国鉄115系電車
現在ではしなの鉄道と中国地方でしか見ることができない。 | |
製造所 | 汽車製造 日本車輌製造 川崎車輌→川崎重工業 近畿車輛 東急車輛製造 日立製作所 |
運用者 | 日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 しなの鉄道 伊豆急行(100系) |
製造年 | 1963年 - 1983年 |
製造両数 | 1921両 |
電源方式 | 直流1500V |
保安装置 | ATS-S・ ATS-P(一部) ATS-Ps(一部) |
主電動機 | 直流直巻MT54 |
制御方式 | 抵抗制御・直並列組み合せ・電動カム軸方式 |
歯車比 | 1:4.82 |
台車 | DT21B(電動) TR62(付随) |
主な走行路線 | 中央本線 信越本線 上越線 山陽本線など |
主な運用 | 普通・快速 |
所属車両 センター | 長野 豊田 高崎 岡山 広島 下関など |
あだ名 | 山スカ |
国鉄115系電車(こくてつ115けいでんしゃ)は、日本国有鉄道が在来線勾配区間向けに開発、投入した近郊型直流電車である。
概要[編集]
1963年から1983年の間に1921両が製造された、両開き3扉セミクロスシートの近郊型直流電車である。
MT46電動機を用いた国鉄111系電車を基本に、MT54電動機にパワーアップし、かつ下り勾配を一定の速度で運転できる勾配抑速ブレーキ、減速時にノッチを入れ直す必要の無いノッチ戻し機構を備えた電車として登場した。
当初はTcMM'Tcの4連で登場したが、閑散区での短編成での運転もできるように制御電動車、クモハ115も登場した。便所は制御車と付随車に設置した。
115系としての優等車は作られていない[注釈 1]。
なお、115系とほぼ同時期に電動車に同じくMT54を採用した平坦地向け国鉄113系電車が登場した。
1983年の製造終了後、関東と中京は211系、関西は213系が投入された。
番台区分[編集]
0番台[編集]
1963年1月から1971年にかけて561両が製造された最初期グループ。
当時旧型国電や旧型客車が現役だった新前橋電車区(現:高崎車両センター)や三鷹電車区(現:三鷹車両センター)、小山電車区(現:小山車両センター)に投入された。
編成は新前橋・小山が2M2Tの4連、三鷹が富士急行線乗り入れを考慮した2M1Tの3連が基本となった。どちらも4+4・3+2+3の8連が基本となっている。このとき、サハ115とクモハ115が三鷹向けに起こされている。なお、三鷹に所属する編成は後述の800番台を組み込んでいる。
国鉄末期に広島地区に多くが転出した。その後白熱灯前照灯のシールドビーム化改造など複雑な改造をされた車両が多い。
JR化後は新潟や岡山にも転属したが、2005年のサハ115-35の廃車をもってサハが、2015年の12月に新潟のL6編成廃車でモハが、2018年10月のクハ115-608の廃車でクハがそれぞれ消滅した。純正のクハは2016年までに消滅。
モハ114形800番台[編集]
中央本線(高尾 - 塩山間)の狭小トンネル対応車として三鷹にモハ114−800を組み込んだ定期運用編成が配属。小山にも波動用として数編成が導入された。屋根を切り欠き、低くした上でパンタグラフを搭載していた。
2014年に豊田に所属していた訓練車「モハ114−827」の廃車により形式消滅した。
300番台[編集]
中央本線・高崎線に投入された0番台の改良型である。前照灯がシールドビームで登場。製造当初から冷房(AU75C)を積んでいる。
モハ114は800番台と同様に中央本線の狭小トンネルに対応しているが、パンタグラフが狭小トンネル対応の「PS23形」が搭載されているため低屋根部はない。また、片渡り構造となっているため編成が逆転して運用することはない。
主に中央本線、高崎線で運用が行われていたが、現在は岡山にのみ残ってる。
1000番台[編集]
0番台・300番台の寒冷地仕様を強化した耐寒耐雪仕様とし、車内設備の拡充を行った番台である。冷却風取入口に485系1000番台と同様の雪切室を設け、シートピッチを従来の1400mmから1470mmに拡大している。また、混雑緩和を目的とし、車端部はロングシートへ変更された。
それに加え、パンタグラフなども耐雪型の「PS23A形(中央線系統、狭小トンネル対応形)」や「PS16J形(岡山・広島・新潟向け)」に変更された。
中央本線・篠ノ井線のほか信越本線や上越線などに導入されている。
クハは偶数向きが1000番台、奇数向きが1100番台とされたが、偶数向きクハの製造が100両を超えたため、100両目からは1200番台となっている。
現在では置き換えが進み、岡山・しなの鉄道のみ活躍。
2000番台[編集]
耐寒・耐雪設備を300番台並みに簡略化した暖地型向け車両である[注釈 2]。広島・静岡(身延線)の旧型国電を置き換える目的で投入された。
1000番台同様、シートピッチが拡大され、車端部の座席はロングシートとなっている。300番台と同様、奇数向き・偶数向きが固定されている。
広島は湘南色として投入されたが、身延線にはブドウをイメージしたワインレッドに富士山の雪をイメージした白い塩ビビニールが巻かれた「身延線塗装」で投入された。これが現在の各地域色の先駆けと言われている。
2020年岡山のL16.17編成の廃車によって消滅した。
モハ114形2600番台[編集]
身延線では中央本線よりも建築限界が低い狭小トンネルが存在している。そのため、通常のモハ114形2000番台では対応できなかった。そこで、モハ114形800番台と同様に屋根を切り欠いた「モハ114形2600番台」を製造した。
また、身延線は短編成化を見据え、「クモハ+モハ+クハ+クハ」という編成であったこともある。
3000番台[編集]
当時153系で運行されていた各列車の置き換えと「広島シティ電車」の増発目的として製造された番台である。
この番台は他の115系とは異なり、国鉄117系電車と同じ両開き2ドア転換クロスシート(戸袋部はロングシート)となった。117系に似た外観だが、側窓は二段上昇窓である。いわば、115系電車と117系電車の「合いの子」である。投入時は短編成化も連動したため、クハのみ製造して111系や115系初期型の3扉モハユニットと併結した編成もあり、国鉄分民化後に117系でモハユニットが余剰したため組み替えられた編成もあったが、それについては後述する。
現在は下関で運用しているが。2022年8月に編成単位での廃車回送が行われた。
115系の新造は3000番台を以て、1986年に終了した。
改造車[編集]
115系は113系と同様、改造車が多いことで有名である。
クモハ115・114形500番台[編集]
1984年の越後線・弥彦線電化と御殿場線の列車が3両に短縮することを受け、モハ115形・114形0番台を先頭車化改造したグループである。
形式はクモハ115・114形となり、越後・弥彦線向けは2両編成を組むためクモハ115形・クモハ114形の2形式が、御殿場線は3両編成を組むためクモハ115形のみが改造された。
運転台は300番台と同様のものが取り付けられ、改造当初は接合部が折れてしまうのではないかという懸念もあった。
1986年には追加で改造が行われ、岡山・豊橋(飯田線向け)に配属されていた。
ちなみに、新潟の車両は0番台の耐寒設備では間に合わないため、耐寒・耐雪設備を追加。また、弥彦線運用を控えていたためJR化後にワンマン対応改造を行っていた。
なお後年、新潟では訓練車へ再改造され、この編成が当グループにおいて一番長生きだった。2016年6月に廃車となり当グループは消滅した。
クモハ115・114形550番台[編集]
下関に配置。分割民営化後の1989年にモハ114・モハ115から改造された車両。運転台は廃車された車両から流用している。2010年までに全車廃車。
クハ115形550・650番台[編集]
こちらも1983年に越後線・弥彦線電化と山陽本線広島地区電車型ダイヤ置き換え用としてモハ115形に先述の500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループとなっている。なお、偶数向き先頭車となる。[注釈 3]
なお、下関ではバス用クーラーで冷房化がされていた。2010年までに550番台は全廃された。
2013年に他の115系に置き換えられ消滅した。
クハ115形600番台[編集]
- 1次車(山陽)
偶数向きの改造車グループとなり、113系クハ111形からの改造編入車と115系サハ115形の先頭車化改造車の2グループに分類される。
1984年、京阪神地区で余剰となったクハ111形300番台6両が1983年から1984年にかけてクハ115形へ編入された。
その後、JR西日本の岡山地区に残る115系非冷房車を置き換えるため1994年に関西地区で余剰となっていた冷房改造済みのクハ111形300番台3両が115系に追加改造された。
クハ111からの改造車は2012年に全て廃車されている。
- 2次車(山陽・関東)
上記車両とは別で1984年2月改正での広島地区115系の編成短縮に対応するため、中央線で余っていたサハ115形基本番台を捻出し方向転換と偶数向き先頭車への改造が行われた。[注釈 4]
広島地区のほか高崎・新潟・松本・静岡地区の増発用にも追加投入され、1985年までに13両が改造された。
第2グループの607・608は国鉄時代の1984年・1985年に廃車発生品のAU13E形分散クーラー(485系や475系に使用されていたクーラー)を搭載する冷房化改造を施工。そのため、他の115系とは少し見た目が違う。
先頭車改造車は2018年までに消滅。[注釈 5]
クハ115形750番台[編集]
老朽化したクハ115形の初期形車を置き換えるため、113系の「クハ111形750番台」から1両のみ改造された。座席はボックスシートである。なお、車体は113系そのままで改造された。
下関に所属していたが、227系の導入により2015年3月に廃車された。
クモハ114形1000番台[編集]
JR西日本に所属。
- サンパチくんもどき・偽サンパチくん
先頭車化改造は国鉄時代から行われてきたが、JR西日本ではサンパチくんのような切妻の先頭車も現れた。また、クモハ114形1000番台を含む編成は連結運用もあるが、まさかの非貫通で、103系のような顔をしている。なお、見た目は40N車であるが、ユニットを組むクモハ115共々車内はボックスシートのままであり、体質改善詐欺となっている。
別名、偽サンパチくん。[注釈 6]
クモハ114形1500番台(JR西日本)[編集]
福知山から下関地区転用の際に高速化解除をされて発生した番台区分。1106も1000番台を名乗るが1500番台と同様の車両である。福知山時代は115系6500番台だった(6106→1106を除く)。1106には種車モハ114時代に装着された霜取用パンタグラフが残存する。上の103系もどきよりはマシであるものの、やっぱり切妻形である。ただし貫通扉があるので4両で運転する際は幌を繋げれる。上の1000番台同様車内はボックスシートのままであり、体質改善詐欺となっている。
以下、個人の感想です。
103系もどきもこの顔にすればよかったのに
クハ115形1200番台[編集]
トイレ付奇数向きのクハ115-1100を方向転換、偶数向き車へと変更したものである。計6両が改造された。
なお番号は既存の新造1200番台の続番となった。
クハ115形1400番台[編集]
岡山所属の奇数向きのクハ115形1100番台車を方向転換し、偶数向き車へと変更したものである。
クモハ115・114形1500番台(国鉄)[編集]
- 東日本
モハ115形1000番台・モハ114形1000番台へ新造車に準じた運転台ユニットを接合し先頭車化したグループとなる。
クモハ115・114形500番台と同様の改造内容であるが、種車が1000番台だったため、1500番台となっている。
最終的にはクモハ114が30両、クモハ115が62両改造された。なお、4連から3連への組み換えなどの関係上、パンタグラフを搭載しないクモハ115形のほうが多く、パンタグラフを搭載しているクモハ114形のほうが少ない。
- 東海
国鉄時代、松本に所属していた車両が神領・静岡へ転属した車両。4両が神領電車区、1両が静岡運転所の配置となった。
- 西日本
岡山地区の山陽本線・伯備線向け車両となる。35両が改造された。
種車の車端部を切断して115系1000番台仕様の運転台が接合されたが、新潟・長野地区向けと異なり寒冷地対策は実施されなかった。
前述のクモハ114形1500番台とは異なる。
- しなの鉄道
JR東日本からの譲渡車両である。現在ではしなの鉄道以外での活躍は行われていない。(但しクモハ114形1500番台は2022年に運用を離脱している。)
余談だが、ろくもん・S9編成(台湾自強号塗装)に入っているクモハも1500番台である。
クハ115形1500番台[編集]
1983年からサハ115形1000番台を改造した番台区分。偶数向きとなっている。トイレは未設置。
9両が改造された。なお、2016年に全車廃車となっている。
クハ115形1600番台[編集]
先述した1500番台と同じく、1983年に新潟向けに登場したサハ115形1000番台からの改造車である。
奇数向き固定使用となり、トイレ設置による独特の窓配置が特徴的な車両である。1両のみの改造となったが、2016年8月18日に廃車された。
クハ115形2000番台[編集]
先述の「新潟に転属した例外のクハ115形2000番台」である。身延線編成短縮により余っていたクハを方向転換、耐寒設備を増強して新潟へ持っていったグループである。
クハ115形2500・2600番台[編集]
広島・山口では初期型クハや半自動ドアに非対応のクハ111との混成編成が運用されていた。これらクハを置き換えるために広島地区の113系30N体質改善車を115系に編入することになり改造されたグループである。
2000番台が奇数向き先頭車であり、2600番台が偶数向き先頭者である。115系と同様の見た目に変更。ジャンパ管なども改良され、半自動ドアにも対応している。
モハ115・114形3500番台[編集]
国鉄117系電車の地方転出によって余った中間電動車を改造した車両で、合計14ユニットが誕生した。この区分のみCS43系制御器を搭載し、並列段からの再加速が可能である。
115系5000番台(東海)[編集]
インバータークーラーで冷房化されたJR東海の車両であり、クハが6000番台、モハとクモハが5000番台に区分された。1999年全廃。
115系5000番台・6000番台(西日本)[編集]
- 高速化改造
京阪神を走る115系のブレーキを強化して最高速度110km/hに対応させた車両。カフェオレ色や湘南色で活躍した。
- クモハ
1999年の舞鶴線の電化開業に伴いクモハ115形+モハ114形1000番台ユニットを種車に改造された番台区分。
前面は1600番台と同様、145系にそっくりな食パン顔である。なお、側面はいわゆる延命工事40N車。カフェオレ色となっている。
115系6500番台[編集]
先述の西日本6000番台グループのうち、網干車が種車の車両で、てこ比が改造されているものである。3編成が改造。
サハ115形7000番台[編集]
岡山地区の115系非冷房車置き換えによる輸送改善のため、1994年に113系のサハ111形7000番台2両へ半自動対応などを追加改造したグループである。
特別保全工事[編集]
末期の国鉄では当形式や103系、165系の初期車で老朽化が進んでおり置き換えが必要とする車両も出ていたが、予算の都合上211系や205系といった新型車で全て0番台を置き換えることは困難であった。
そこで国鉄改めJR東日本では当形式の初期車(0番台)に老朽化した配管の交換、モケット張り替え、床板張り替え、化粧版は張り替え、ドアを金属押さえのものに交換(メニューは工場によって異なる)といった工事を施工。
これを簡略化して最低限の更新を施工した車両は車両更新車ともいわれた。
体質改善工事[編集]
西日本旅客鉄道が行ったリニューアル。ベンチレーターの撤去や窓枠、転換クロスシートへの更新を中心に行った40N施工車とベンチレーターの撤去や窓枠更新を省略した30N施工車が存在する。塗色の変更も行った。
編成内にボロクハがいる場合、ボロクハは体質改善工事の対象とならないため、塗装の変更しか行われない場合が多く、体質改善詐欺となっていた。
張り上げ屋根化[編集]
上記の体質改善工事の簡易版みたいなもので、ただ張り上げ屋根化しただけである。所謂ボロクハであるクハ115-219とクハ115-622に行われた。
ろくもん[編集]
詳細は「ろくもん」を参照
他系列へ改造された車両[編集]
113系から転入した車両が多い115系だが、他の形式に転入された車両も少なくない。
クハ401形[編集]
クハ115-612が短編成化で先頭車が不足していた常磐線向けに改造された。当初は「クハ401-901」であったが、後に「クハ401-101」に改番された。1991年廃車。
サハ111形300番台[編集]
房総半島の113系は当時、サハ代わりに封じ込めクハを使っていた。短編成化に当たりこのクハを使用することとなり、穴埋めとして中央東線で余っていたサハ115を連結するために改造したものである。113系とドアの大きさが若干異なっているため、外見が若干異なっていた。
クハ111形0番台[編集]
サハ111形への改造と同様、短編成化に当たりクハが不足したため、余剰となっていたクハ115を房総半島向けに改造た番台。1993年に廃車された。
運用[編集]
1986年から廃車が開始されたが、1987年4月1日の国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道に引き継がれた。昼行列車だけでなく、1975年から1993年まで中央本線の夜行普通列車に使用された。
国鉄時代[編集]
115系の配置は東北・高崎線より始まり、続いて中央東線長野地区への投入され、国鉄クモユニ82形電車、国鉄クモニ83形電車と共に運用に就いた。
その後、300番台が新製投入されたため新潟や岡山・広島に0番台が転出。1978年から1000番台や2000番台の新造車も現れた。
国鉄時代は、普通・快速列車としてのみならず、優等列車として、中央本線の新宿駅-甲府駅の急行「かいじ」や長野地区の急行「天竜」の一部、さらには上尾事件勃発に対応した増備の影響で、朝の通勤対応列車の折り返しとして、高崎線の急行「ゆけむり」、東北本線の急行「日光・なすの」など様々な急行でも運用された。
1985年に211系が登場した際は東北・高崎系統から60両が広島・山口地区に残る111系などの置き換えのために転属したが、同時に状態の悪い初期車も廃車され、更に3000番台が登場している。
JR東日本[編集]
1186両を継承。分割民営化直後に廃車は出なかったが、1997年に信越本線のしなの鉄道移管により33両が同社に譲渡された。
本格的な廃車は2002年から始まり、2007年には小山配置車が全廃。高崎地区でも2018年までに運用を終了。長野地区からも2019年までに廃車または新潟への転属で全滅。最後まで新潟地区には1000番台3連7本=21両のみが在籍していたが、こちらもE129系への置き換えが進み2022年のダイヤ改正でE127系とともに唐突に引退[注釈 7]。同年3月26日に撮影会が行われるため、それ以降はJR東日本から姿を消すことになる。
なお、新潟所属の115系はすべて塗装が違っていた。
2023年現在、長野総合車両センターに高崎のクモハ115-1030が一両留置されている以外、すべて廃車されている。
JR東海[編集]
99両を継承し、3連33本を組んだ。神領と静岡に配置され、中央西、飯田、身延、御殿場の各線で運用されたものの、1989年より211系の投入で廃車が発生し、神領車は廃車と転属で同年内に全滅した。静岡地区の身延線用2600番台は当初ワインレッドに白帯をまとっていたが、まもなく湘南色に変更された。
神領区から115系が全滅して以降は165系と169系の独占状態となっていたが、1998年より東日本から115系の乗り入れが開始された。
2006年の時点でも管内に63両の115系が残存していたが、313系への置き換えが進展し、2007年3月のダイヤ改正で運用を終了。翌年までにすべて廃車された。
JR西日本[編集]
590両を継承。この時点で岡山、広島、山口に配置されていた。その後、京都地区と福知山地区に転属した車両も現れた。
京都地区には117系と引き換えに転属したが2004年までに下関に再転属した。2015年から本格的な廃車が始まり、長らくの間國鐵廣島と揶揄されるほど115系大国であった広島からは2019年に全滅。この置き換えの過程で広島地区から山口地区・岡山地区に転属し、各地区の老朽車を淘汰した車両も存在した。
2021年現在、福知山地区に2両、岡山地区に157両、山口地区に84両が在籍し、113系とともに幅広い運用に就く。福知山の2両は運用減で2022年に廃車された。
2023年より岡山地区にも227系が101両投入されるため、少なからず廃車が再開されるものと推定される。
譲渡車[編集]
- 伊豆急行に18両が譲渡され、200系として活躍したが、伊豆急行8000系電車に置きかえられ、2008年に全廃された。
詳細は「伊豆急行200系電車」を参照
- しなの鉄道には北陸新幹線開通により、信越本線の長野県内の区間が経営分離されたのに合わせて合計62両が譲渡されたが2013年に3両が廃車となった。その後2020年よりSR1系に置き換えられて廃車が進んでいる。
その他[編集]
115系は総数2000両近く製造され、1963年から1985年の岡山の0番台ユニット廃車まで事故廃車を含め一切廃車がでなかった。そのため新造車については2年間のみであったが全車揃っていた。
交流電化区間の勾配線区は客車列車が幅を利かせたため、国鉄交直流近郊型で勾配抑速ブレーキを装備した完全新造車は417系電車のみである[注釈 8]。
近い世代の車両[編集]
- 国鉄403系電車・国鉄423系電車 - 交流路線用
- 国鉄165系電車 - 急行用
- 国鉄161系電車 - 特急用
関連項目[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
注釈[編集]
- ↑ だが、1970年にサロ165を2両改造したグリーン車が急行「かいじ」に連結されていた。
- ↑ とはいいつつも、沼津から新潟に転属した例外のクハがいる。
- ↑ だが、552のみモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ取付台跡が残存する。
- ↑ この時使用された運転台ブロックは1000番台に近いものとなっている。
- ↑ なおこの時廃車になったクハ115-608は1966年製造で、115系で最も生きた車両である
- ↑ どちらかと言うときのくに線の113系に似ているような否や…
- ↑ 唐突に引退した理由としては撮り鉄対策だと言われているが…。
- ↑ なお、417系は主制御器で後の117系で採用した最新鋭を採用したため、115系性能の完全新造車は事実上存在しない
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