しなの鉄道
しなの鉄道とは、長野県を走る鉄道路線を保有する会社。1997年10月からJR信越本線の軽井沢駅〜篠ノ井駅を引き継いで運営し、2015年3月からは長野駅〜妙高高原駅も運営している。
概要[編集]
長野オリンピック開催が決定し、東京からの観客の高速輸送が課題となった。そこで高崎駅から長野駅まで新幹線を作ることになったが、経営が任されるJR東日本は当初消極的であった。
そこで新幹線を任されるJRは新幹線と並行する在来線の不採算区間は切り離しても良いという条件ができた。これによりJR東日本が指定した不採算区間である群馬横川〜軽井沢〜長野であった。
このうち群馬横川〜軽井沢は群馬と長野の県境を跨いでるため利用が少なめ、大半が特急で普通列車は1日6往復しかなかったため群馬横川〜軽井沢は引き取り手がなくまんまと廃止・・と思いきや、新島学園高等学校の父兄が廃止に「待った」をするべく訴訟を起こしたものの、裁判所は地裁でJR東日本の廃止方針を支持し、訴訟不適格の門前払いでJRは労することなく自分のペースで廃止に持ち込み、高裁、最高裁とも初審を支持したため、廃止の是非の実質審理はなく撤回もされなかった。
長野県は、第三セクター会社を作ることにし、しなの鉄道が創設。ところがJR東日本は篠ノ井線から特急が乗り入れる関係で分離区間を長野までから篠ノ井までに短縮することを提案する。これには、反発の声もあったがオリンピックが迫ってるのか焦りでサッサと地元の同意を取り付けてしまう。
そしてオリンピックより1年早い1997年に北陸新幹線開業と同時に初の新幹線並行在来線引受第三セクターである、しなの鉄道が開業。初代社長に山極が就任したが、県からの債権が嵩み赤字続きであった。
そこで県は債権の催促を放棄したため黒字転換。HISから課長を引き抜くと社長に就かせた。一時期は社長不在により常務が兼任していたがJR東日本からの役員を社長に迎えた。
さらに、信越本線の直江津以南のうち、妙高高原までの長野県区間を引き継ぐことになったが、発足時と違いJR飯山線が乗り入れる長野〜豊野間も引き継いだ。さらに、北長野〜三才の新駅計画に際し、近くに長野電鉄の信濃吉田や朝陽があり、競合の恐れがあることから長野電鉄と同社役員を社長にする調整を行った。
2015年に北陸新幹線が金沢まで延伸開業し、長野〜妙高高原を北しなの線として開業した。
路線[編集]
- 1997年に軽井沢〜篠ノ井開業。
- 2015年に長野〜妙高高原開業。
車両[編集]
JR時代のみの車両はここでは記さない。
- 現有車両
- 115系 - 両線の主力だが、後述のSR1系への置き換えが進んでいる。1000番台のみで、2両編成と3両編成のみが配置される。
- SR1系 - 115系を置き換えるために登場した新造車。2両編成のVVVF車。100番台と200番台が存在し、100番台はライナー列車にも投入されている。全52両を製造し、115系をすべて置き換える。
- 過去の車両
- 169系 - 開業時から3両編成4本が譲渡され運用に就いていたが、2013年に引退し、169系自体がここで全滅した。
- 乗り入れ車両