国鉄EF63形電気機関車
国鉄EF63形電気機関車(EF63がたでんききかんしゃ)とは、日本国有鉄道(こくてつ)が設計・製造した電気機関車である。信越本線の横川駅〜軽井沢駅間(通称:横軽)で補機として使用された。
登場の経緯[編集]
1950年代から1960年代にかけて、国鉄は主要線区の複線電化および設備の増強によるスピードアップを推し進め、1952年に高崎・上越線の上野駅から長岡駅間、1956年に東海道本線が全線直流電化され、東北本線も1961年に上野駅から仙台駅まで電化された。国鉄は次に都心と長野・新潟県上越・北陸を結ぶ幹線、信越本線の直流1500V電化を目論んだ。
当時の信越線は横川〜軽井沢間がアプト式で単線600V電化かつトンネル高さが低い路線で、キハ80系による唯一の特急「白鳥」やキハ57形使用の急行は気動車で、普通列車は全て機関車牽引であり、首都圏に投入の80系による電車化ができずに、スピードアップや列車増発の障害となっていた。そこで、同区間を複線1500V電化かつ粘着運転可能なほぼ従来ルートに沿う新線[注 1]に切り替えることとなり、その区間で使用する登坂や抑速の補助機関車としてEF63が開発された。また、これに先駆け本務機としてEF62も登場した。
運用開始[編集]
1963年(昭和38年)7月15日に長野〜軽井沢間が電化され、それと同時に碓氷新線およびEF63の使用が開始された。しばらくは暫定的にアプト線と電化線が共存していたが、年末には全列車新線経由となり、電車急行「信州」が新設された。これにより横軽の所要時間が約30分短縮され、ED42を4機繋いでいた区間をEF63の重連で超えられるようになった。その後1966年には電車特急「あさま (列車)」が新設されたが、特急「白鳥」から分離した特急「はくたか」は1969年に長野経由から撤退し、暫く長野経由の北陸特急は設定されず、急行「白山」は長距離昼行客車急行のままだった。
運用方法[編集]
軽井沢方面行き・上り勾配の列車では横川方面に連結され、後ろから押し上げる(推進運転)の形が取られた。横川方面行き・下り勾配の列車でも、暴走防止とブレーキの観点から横川方面に連結され、前から支える形となった。なお、この際電車は無動力状態で、EF63の機関士だけが運転していた。この関係で当時は8両以上の列車は碓氷峠を越えられなかった。
ちなみに、1968年に無動力ではなくEF63と協調運転が可能な急行形の169系が開発され、特急形も同様に1972年に489系、1975年に189系が開発されて9両以上の列車[注 2]も碓氷峠の通過が可能となり、「白山」が489系使用の特急に格上げして電車化された。EF62牽引の客車列車通過の際は横川方面行きが3重連で運転された。
設備[編集]
電車の密着連結器、機関車・客貨車の自動連結器双方とも連結できるように双頭連結器を装備している。また、ジャンパ栓も各車両に応じて数が多い。後期には電車運転士との通信をスムーズにするためアンテナが設置された。台車配置はB-B-Bである。
峠のシェルパよさらば[編集]
1984年には、横軽間の定期貨物列車の廃止で、貨物列車の補機からは撤退。1986年には169系が横軽間の定期急行列車から撤退。そして、JR東日本に継承されたEF63だが、事態は暗転する。1997年末に長野新幹線高崎駅〜長野駅が開業することとなった。このため、並行在来線となる信越本線は第三セクターに転換されることとなった。
しかし、EF63の活躍する横軽区間は、運転方式が複雑だったことや、朝夕の安中市の県境越え私立高校通学生を除き[注 3]、利用者の殆どが廃止される特急列車での移動だったため収益性が悪いと判断され廃線となることが決まった[注 4]。このとき、EF63は製造から既に30年が経過しており、補機としての特殊な構造故に転用が難しく、全車引退することが決まった。こうして1997年10月のJR東日本ダイヤ改正を持って定期運用を退いたEF63は大宮総合車両センター、長野総合車両センターに順次廃車回送され解体された。しかし、別れを惜しんだ有志の手によって静態保存ないしは動態保存された機も存在している。
因みに、この際の面白い話として横川機関区から長野方面へ廃車回送するためにわざわざ首都圏経由の遠回りで移動されたものがある。横軽が廃止されたために、信越線経由で一直線に回送できなくなったためである。
編成表[編集]
号機数 | 製造 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|
EF63 1 | 1962/5 | 1986/8 | 碓氷峠鉄道文化むらにて静態保存 |
EF63 2 | 1963/3-5 | 1997/10 | 軽井沢駅構内にて静態保存 |
EF63 3 | 解体 | ||
EF63 4 | |||
EF63 5 | 1975事故廃車 | ||
EF63 6 | 1997/10 | ||
EF63 7 | |||
EF63 8 | |||
EF63 9 | 1975事故廃車 | ||
EF63 10 | 1997/10 | 碓氷峠鉄道文化むらで静態保存 | |
EF63 11 | 碓氷峠鉄道文化むらで動態保存 | ||
EF63 12 | |||
EF63 13 | 大宮総合車両センターで保存(カットモデル) | ||
EF63 14 | 1966/7 | 1987余剰廃車 | 解体 |
EF63 15 | 1997/10 | ||
EF63 16 | |||
EF63 17 | |||
EF63 18 | 1967/8 | 碓氷峠鉄道文化むらで静態保存 | |
EF63 19 | 解体[注 5] | ||
EF63 20 | 1969/7 | ||
EF63 21 | |||
EF63 22 | 1974/6 | 群馬県安中市で静態保存(個人所有) | |
EF63 23 | 解体 | ||
EF63 24 | 1976/7 | 碓氷峠鉄道文化むらで動態保存 | |
EF63 25 |
注[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |
電気機関車 |