国鉄715系電車
国鉄715系電車(こくてつ715けいでんしゃ)とは、419系と共に583系から改造された交流近郊型電車である。国鉄分割民営化の際にはJR東日本とJR九州にすべて承継されたが、1998年に全廃された。JR西日本承継の419系は当該記事を参照。
登場の経緯[編集]
1980年代に入ると、広島地区をはじめ、地方都市近郊の電化区間の日中の列車増発が進められ、直流区間では直流電車の短編成化で対処した。
一方、交流区間の普通列車は未だ客車や気動車が主体であり、特に客車列車は機回しが必要[注 1]で、かつ加減速も比較的悪く[注 2]、ダイヤ上でのネックとなってしまっていた。
しかし、交流区間走行可能な近郊型電車は新造の際、1両あたりの価格が高くつき、417系は東北地区だけの15両で打ち切り、713系は国鉄財政悪化と重なったため、九州地区のわずか8両で増備終了となり、これ以上の増備は行われなかった。
その後、1982年の東北新幹線開業による交直流区間の急行列車の相次ぐ廃止や特急化[注 3]により、大量の455系・475系電車が急行運用を離脱し、これらが短編成化の上で近郊化改造を受けたが、この時点でも各地に短距離の気動車列車や客車列車を残さざるを得なかった。
それでも、短編成化や増発を推進するためには電車が不足するため、国鉄は寝台特急の縮減で余剰となっていたボックスシート車583系を改造して近郊型に投入することになった。こうした経緯で1984年2月に西九州地区、1985年3月に仙台・福島地区で運用開始したのが715系である。
改造[編集]
583系自体はお世辞にも特急運用向きとしか言えなかったため、以下の改造が施行された。なお、8年使用できればという前提で改造されたが、実際は、より老朽化の著しい421系や451系の淘汰のために交流電車の必要数が増えたため置き換えは15年程度後になった。
- 折戸ではあるものの扉を1箇所増設
- 一部の窓を開閉可能とする
- 一部の座席をロングシート化しておく
- トイレを編成あたり1箇所残してすべて撤去
- パンタグラフを1基撤去
- 一部中間車を先頭車化
- 歯車比を101系の廃車発生品に変更
まず、先頭車化改造車は切妻のため、その面長な見た目から「食パン」というあだ名がついた。続いて、101系からの廃車発生品に歯車比を変更したことで最高速度は100km/hとなり、最高時速110kmの455系・475系や717系との共通運用が組めないという問題点も生じた。
形式別解説[編集]
- モハ715・モハ714
- 0番台はモハネ581・580からの、1000番台はモハネ583・582からの改造で前者は12両ずつ、後者は15両ずつ登場。直流区間に乗り入れることがないため直流機器は使用停止となった。
- なお、モハネ581とモハネ580はこの改造により全滅している。
- クハ715形0・1000番台
- クハネ581からの改造車で、0番台は10両、1000番台は15両が登場。長崎方、あるいは黒磯方の先頭車で、583系オリジナルの電気釜スタイルが特徴となっている。
- クハ715形100・1100番台
- サハネ581からの改造で、100番台は12両、1100番台は15両が登場。鳥栖方、あるいは一ノ関方の先頭車で、食パンスタイルが特徴。
- クハ714形
- サハネ581からの改造だが、クハ715形0番台の不足を埋めるために0番台のみ2両が登場した。長崎方の先頭車だが、食パンスタイルが特徴である。
運用[編集]
仙台地区[編集]
1000番台4連15本が仙台運転所に配置され、国鉄分割民営化時にはJR東日本にすべて継承された。JR化後にさらなる使用を見込んで特別保全工事を施工された車両も存在したが、1995年から701系への置き換えにより廃車が開始され、1998年3月に定期運用を離脱、同年4月までに臨時を含めたすべての旅客運用を終え、8月までにすべて廃車となり形式消滅した。
九州地区[編集]
0番台4連12本が南福岡電車区に配置され、国鉄分割民営化時にはJR九州にすべて継承された。長崎本線・佐世保線の運用を中心に、鹿児島本線の福間以南での運用もあったが、末期は入出庫以外では鹿児島本線内でほとんど見かけなくなった。その後、1996年から813系に置き換えられて廃車が進み、1998年3月に運用を離脱、同年8月に最後まで残った7本が廃車され、形式消滅となった。
廃車後はクハ715-1を除きすべて解体処分され、クハ715-1のみは車内外の一部を581系時代に復元されたうえで九州鉄道記念館にて静態保存されている。側扉やセミクロスシートは715系時代のまま残された。
関連項目[編集]
注[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |