JR東海キハ11形気動車
JR東海キハ11形気動車(JRとうかいキハ11がたきどうしゃ)は、JR東海および東海交通事業が保有する気動車の1形式。後にひたちなか海浜鉄道とミャンマー国鉄に渡った車両も存在する。
概要[編集]
国鉄時代から運用されてきたキハ30系やキハ58系は老朽化が進んでいたが、これらを置き換えるために1988年より製造が開始され、以降1999年までに鋼製車体の0番台10両、100番台23両、200番台4両、ステンレス車体の300番台6両の合計43両が落成。ワンマン対応車である。
2015年から廃車が進み、2016年までに鋼製車がJR東海から除籍されている。
構造[編集]
車体は新潟トランシス製NDCを踏襲し、18m級車体とされたが、200番台までは鋼製、300番台のみステンレス製とされた。
室内はセミクロスシートを採用し、300番台のみは紀勢本線の長距離運用を考慮してトイレを備える。
エンジンはキハ85系で実績のあるカミンズ製のC-DMF14HZ系エンジンを採用し、従来車より大幅な出力向上が図られた。台車は200番台までが心皿式のC-DT58系・C-TR242系空気ばね台車、300番台は円錐積層ゴム式のC-DT64系・C-TR252系ボルスタレス空気ばね台車を履く。
ブレーキ方式は自動空気ブレーキだが、変速方式が変速1段、直結2段で、かつ全自動式のため、キハ40系などの国鉄型気動車との併結は行わない。また、使用線区限定の前提なので、引き通し線は片栓構造となっている。
番台別概説[編集]
0番台[編集]
1988年に製造された暖地向けの車両で、1 - 10の10両が存在。全車伊勢車両区に配置され、紀勢本線、参宮線、名松線で使用された。9は落石事故で廃車になったが、それ以外は車両入れ替えやキハ25への置き換えにより2016年までに全車除籍となっている。
100番台[編集]
1988年に製造された寒地向けの車両で、101 - 123の23両が存在。当初は全車が美濃太田車両区に配置されたが、107 - 112は後に伊勢車両区に移り、0番台と混用された。美濃太田所属車は高山本線と太多線で運用された。美濃太田車は2015年に全車が運用を終え、3両が伊勢車両区に転属した以外は除籍。残る車両も同年10月までに全車除籍となっている。
200番台[編集]
1993年に東海交通事業城北線向けに投入された4両。他のキハ11形鋼製車とは異なり、湘南色帯ではなくオレンジ帯が巻かれ、ステップも持たなかった。当初は4両全車がこの仕様だったが、203と204は線路使用料相殺のために100番台と同一仕様に改造されて美濃太田常駐となった。特に204については一度も城北線の運用に就いたことがない。4両全車が2015年内に城北線での営業運用を終え、ひたちなか海浜鉄道に譲渡されている。
300番台[編集]
1999年に6両が製造された暖地向けのステンレス車。車体幅がやや広い他、車いす対応のトイレを備え、帯色もキハ75と同様のオレンジ1色となった。エンジン出力も200番台までの330psから350psに引き上げられている。当初は紀勢本線の長距離運用に就いていたが、2016年内に2両が200番台置き換えのために東海交通事業に譲渡され、それ以外も伊勢車両区から名古屋車両区に転属した。2022年現在は城北線と名松線全線で使用されるが、城北線の301と302が使用できない際は305が代走を行い、名松線の予備車が確保できない際はキハ25で代走を行う。
譲渡車[編集]
ミャンマー国鉄[編集]
0番台全車と100番台の101 - 122はミャンマー国鉄に譲渡されることになり、入線の際に冷房装置部分の屋根高さの引き下げなどの改造がなされている。当初は全車がミャンマー入りする予定だったが、ミャンマー国内でクーデターが起きた後は日本やミャンマーの港で放置されている車両がちらほら存在する。なお、日本に留置されていた車両も2023年4月頃にシンガポール経由でミャンマー入りすることになった。
ひたちなか海浜鉄道[編集]
100番台の123と200番台全車はひたちなか海浜鉄道入りし、うち201と202以外の3両が塗色変更や改番などをなされて運用に入り、従来から運用されていた元羽幌炭鉱鉄道のキハ222、元留萌鉄道のキハ2004とキハ2005を置き換えた。なお、置き換え後も残った、元国鉄キハ20系のキハ205やLE-Carのミキ300-103とはもちろんのこと、同じNDCでありながら半自動変速のキハ3710形・キハ37100形との併結も営業時には行わない。
関連項目[編集]
JR東海の鉄道車両 |