長野総合車両センター
長野総合車両センター | |
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配置車両の一つ、211系 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県長野市 |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 首都圏本部(長野支社) |
所属略号 | 長ナノ→都ナノ |
最寄駅 | 長野電鉄長野線桐原駅 |
管轄車両 | 211系 キハ110 HB-E300系 |
旧称 | 長野総合車両所 北長野運転所・長野工場 |
開設 | 1945年(昭和20年) |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 270,006 m2 |
留置線本数 | 17本 |
検査線本数 | 21本 |
洗浄線本数 | 3本 |
配置両数 | |
電車 | 192両 |
気動車 | 20両 |
合計 | 212両 |
備考 | NN・長野総合車セとも。 |
長野総合車両センター(ながのそうごうしゃりょうせんたー)とは、長野県長野市にある東日本旅客鉄道の車両基地・車両工場である。
北陸新幹線・信越本線・北しなの線(・飯山線)長野駅と北しなの線北長野駅の間に位置し、長野電鉄長野線桐原駅が最寄りとなる。
概要[編集]
中央本線の立川 - 塩尻 - 中津川間と辰野支線・篠ノ井線・信越本線(篠ノ井 - 長野間)・飯田線・富士急行線・飯山線・上越線(越後川口 - 宮内 - 信越本線長岡間)のローカル運用で使われる車両が所属する長野総合車両センター。2023年現在は211系・キハ110・HB-E300系の3形式が所属している。
長野総合車両センターはJR東日本の中でも最大規模を誇る車両センターであり、鉄道車両の解体なども行われる[注釈 2]。そのため、解体に伴う廃車回送が走行することがある。牽引機は長岡車両センター所属のEF64(1030・1031・1032)が使われることが多い[注釈 3]。また、車両の大規模な点検や改造などを行うこともあり、過去にはE257系0番台の踊り子向け改造やE233系0番台のグリーン車組み込みに関する改造、会社を超え相模鉄道10000系がEH200の牽引により「甲種輸送」という形で入場したことがある。
略号は「都ナノ」(首都圏本部長野総合車両センター)。昔は「長ナノ」(長野支社長野総合車両センター)だったが管轄が首都圏本部に移行したことにより都ナノへ変更された。
歴史[編集]
ここでは長野総合車両センターの前身、長野機関庫及び長野工場・長野車両センター時代から解説する。
- 1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道関山 - 長野間の延伸開業に併せて、長野機関庫を開設。
- 1890年(明治23年)2月16日 - 上水内郡芹田村大字栗田(現・長野駅東口)に内閣鉄道局長野器械場発足。
- 1893年(明治26年)10月1日 - 逓信省鉄道局に移管のうえ、長野器械場を長野工場に改称。
- 1897年(明治30年)8月18日 - 逓信省鉄道作業局に移管。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 逓信省帝国鉄道庁に移管[1]。
- 1908年(明治41年)12月5日 - 内閣鉄道院中部鉄道管理局に移管。
- 1920年(大正9年)5月15日 - 鉄道省名古屋鉄道局に移管。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 長野機関庫を長野機関区に改称。
- 1942年(昭和17年)9月11日 - 鉄道省新潟鉄道局に移管のうえ、長野工場を長野工機部に改称。
- 1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省新潟鉄道局に移管。
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 運輸省新潟鉄道局に移管。
- 1945年(昭和20年) - 上水内郡吉田町に長野工機部吉田分所を設置。
- 1945年(昭和20年)8月13日 - 長野空襲により機関区に被弾。職員8人、兵隊3人が死亡[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道新潟鉄道局に移管。
- 1952年(昭和27年)8月5日 - 長野工機部を長野工場に改称。
- 1964年(昭和39年) - 長野工場吉田分所を長野工場本工場に、(旧)長野工場本工場を栗田分所に改称。
- 1966年(昭和41年)7月25日 - 長野機関区、長野客貨車区などを統合して長野運転所が発足。
- 1969年(昭和44年) - 長野工場栗田分所を廃止し、本工場に集約。
- 1973年(昭和48年) - 蒸気機関車(D51形)が運用からはずれ配置が消滅、無煙化完了。
- 1986年(昭和61年)9月1日 - 長野運転所と長野運転所第二分所を統合し、長野第一運転区発足[3]。
- 1987年(昭和62年)3月1日 - 長野第一運転区が北長野運転所に改称[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に継承。
- 1991年(平成3年)7月1日 - 長野工場と北長野運転所を統合し、長野総合車両所発足[4]。
- 2000年(平成12年)2月25日 - ISO9001認証取得。
- 2004年(平成16年)6月1日 - 長野総合車両センターに改称[4]。
- 2019年(令和元年)6月25日 - 189系N102編成の廃車により特急型車両の配置が消滅。
- 2021年(令和3年)12月27日 - DD16-11の廃車により内燃機関車の配置が消滅。
- 2022年(令和4年)10月1日 - 長野支社から首都圏本部の管轄に移行したことにより略号が「長ナノ」から「都ナノ」に改称[5]。
配属車両(現在)[編集]
編成名については「ナノ」は省略する。
電車[編集]
- 211系(192両)
詳細は「211系の編成一覧」を参照
- 6両固定のN600編成14本(N601 - N606・N607 - N614)・3両固定のN300編成36本(N301 - N305・N306 - N316・N317 - N327・N331 - N339)が所属している。
- クモヤ143-52(車籍なし)
気動車[編集]
- キハ110系200番台(飯山線向け・18両)
- 飯山線向けに両運転台のキハ110形が12両、片運転台のキハ111・キハ112が3両所属している。
- HB-E300系(2両)
- 全席転換クロスシートの片運転台車HB-E301・HB-E302(固定編成)が配属。
- イベント列車用に使われる。
配属車両(過去)[編集]
こちらも「ナノ」は省略する。
電車[編集]
- 特急「しなの」向けに配置されたが、1982年秋のダイヤ改正(昭和57年11月15日日本国有鉄道ダイヤ改正)で全車神領電車区(現:神領電車区)へ転属となった。
- 485系5000番台(N201編成 彩)
- 489系
- クモユニ143系(クモユニ143-1・3)
- クモユニ143-3は2018年8月14日付でに、クモユニ143-1は2019年5月1日付で廃車となった。
- だがどちらの車両も解体はされておらず、「1」は長野総合車両センター内に留置されており、「3」は東京・大宮総合訓練センターで使用されている。
気動車[編集]
- 1997年まで飯山線で使用されていた。
- 運用終了後廃車となった。
機関車[編集]
客車[編集]
- 波動用車両・簡易お座敷車両・正式お座敷車両(白樺)の3パターンが所属していた。
保存車両[編集]
「どこかで保存できるのではないか?」「保存する価値があるのではないか?」と思われる車両を長野総合車両センター内で留置している。
ちなみにどれも保存状態は決して良くない。
- 元成田エクスプレスに使用されていた車両である。
- 同形式が現在長野電鉄で運行中。
- 115系(クモハ115-1030)
- 高崎車両センター所属。
- ちなみに除籍はされておらず、この影響で未だ115系はJR東日本から完全に消滅していない。
- 189系(N102編成)
- 編成で保存されているのはN102編成のみである。2023年5月に一部中間車の解体が確認された。
- 田端運転所所属。
- 元飯田線向け電気機関車。
- DD16形(11)
- この車両はまだ解体されておらず、未だに留置されている。
その他にもD51などが保存されている。
長野総合訓練センター[編集]
長野総合車両センターは他の車両センターと違い、訓練センターを併設している。
長野総合訓練センター線[編集]
209系の中間車(モハ208-40+モハ209-40)を先頭車に改造した2両1編成を「訓練用機械」とし[注釈 6]、鉄道乗務員が行う基本を習得するために設けられた路線である。
当たり前だが一般客は立ち入ることができない。
長野スキルアップセンター[編集]
作業員向けに鉄道車両の部品に関する基本を学ぶことができる施設である。元京葉線のクハ204-118(205系)が除籍の上使用されている。
脚注[編集]
出典[編集]
- ↑ 「逓信省告示第174号」『官報』1907年3月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ “長野市における戦災の状況(長野県)”. 総務省. 2021年2月11日確認。
- ↑ a b 『鉄道ジャーナル』第21巻第8号、鉄道ジャーナル社、1987年7月、 87頁。
- ↑ a b ジェー・アール・アル編 『JR気動車客車編成表2016 』 交通新聞社、2016年、223頁(日本語)。ISBN 978-4330690162。
- ↑ 『JR電車編成表2023冬』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2022年11月22日、2頁。
注釈[編集]
- ↑ ちなみに既存の車両は変更されない。
- ↑ ちなみに2023年現在、他に解体を行っている車両センターは新潟車両センターと郡山総合車両センター・秋田総合車両センターのみ。昔は大宮総合車両センターでも行っていたが、鉄道博物館の開業による面積不足のため解体を行うのを休止した。
- ↑ だが、自走できる車両などは自走で長野総合車両センターへ送られる。
- ↑ ちなみに改造前は新潟に所属し、両先頭車が北海道向けに製造された1500番台という貴重な編成だった。
- ↑ 運用はすべて直流区間のみだったので
宝の持ち腐れ状態だったのは言うまでもない。 - ↑ 先程出てきた115系訓練編成はここで使われていた。