国鉄165系電車
国鉄165系電車(こくてつ165けいでんしゃ)は、日本国有鉄道が設計、開発した急行形直流電車である。なお、本稿においては、碓氷峠通過対策用の169系電車も記載する。
登場に至った経緯[編集]
国鉄153系電車によって直流電化区間に電車急行、電車準急が登場したが、これには勾配線区の運用に不向きという弱点があり、上越線の急行電車には国鉄モハ80系電車を投入することになった。そこで、電動機のパワーアップと抑速ブレーキを装備して下り勾配を一定の速度で走行できる電車として登場したのが本形式である。
概要[編集]
国鉄153系電車と同じ車体構造である片開き2扉の急行形直流電車である。塗色はやはり国鉄153系電車と同じ湘南色であるが、クハ165、クモハ165の前面塗り分けが異なる。サロ165は、サロ152と同じく室内はリクライニングシートが24脚並んでいる。国鉄153系電車と同様な構造である。
機器類についてはMT46より高出力なMT54形主電動機に抑速ブレーキ付きのCS15を搭載し、勾配線区での運用を容易にしている。このシステムは同時期登場の115系にも引き継がれた。台車は電動車はDT32、制御車及び付随車はTR69である。
制御電動車クモハ165が登場し、最低3両編成を組成できたことが大きな特徴である。
形式[編集]
165系[編集]
- 急行形直流電車の基本形である。主な使用列車として、関東と甲信越を結ぶ急行アルプスや急行佐渡・よねやまや上野と北関東を結ぶ急行「ゆけむり・草津」、急行「なすの」などがあり、信越本線の急行「信州」にも当初最大8連で、碓氷峠を無動力EF63被牽引で運用されていた。
- 一部の車両はクハ455に改造された。
163系[編集]
- 当時使用していた153系を113系のように出力増強型車両として新形式で登場させないか。という構想により開発された。しかし形式を減らした方が得策と考えたのか国鉄はサロ7両のみ製造とした。この車両は国鉄153系電車に組み込まれて冷房化を推し進めた。[1]
167系[編集]
- 当時修学旅行専用車として使用されていた155・159系が国鉄153系電車を基調にしたのに対して本形式は勾配線区用として国鉄165系電車を基調に誕生した。
- 修学旅行シーズン外は急行運用[2]にも入り、後年は冷房化改造、塗色の湘南色化を行った。
- 1980年代後半以降は、急行「ごてんば」や臨時大垣夜行の運用にも入った。
詳細は「国鉄167系電車」を参照
169系[編集]
- 最初の碓氷峠EF63協調対応車[3]として設計。当初は165系900番台だったが、後に量産車化改造。169系として運用している。
- なお、本形式は信越本線、中央本線、篠ノ井線など東日本地区での活躍が多かった。
165系電車[編集]
サロ165[編集]
サロ152と同じ車体構造を持つリクライニングシートを24脚装備した一等付随車である。客用扉が両側2か所にあり、幅は700mmある。2席で1組の一段下降窓があり、上部に水切りがある。冷房は当初はAU12、後にAU13となった。
サロ163[編集]
先述したとおり、冷房付き一等車が7両製造されて終わった。専ら153系の編成に組み込まれて使用した。
クハ165[編集]
運転台を持つ二等制御車である。前面は高運転台で、中央部に貫通扉を設け、前照灯は運転台下に左右に振り分けられた。台車はTR69である。
モハ164[編集]
パンタグラフを1機有する二等中間電動車である。500番台は簡易運転台が取り付けられており、簡易運転台設置の関係上、本番台は便所が車端部ではなくドアと客室の間となった。また、中間にはライトが設置されている。
800番台は中央本線の山梨県内、身延線の狭小トンネル対応車。◆[4]が車両番号[5]の左に付けられた。そのため、急行アルプスのモハ164はすべて本番台だった。
- 1980年代半ばに、狭小トンネル対策不要な飯田線普通列車用に転属した800番台もあった。
モハ165[編集]
二等中間電動車である。分割併合も自在なクモハ165で需要の多くを満たしたため、あまり多くは製造されなかった。
クモハ165[編集]
二等制御電動車である。本形式により、165系電車は最短3両編成を組成することができた。
サハ165[編集]
サハシ165[編集]
サハシ153と同様の車体構造を持つ立食形式の半室食堂車である。車体の三分の二が食堂で、三分の一が二等車である。両者の間にはデッキがあり、幅700mmの客用扉がある。食堂側の屋根上にはAU12クーラーが搭載されている。客用便所、洗面所はない。東海道本線が寿司コーナーだったのに対してこちらはそばコーナーとなった。
サハ164[編集]
- 中央本線や信越本線などでの急行運転の際、食堂付随二等車サハシ165が足りなくなったことを受け、簡易売店を設置した二等付随車である。業務用扉があり、ドアは3つという異端車だった。
169系電車[編集]
信越本線横川駅-軽井沢駅は1963年9月までアプト式軌道が使われ、急行型はディスクブレーキを備えるキハ57しか入線できない制限があった。同年10月に、この区間で粘着運転開始後は乗り入れ制限は無くなったが、電車、ディーゼルカーともに補機のEF63による牽引で客車と同様の無動力での運転となった。しかし、急勾配区間での連結器切断、座屈現象が起きたため、重量制限によりこの区間での電車は8両、気動車は7両に制限され、1967年11月に165系900番台として試作されたのが本形式である。
当初はクハ、モハ、クモハでペアを組む900番台が4編成12両製造された。この車両は1969年に量産化改造が施工されて169系電車に編入された。モハ164 900番台は中央本線へ入線ができるように低屋根化改造した。なお、169系新製車は全て低屋根車である。昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正をめどに製作されたのが本形式である。
特徴は国鉄EF63形電気機関車との協調運転で最大12連運用ができることで、このための新設計の主制御器を搭載したほか、空気バネパンク装置の搭載など急勾配区間での非常時の保安対策が各方面にわたって考慮されている。
サロ169[編集]
19両すべてがサロ165から改造された。
クモハ169[編集]
27両すべて新製車
モハ168[編集]
27両すべて新製車
クハ169[編集]
27両すべて新製車
サハシ169[編集]
10両すべてサハシ153、サハシ169からの改造車。
改造[編集]
冷房化改造[編集]
- 当初はAU12、後にAU13となった。モハ164は当初から集中式であった。
ジョイフルトレイン[編集]
詳細は「ジョイフルトレイン#165系改造車」を参照
他系列からの改造[編集]
「国鉄153系電車#他系列への改造」も参照
- クハ164
- サハシ165
- サハシ169
- クヤ165
運用[編集]
中央本線、上越線、信越本線、東北本線のほか、山陽本線、東北本線でも活躍した。
山陽新幹線岡山開業によって余った車両は関西地区で増発された新快速の運用、博多開業によって余った車両は房総地区の急行運用にも就いた。
東北・上越新幹線大宮開業時には急行「日光」、「ゆけむり」、「つがいけ」等に使用の車両が余剰となり、車両は長らく架線下DC運用を続けた急行「赤倉」の電車化、153系急行老朽置き換えや飯田線で80系の置き換えとして普通列車運用に就いた。
東北・上越新幹線上野延伸時には、上越線で余剰になった車両が、老朽置き換えや普通列車への転用に供され、昭和61年11月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では中央本線の急行アルプス (列車)の183系電車置き換えにより紀勢本線へも転出した。
国鉄分割民営化後はJRの本州3社に継承された。
最終的に2002年まで定期運用され、保留車を含め2008年までにJRから姿を消した。
譲渡車[編集]
秩父鉄道3000系電車[編集]
1992年よりJR東日本から165系3連3本を譲り受け、秩父路号用に改造されて運用に就いた。しかし、2003年頃より安全性緊急評価を行った結果主回路の配線がボロボロであることが判明し、予備部品の確保などを鑑みた結果2006年に3本とも西武101系から改造された6000系に置き換えられて全廃された。
しなの鉄道169系電車[編集]
1997年の長野新幹線開業により3連4本が譲渡され、しなの鉄道カラーに塗り替えられた以外は原型で使用された。最終的に1本のみがリバイバルカラーに塗り替えられ、2013年まで使用された。
富士急行2000形電車[編集]
2001年に引退したパノラマエクスプレスアルプスを2本とも譲受し、同社のフジサン特急にて使用されたが、2014年に8000系が転入し1本が廃車。残りの1本も8500系の転入により2016年に運用を終了し、これをもって急行型直流電車は日本から姿を消すことになった。
影響[編集]
それまで、機関車牽引客車、キハ55系、キハ58系といった気動車、80系電車によって運転されていた旅客列車に比べて大幅なスピードアップが実現した。
その他[編集]
107系は本系列の主電動機や台車など使用して製造されたが、165系から車籍は引き継いでいない。こちらも2017年までにJRからは引退しているが、上信電鉄への譲渡後も機器はそのまま健在である。
関連項目[編集]
脚注[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |
JR東海の鉄道車両 |
JR西日本の鉄道車両 |