国鉄62系電車 (2代)

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国鉄62系電車 (2代)(こくてつ62けいでんしゃ)とは、国鉄時代の身延線で使用された旧型国電のことである。

概要[編集]

高度経済成長期終盤になると首都圏や関西圏、中京圏には次々と全金属製の新性能電車が投入されていったが、それに対し地方線区には半鋼製の旧型国電が多数集まっていた。

当然、身延線もその状態が続いていたが、アコモデーション改善目的で「見た目は新性能車、足回りは旧型国電」という「車体更新車」が1974年に投入された。

これが2代目62系であり、4両編成3本の計12両がモハ72系電車から改造された。当初は房総の新規電化区間にも導入される可能性も示唆されたが、なかったことにされ、113系電車が新製配置された。

構造[編集]

車体は115系電車とほぼ同じだが、72系の台枠を改造して流用しているため、台枠の上から車体を膨らませた独特な形となった。

塗色は113系横須賀色に酷似しており、これは115系電車と間違えないための策である。

主要機器もモハ72からの流用で、MT40形主電動機[注 1]にCS10形電動カム軸式制御器の組み合わせとなっており、駆動方式は吊り掛け駆動、ブレーキ方式も自動空気ブレーキと旧性能電車と同様としている。

一方、補助電源装置は113系電車の冷房化改造により発生した電動発電機を流用し、補助電源は交流化された。このため、従来車を編成中間に併結する運用は不可能となった。

台車は種車がモハ63系グループの車両はDT13系台車を履き、種車がモハ72系新製車グループの車両はDT17形台車を履く。

形式はモハ62形、クハ66形のみだが、先述の台車の件があり、前者の台車を履くグループはいずれも0番台だが、後者のグループはそれぞれ500番台、300番台となった。

沿革[編集]

登場後は沼津機関区に配置され、以下の編成が組まれた。

←富士    甲府→

クハ66 モハ62 モハ62 クハ66
66301
(クハ79373)
62000
(クモハ73012)
62001
(クモハ73172)
66000
(クハ79236)
66300
(クハ79423)
62500
(モハ72533)
62501
(モハ72569)
66001
(クハ79186)
66303
(クハ79439)
62503
(モハ72576)
62502
(モハ72632)
66002
(クモハ73118)
  • 括弧内は種車の車番。

本系列は1981年に115系2000番台が大量に投入されて旧型国電が淘汰された後もしばらく生き残ったが、他形式との併結が全くできなくなり[注 2]、1984年に運用を終了した。

早期運用撤退の原因は台枠流用や外板の薄さと誤認されがち[注 3][注 4]だが、実際は幌枠が旧型国電の寸法のままであり新性能化した場合115系などとの併結運用に難が生じていた可能性があるためと思われる。

こうして本系列は、同時期に旧型国電の足回りを再利用して車体更新した72系970番台のように新性能化されたり、国鉄103系1000番台[注 5]のように、短編成線区での1M新性能車の種車にされることはなく、1986年をもって全車廃車となり、そのまま解体に至った。

解体後はクハ66002の前頭部が佐久間レールパークの運転シミュレーターとして使用されたが、リニア・鉄道館には移設されなかった。しかし、佐久間レールパークの建物自体は解体されておらずその後の消息は不明である。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. 端子電圧750V時定格出力142kW・定格回転数870rpm
  2. 115系はSELD電磁直通ブレーキを採用していた。
  3. 一部の文献では72系970番台について「台枠を新造」と書いているが、国鉄の公式資料では「UF132・UF134台枠を流用」と明記されているので明らかな誤りである。
  4. 外板についても工作図面では標準かそれより厚いくらいの2.3mmのため薄いと書くのは誤りである。
  5. 本系列より前に製造された車体もあった。
出典

参考文献[編集]

  • 鉄道ファン 2004年11月号(vol.523) 「笹子峠越えに活躍した『山用電車』ものがたり」p.123