大垣夜行
大垣夜行 (おおがきやこう)は、かつて、東京駅と大垣駅を結んでいた夜行普通列車の通称である。
概要[編集]
登場した経緯[編集]
高度経済成長によって日本国有鉄道の輸送量は大幅に伸び、列車本数も増加の一途を辿っていった。しかし職員の人数は不足し、超過勤務によるストライキも多発していた。このため、輸送量が多くてもそれに見合う収益が少ない長距離普通列車を削減しつつ、停車駅を絞った荷物列車を分割せざるをえない状況であり、ラッシュ時に対応していない旧型客車使用による関西地区での遅延も問題であった。
東京駅と大阪駅を結ぶ、明治時代から運行されている国鉄東海道本線143列車・144列車も同様な状況であったが、朝日新聞の投稿がきっかけで、客車列車は廃止されたが国鉄モハ80系電車で運転されていた夜行普通列車の運転時間帯を変更して存続されることとなった。東門線の郵便輸送や荷物輸送も増加の一途を辿っていたのも存続の理由であった。
夜行列車の需要の落ち込みで乗客は減っていったが、ワイド・ミニ周遊券の急行料金がタダになる東阪間直通の自由席付き急行列車が運転されなかったため、若者層に人気があった。1982年に青春18のびのびきっぷ(青春18きっぷの全身)が発売されると、関東から中部を乗換なしで移動でき、西日本方面への移動もホテル代が節約できる便利な列車としては注目を集めた。このため青春18きっぷの有効期間は混雑が激しく、救済臨も運行された。しかしそれ以外は帰宅ラッシュ時を除き閑散としていた。1996年にムーンライトながらに引き継がれた。
特徴[編集]
深夜帯は小駅は通過していた。下りの浜松以西、上りの静岡以西(後に豊橋以西)は始発・最終の役割を負っていた。
下りは現在では浜松・新所原方面からの接続列車の無い飯田線豊橋駅初発と接続。夏登山シーズンは金谷に臨時停車して、大井川鉄道に接続列車が運行されたことがあった。
沿革[編集]
- 昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正 - 従来の夜行普通客車列車を電車化して設定。使用車両は国鉄153系電車に国鉄クモユニ74形電車を連結。
- 昭和57年11月15日日本国有鉄道ダイヤ改正 - 国鉄165系電車に変更。ただし167系も併用。急行「東海」と共通運用でグリーン車を2両連結していた。
- 1996年 - 急行東海が373系で特急化されるのにともない、定期の1往復が373系の快速ムーンライトながらに格上げされる。以降、165系を使用した臨時の1往復が「大垣夜行」と呼ばれる様になる。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
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