイギリス軍人は捕虜のイタリア兵から文句ばかり言われて皆ノイローゼになってしまったという。
  • 逆にイタリアの捕虜になったイギリス兵たちはイタリア料理を食わせてもらい「こんな旨いもの食ったのは生まれて初めてだ」と感動したが「この後銃殺刑で、最後に旨いものを食わせてくれたのかも」とビビったという。

関連項目[編集]

敵前逃亡

イギリス料理