国鉄115系電車 (新潟)

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新潟の115系。本稿では2018年4月以降に生き残った7編成と、2010年代前半にいた珍車達について述べる。

新潟N33編成

概要[編集]

  • 3両×7編成=21両がそれぞれ残っていた。
  • 2022年3月ダイヤ改正で唐突に引退。だが、長岡駅には引退を口外できなかった駅員が運行状況と115系が使用される列車の正確な情報を紙に起こし、貼り出してくれていた。
  • これにより、JR東日本からは本当の意味でさようならとなった。[1]本当にお疲れさまでした。

各編成の紹介[編集]

  • それぞれページがあります。詳細はそれぞれのページでご覧ください。

旧弥彦色[編集]

新弥彦色[編集]

  • 新潟N36編成があたる。
  • 173Mが最終運用。
  • クモハは先頭改造車。

湘南色[編集]

初代新潟色[編集]

  • 新潟N40編成があたる。
  • 2335Mが最終運用と見られる。
  • 未更新車。

第一次新潟色[編集]

  • 新潟N37編成があたる。
  • ダイヤ改正時、故障で実質引退となっていた。

第二次新潟色[編集]

  • 新潟N34編成があたる。
  • 142Mが最終運行となったが故障してしまい、N33編成と連結。

第三次新潟色[編集]

2010年の前半まで生きてた珍車達[編集]

新潟では岡山や広島程では無いが、かなり滅茶苦茶な改造車や珍車などが存在した。

0番台[編集]

新潟の115系といえばこれ、と思う方も少なくないだろう。 モハの0番台が各地で消滅していく中、新潟では12両も生き残っていた。その中には「モハ114-99」という純正モハで2桁というとんでもない車両も存在した。L6編成が2016年10月に引退したことにより形式消滅した。

500番台[編集]

ワンマン改造車、ワンマン未対応車(増結車)、訓練車に分けられる。ワンマン未対応車はE129系を見ることもなく2014年に長野の115系によって置き換えられた。

ワンマン改造車はN36・33編成が纏っていた塗装の元祖である。2015年にE127系によって置き換えられた。

この内Y1編成のクモハ115-501は鋼製ドアが残っており貴重であった。

訓練車は2016年に消滅。これにより500番台は形式消滅した。

550番台[編集]

3両存在した。L1-3編成のクハはこれ。2013年の広島から全廃してから新潟が最後の砦となった。この車両は最古参レベルの車両が勢揃いしていた。2014年に2両、翌年8月に1両廃車となり、形式消滅した。

600番台[編集]

新潟では1両のみ存在しL4編成に組み込まれており、JR東日本最後のトイレ初期窓車となっていた。2015年8月に消滅した。

1600番台[編集]

地味だったが1両1系式という珍車であった。N26編成に組み込まれていた。2016年に廃車し消滅。

N28編成[編集]

形式で目立ってはないが、新潟支社の中では異端児であった。
この車両は3次新潟色を纏っており更新車なのだが、初期に改造されたためか菱形パンタのままで活躍していた。

L99編成[編集]

詳細は「JR東日本115系1000番台L99編成」を参照

生え抜き車の塗装変更編成[編集]

2011年までは全て、キムワイプまたはJKワイパーであった。 ところが2011年に0番台モハを含んだL6編成、リニューアル車のN2編成が湘南色で出場。さらに追い風をかけるように2014年にN23編成、L9編成が湘南色に変更された。
そして2017年にはN3編成がN40編成の元となった塗装の懐かしの新潟色として出場した。
残念ながら、生え抜き車達は新潟駅高架化の保安装置や老朽化の関係上、
N2は2017年の改正、
L6はまるでN40と交替するかのように2015年に、
N23は2016年12月に、
L9は2016年の改正で、
N3は2018年の改正でそれぞれ全て廃車となった。

サハ付きの編成[編集]

L12-L14編成が該当。
基本的に全国の115系はTc-M'-M-Tcで編成されたが、この編成は高崎と共に珍しいタイプでTc-T-M'-Mcの編成が特徴的であった。
全て1000番台であり、L12.13は2016年までに廃車となった。
L14編成はと言うと…

N39編成[編集]

先程述べたL14編成のサハを抜き取って3連化したもの。このようにサハを抜いて完全に3連化する例はここと高崎でしかないレアな編成である。
しかし生え抜き車で未更新ということが災いし、2014年12月にデビューしてから僅か2年で長野行きとなった。

E129系投入前の運用[編集]

投入前は新潟支社の直流電化区間全てで見られた。

N編成[編集]

新潟支社の直流区間全区間で活躍をしていた。N編成同士の6連、S編成と組んで5連、L編成と組み7連で走っていたこともあった。

S編成(トイレ無し)[編集]

主に増結用で、単独での定期運用は無い。トイレ有り同士で組んでL編成の代走を行うこともあった。

越後線全線、弥彦線吉田以南、信越本線宮内以東、上越線全線、白新線、羽越本線(水原方面除く)で増結運用をこなしていた。

S編成(トイレ有り)[編集]

増結用でもあるが、単独での運用もされる。

越後線全線、弥彦線吉田以南、信越本線直江津以東、上越線全線、白新線、羽越本線全線で活躍していた。

L編成[編集]

4両編成のグループ。

信越本線柏崎以東、越後線全線、弥彦線吉田以南、上越線全線、白新線、羽越本線(水原方面除く)で運用していた。

Y編成[編集]

ワンマン運転を行うグループ。

弥彦線が主な活躍地域だが、E127系を代走することがあり、白新線や羽越本線にも乗り入れた。送り込みで越後線で一往復運用も存在した。

運用の変遷[編集]

新潟に乗り入れ始めたのは1970年少し前の所で、新前橋区による車両によって長岡まで乗り入れる運用が誕生した。

1978年に旧国の置き換えで300番台で捻出された1000番台の車両が長岡運転所に配属。新製車も増えていき、続々と旧国の運用を置き換えた。

1984年に越後・弥彦線が電化されることを受け、広島や岡山、そして身延線などにいた0・500・2000番台が新潟にやってきた。この車両は寒冷地対策を受けて1000番台と共に越後線や弥彦線でも活躍を始めた。

1988年には500番台の一部車両が弥彦線でワンマン運転を開始。さらにこの当時にはデカ目のクハも存在したが首都圏の211系投入で1000番台が捻出され置き換えられた。これによりデカ目のクハの運用は終了。

この後リニューアルなどもされ安泰かと思われたが、2015年よりE129系の本格的な投入が開始された。

Y編成は2015年のダイヤ改正で運用を終了した。

0番台が残った編成も2015年秋を持って運用を終了。

L編成、S編成(トイレあり)の運用は2016年3月の改正で終了、それと同時に上越線での定期運用も終了。S編成のトイレ無しについても7月に終了した。

その後はゆっくり置き換えが進んだが、2018年改正でついに新潟生え抜き車の運用が終了した。これにより、白新線や羽越本線、そして信越本線の普通列車の定期運用が全て無くなった。

残りは越後南線を中心として新井快速などの運用のみでしばらく小康状態が続いたが遂に2022年の改正で終了した。

保存車[編集]

N-15編成のクモハが、新津鉄道資料館に保存されている。N-15編成は新潟生え抜き車で最後まで残った未更新車であった。
ちなみに新津鉄道資料館では過去の新潟115系全編成の写真を公開している。

余談[編集]

実は長野転属車と新潟生え抜き車には細かいがかなり違いがある。

  • ドアステッカーが違う(前者は「手にご注意を」、後者は外側が「駆け込み乗車は危険です!」内側はSuicaの広告)
    • ↑さらにドアステッカーの張り付け方も、長野転属車は全車全ドアに張り付けているが、新潟生え抜きはドアステッカーが中途半端に張り付けられている。
  • 行き先のサボ入れが無い(前者は未更新車すら無いが後者には更新車にもある)
  • 未更新車の違い(前者は青モケット緑壁で灰皿撤去跡が放置され完全国鉄、後者は新潟独特の角形モケットで白壁)
  • パンタ装備の違い(前者は全車シンパ[2]改造済み、後者は3次新潟のみにシンパ)
  • コンプレッサーの音の違い(前者はコポコポコポコ…で高い音で小さな音が特徴、後者はガガガガガガ…で低く暴力的で大きなな音が特徴)

長野転属車の目的[編集]

2013年の時点で115系を置き換える、というのは確定しており置き換え用のE129系は2014年12月にデビューした。
しかし2014年12月までにL1.L2.S13.S14.S15がE129系がデビューする前に置き換えられている。
実は2014年に製造したE129系の置き換え目的はトキ鉄にE127を譲渡するためのE127系の運用を置き換える為であり、状態の悪い初期型の115系の置き換えはE129系で行っていない。
N34-38編成はそれぞれ初期型の115系が廃車となった時と同時に入れ換わるように転属してきている。長野転属車は115系初期型を置き換える為に転属してきた。
N40編成は2015年にL99編成と共に長野から転属、同じ湘南色であるL6編成を置き換えた。
N33編成は置き換えではなく、事故で廃車となった、E127系の補充の為2013年に転属。

関連ページ[編集]

外部リンク[編集]

2022-3-26撮影会について。(JR公式)

脚注[編集]

  1. 東日本で残っているのはしなの鉄道のみ。
  2. シングルアームパンタグラフ