アルプス (列車)
Alps
種別 | 準急 → 急行 |
運行事業者 | 国鉄→東日本旅客鉄道 |
走行路線 | 中央本線 篠ノ井線 大糸線 |
起点駅 | 新宿駅 |
終着駅 | 松本駅 |
両数 | 12両 |
使用車両 | 165・169系→183・189系 など |
運行開始年 | 1952年 |
廃止年 | (昼行) 1986年/(夜行) 2002年 |
備考 | ムーンライト信州として引き継がれた。 |
アルプスとは、東京都新宿駅から甲州・中信地方を結んでいた急行列車の愛称である。本ページでは、アルプスの他、前身列車や併結されていた急行列車についても紹介する。
概要[編集]
新宿駅から中央本線甲府駅以遠での運行を行っていた急行列車である。最後までビュフェの営業を行っていた列車である。また、最後まで国鉄クモニ83形電車で荷物輸送を行っており、特別急行列車への格上げを行わなかったのもそのためである。
歴史[編集]
中央東線は、開業以来長らく普通列車のみの運行だったが、1948年に付加料金の必要な機関車牽引の夜行客車準急列車が設定され、1952年に初めて「アルプス」と命名された。同年には昼行客車準急も設定された。
1960年4月25日には、国鉄キハ55系気動車によって新宿駅と松本駅の間の急行列車として、急行「第1アルプス」、「第2アルプス」、準急「第1白馬」、「第2白馬」が新設され、松本機関区のキロ25とキハ55が投入された。準急「白馬」は全車指定席とした。後にキハ58が加わり、1964年には上諏訪以東の急行「たてしな」を皮切りに165系電車が加わった。
昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では、「白馬」、「上高地」、「穂高」など中央東線を通る定期急行は「アルプス」に愛称が統合され、夜行で1往復残っていた客車急行が消滅した。1975年3月まで糸魚川駅への乗り入れや小海線直通急行「八ヶ岳」併結[注 1]の関係で気動車が残っていた。
1982年11月には2往復削減され、1983年7月に塩嶺トンネルが開業したが、夜行1往復と「こまがね[注 2]」併結の昼行3往復は大八廻りルートで残った。1985年3月には昼行「アルプス」全てが塩嶺トンネル経由になった。
1980年代中盤は岡谷以東で新宿との拠点間直行でリクライニングシート設備の中央高速バスが中央自動車道で新設増便される途上だったが、輸送力が大きく、中途区間の往来の自由が利くアルプスは登山客や避暑客で賑わった。また、急行荷物列車のない中央本線では、国鉄クモニ83形電車を連結して荷物輸送を行った。
しかし1986年(昭和61年)11月ダイヤ改正では飯田線に直通する「こまがね」が中央高速バスに完敗すると、そのあおりで急行車両の整理配転も兼ね、荷物輸送も廃止されたために昼行「アルプス」は全廃された[注 3]。一方、特急「あずさ」の停車駅のパターンは多様化し、後に物議を醸す峡東三駅も「あずさ」が1〜3駅停車するようになった。
夜行列車は国鉄183系電車に置き換えられ、下り2往復、上り1往復となってJR化後も運行され、上りは長野駅発となるが、これも上りは2001年に、下りは2002年に廃止された。
運行形態[編集]
昭和57年11月15日日本国有鉄道ダイヤ改正まで電動発電機、コンプレッサーの関係でビュフェ営業廃止後もビュフェ車を連結。登山者の荷物置き場や後のロビーカーのように活用されていた。
車両[編集]
定期廃止後[編集]
- 昼行廃止後は、あずさとして特急に格上げされたが、辰野駅には国鉄昼行急行が発着しなくなった。
- 急行全廃後、夜行快速列車ムーンライト信州が臨時運行されたが、2018年(平成30年)12月一杯で設定が無くなった。
関連項目[編集]
注[編集]
- ↑ 「八ヶ岳」は新宿発は小海線内普通列車併結、新宿行は小海以北で普通として運行。
- ↑ この時、下りこまがねの1本が初めて天竜峡以南の平岡駅に乗り入れた。
- ↑ 他方、昭和55年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正以降の「急行大減量、在来幹線総特急化」の中で、中央東線の昼行優等列車の総特急化を惜しむ声も当時の鉄道雑誌で見られた。
参考文献[編集]
甲信越/岐阜の主な列車 |
☆彡夜行列車☆彡 |