国鉄キハ58系気動車
国鉄キハ58系気動車(こくてつきは58けいきどうしゃ)とは、日本国有鉄道が開発、製造した気動車である。
概要[編集]
主に急行列車に用いられ、富士急行でもほぼ同じ車体構造を持つ車両が投入された。
「キハ58系」と通称されるが、日本国有鉄道は正式形式名としておらず、キハ58と同じ車体構造を持つ気動車のことを便宜的に現場やファンが系列名で呼んだものである。
登場に至った経緯[編集]
国鉄キハ55系気動車によって各地に登場した気動車準急は、客車急行を上回る速度と快適性が好評で各地に新設、増発が望まれた。さらに、この車両を用いた急行列車も登場したが、戸袋窓部にロングシートがあること、二等車の設備がリクライニングシートではなく、回転クロスシートであることなど、急行列車として使用するにはやや見劣りがした。そこで国鉄153系電車と同じ車体構造を持つ形式として登場したのが本形式である。
概要[編集]
車体長は国鉄キハ55系気動車と同じくエンジン数に関係なく21300mm、車体幅が広げられて裾が絞り込まれるなど、急行形電車とほぼ同じ車体構造を持つ気動車である。ただし、パノラミックウィンドウとユニットサッシ、一等車の蛍光灯のカバーの設備は建造費を抑える面から見送られ、平面窓と一段上昇窓となった。台車もコイルバネである。一等車も急行形電車と同じ構造である。半室食堂車ビュフェは作られなかった。屋根は張り上げ屋根となった。後にキハ58-1100番台、キハ28-1000番台としてパノラミックウィンドウ車が出ている。
2023年までに全車が除籍され、現在は廃形式となっている。
新造車[編集]
番台区分と配置両数は、[1]を参考にして記載している。
キロ26[編集]
北海道用の一等車である。客用窓を二重窓にするため、急行形電車、気動車では唯一の一段上昇窓となっている。室内はリクライニングシートが26脚並んでいる。
JR北海道には2両を継承したが、1両はアルファコンチネンタルエクスプレスの改造種車となり、残る1両も1988年に廃車となっている。
番台区分は以下の通り。
- 0番台: 1961-62年に製造され、苗穂に11両、函館に7両配置された。
- 100番台: 1963-66年に製造され、苗穂に2両、函館に3両、手稲に1両、札幌に1両配置された。
- 200番台: 1968年に製造され、苗穂に3両配置された。
キロ27[編集]
詳細は「国鉄キロ27形気動車」を参照
信越本線用の一等車である。サロ152と同様な車体構造で、客用窓は二組で一つの一段下降窓である。
信越本線横川駅-軽井沢駅の碓氷峠のアプト式ラックレールに接触しないように空気バネの台車とディスクブレーキを装備した。1963年10月の粘着運転移行後もそのまま使用されていたが、電車化によって本来の目的を喪失したまま他線区の急行運用に就いた。1980年までにすべて廃車され現存しない。
1961-62年に製造され、長野に7両配置された。
キロ28[編集]
詳細は「国鉄キロ28形気動車」を参照
本州以南用の一等車である。台車以外はキロ27と同様な車体構造である。後年、屋根が通常の高さとなったモデルチェンジ車も作られた。冷房化改造の際は自車のみ給電の4DQが設置されたが、さらに3両分給電の4VKエンジンに置き替えられ、その車両は車番に2000を加えられた。
国鉄時代に大半が廃車または後述の国鉄キユニ28形気動車に改造されたほか、四国総局と九州では車両はそのまま後述のキロハ28やキハ28 5000、もしくはキハ28 5200に改番された車両もある。この他、一部はキハ80系の台車であるDT27・TR67に換装された車両も存在するが車番はそのままであった。東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道には21両が継承されたが、西日本にてキロハ28に4両が改造されたほか、2008年に最後までJR東海に残った保留車2303が廃車となり廃形式となっている。
番台区分は以下の通り。
- 0番台: 1961-63年に製造された。最初の配置は、秋田6両、新潟6両、郡山2両、松本14両、田端3両、美濃太田1両、多治見1両、名古屋5両、福知山1両、宮原5両、和歌山9両、米子8両、岡山1両、広島3両、小郡3両、高松6両、竹下2両、大分5両、都城3両、鹿児島1両。
- 300番台: 1968-69年に製造された。最初の配置は、美濃太田2両、名古屋1両、福知山1両、宮原6両、鳥取1両、広島1両、小郡2両。
- 500番台: 1968-69年に製造された。最初の配置は、札幌2両、苗穂1両、函館1両、青森2両、新潟5両、米子7両。
- 6000番台: 1991年に改造によって登場した。主な改造箇所は暖房を電気暖房にしたことである。最初の配置は、向日町2両。
キロ58[編集]
詳細は「国鉄キロ58形気動車」を参照
勾配区間の続く中央本線用に製造された。DMH17Hエンジンを床下に2基設置したため便所用水タンクを屋根上に設置した。後年、冷房化改造の際はディーゼル発電機を搭載できず、他車から給電された。わずか8両のみ製造され、うち3両がキニ58に改造された。残る5両もJRに継承されず廃車になった。
1963年に製造され、松本に8両配置された。
キハ27[編集]
床下にDMH17Hエンジンを1基搭載する二等車である。北海道仕様となっており、客用窓が二重窓で、通路が板張りなど、酷耐寒耐雪装備となっている。後年、運転台窓がパノラミックウィンドウとなったモデルチェンジ車が登場した。
最後まで快速ミッドナイト用の500・550番台6両が冷房化改造を受けて残っていたが、これらについても2001年3月31日までに全車廃車となり現存しない。
番台区分は以下の通り。
- 0番台: 1961-63年に製造され、旭川に2両、池田に1両、苗穂に35両、函館に18両配置された。
- 200番台: 1968年に製造され、釧路に2両、帯広に1両、苗穂に8両、札幌に4両、函館に2両配置された。
キハ28[編集]
床下にDMH17Hエンジンを1基搭載する二等車である。後述のキハ58と同一車体ながら、側面の吸水口が1つのみである。ちなみに、信越本線用には1エンジン車は投入されなかった。修学旅行専用車両として800番台が製造された。 冷房化改造の際にディーゼル発電機の4VKも設置された車両は車番に2000をプラスした。1968年からは運転台窓がパノラミックウィンドウとなったモデルチェンジ車も作られた。1980年10月1日改正では四国総局管内のキロ28はすべてキハ28 5000、もしくはキハ28 5200に改番された。
2023年2月8日、いすみ鉄道にて残っていた2346が完全引退したことによりキハ28はおろかキハ58系の現役車もなくなった。
キハ56[編集]
床下にDMH17Hエンジン2機を持つ北海道用の気動車である。キハ22と同様、客用窓が二重窓、通路が板張りなど、酷耐寒耐雪装備となっている。後年、運転台窓がパノラミックウィンドウとなったモデルチェンジ車が登場した。
2002年までにすべて廃車となり廃形式となっている。
番台区分は以下の通り。
- 0番台: 1961-62年に製造され、苗穂に26両、函館に19両、池田に2両配置された。
- 200番台: 1968年に製造され、苗穂に7両、札幌に7両配置された。
キハ57[編集]
詳細は「国鉄キハ57形気動車」を参照
床下にDMH17Hエンジン2機を持つ信越本線用の気動車である。
信越本線横川駅 - 軽井沢駅の碓氷峠を越える際、この区間に設置されているアプト式のラックレールに接触しないように、空気バネ台車とディスクブレーキを装備した車両である。1963年10月の粘着運転移行後もそのまま使用されていたが、電車化によって本来の目的を喪失して、各地に転属し、転属先では急行指定席の乗り心地向上に役立てた。
国鉄時代に殆どが廃車され、国鉄分割民営化後は2両のみがJR四国に継承されたが、こちらも1991年までに廃車となっている。
キハ58[編集]
本州以南用に作られた本形式の基幹形式である。日本の気動車としては最も多く作られた。後年、長大編成用400番台や、修学旅行専用車両の800番台、運転台窓がパノラミックウィンドウとなったモデルチェンジ車も作られた。その後冷房化改造されたが、すべての車両には及ばなかった。国鉄時代、及びJR東海では国鉄80系気動車の発生品の台車(キハ57に装着されたDT31の亜種であるDT27あるいはDT31A)に換装した車両も現れたが、形式は国鉄時代はそのまま、東海旅客鉄道では5000番台に区分されている。(国鉄時代にグリーン車のリクライニングシートに換装されて5000番台に置き替えられた車両とは番号が重複)
最後まで75がJR東日本に残っていたが、2020年11月に廃車されており、これと同時にJR線からキハ58系自体が廃系列となっている。
キハ65[編集]
詳細は「国鉄キハ65形気動車」を参照
キハ91等で試験された500馬力の新型エンジンであるDML30を採用した車両である。旧来のDMH17Eエンジンは180馬力しかなく、中央本線では一等車も2エンジンにせざるを得なかった。
次の問題は冷房化で、当時、機関駆動を利用した直結形の空調装置は普及しておらず、外部から電源の取れない気動車では、自車で冷房化のための電源を別途賄うしかなかったが、2エンジンの車両は床下に発電スペースがなく気動車急行の冷房化は困難であった。もともと1エンジンの一等車の冷房化は進んだが、このままでは二等車の冷房化は進まなかった。そこで開発されたのが本形式である。気動車急行の冷房化のために製造され、台車の関係で折戸採用など独自仕様だった。
余談だが、昔の模型雑誌には「12系のトイレ部分をカット、キハ58の先頭台ブロックをつければキハ65へ!」というものがあった。国鉄12系客車に相似した車体である。
国鉄分割民営化後には東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、四国旅客鉄道、九州旅客鉄道に全車が継承された。冷房車であることから各地で急行列車にも引き続き使用された。トイレがないことや折戸であり通勤化改造が困難なことなどから運用上不都合が生じ、平成に入ると波動用への改造が進行した。最後までJR九州に36が残っていたが、これも2013年に廃車されてキハ58より先に廃形式となった。
キユ25[編集]
詳細は「郵政省キユ25形気動車」を参照
郵政省の私有車である。気動車としては唯一の私有車で、全室郵便車である。車内はオユ10と同様で、仕分室のほか、郵袋の置く郵袋室がある。当初から冷房化されていた。初期型2両、後期型2両が製造され、4両とも四国総局に配備された。
1986年6月の郵便輸送廃止により車齢わずか15 - 20年程度で4両とも除籍されたが、廃車後は1が松山市内でレストランとして活用されている。
改造車[編集]
キユニ28[編集]
詳細は「国鉄キユニ28形気動車」を参照
国鉄10系気動車の老朽化に伴い、キロ28の台枠、台車を流用して製造された郵便荷物合造車である。車体はキハ40系気動車と同様なものを新製した車体更新車である。塗色は当初登場した1~6は一般色、7以降は首都圏色となった。後に1~6も首都圏色となる。種車の冷房装置の流用はなかった。
荷物輸送廃止により用途を失い、国鉄分割民営化までにすべて廃車されている。
- 履歴表
番号 | 配置区 | 旧番号 | 改造工場 | 改造年月日 | 廃車 |
---|---|---|---|---|---|
キユニ28 1 | 名ミオ | キロ28 199 | 名古屋 | 1978.02.25 | 1987.02.25 |
キユニ28 2 | 名ミオ | キロ28 132 | 名古屋 | 1978.03.31 | 1986.12.27 |
キユニ28 3 | 名ミオ | キロ28 200 | 名古屋 | 1978.03.31 | 1986.12.27 |
キユニ28 4 | 天ナラ | キロ28 119 | 名古屋 | 1978.03.31 | 1987.01.12 |
キユニ28 5 | 広ヒロ | キロ28 70 | 幡生 | 1978.03.02 | 1987.02.10 |
キユニ28 6 | 広コリ | キロ28 176 | 幡生 | 1978.03.10 | 1987.02.02 |
キユニ28 7 | 名ミオ | キロ28 85 | 名古屋 | 1979.03.31 | 1986.12.01 |
キユニ28 8 | 広コリ | キロ28 129 | 幡生 | 1979.02.20 | 1986.09.15 |
キユニ28 9 | 福トカ | キロ28 57 | 幡生 | 1979.03.17 | 1986.09.15 |
キユニ28 10 | 水ミト | キロ28 529 | 幡生 | 1979.08.20 | 1987.02.10 |
キユニ28 11 | 水ミト | キロ28 501 | 幡生 | 1979.08.28 | 1987.02.10 |
キユニ28 12 | 水ミト | キロ28 67 | 幡生 | 1979.11.13 | 1987.02.10 |
キユニ28 13 | 水ミト | キロ28 33 | 名古屋 | 1979.07.27 | 1986.12.27 |
キユニ28 14 | 名ミオ | キロ28 34 | 幡生 | 1979.10.26 | 1986.12.27 |
キユニ28 15 | 福トカ | キロ28 20 | 幡生 | 1979.10.05 | 1986.12.27 |
キユニ28 16 | 福トカ | キロ28 49 | 幡生 | 1980.01.06 | 1986.12.27 |
キユニ28 17 | 広アサ | キロ28 12 | 幡生 | 1980.02.26 | 1987.02.10 |
キユニ28 18 | 秋カタ | キロ28 145 | 郡山 | 1981.04.18 | 1987.02.10 |
キユニ28 19 | 秋カタ | キロ28 146 | 郡山 | 1981.07.09 | 1987.02.10 |
キユニ28 20 | 秋カタ | キロ28 106 | 名古屋 | 1981.01.28 | 1987.02.10 |
キユニ28 21 | 天イセ | キロ28 37 | 名古屋 | 1980.11.29 | 1987.01.12 |
キユニ28 22 | 四カマ | キロ28 47 | 多度津 | 1981.05.29 | 1987.02.10 |
キユニ28 23 | 広ヒロ | キロ28 153 | 幡生 | 1981.03.31 | 1987.02.02 |
キユニ28 24 | 鹿カコ | キロ28 38 | 幡生 | 1980.12.13 | 1987.02.10 |
キユニ28 25 | 天イセ | キロ28 121 | 高砂 | 1981.12.11 | 1987.01.12 |
キユニ28 26 | 天ナラ | キロ28 54 | 高砂 | 1982.03.31 | 1987.02.10 |
キユニ28 27 | 名ナコ | キロ28 81 | 名古屋 | 1982.09.21 | 1987.02.10 |
キユニ28 28 | 仙コリ | キロ28 36 | 高砂 | 1983.02.08 | 1987.02.10 |
キニ28[編集]
キロ28からの改造によって登場した荷物気動車である。エンジン、台枠、台車を流用し、キハ47に準じた車体を新製した車体更新車である。車体後部に便所、洗面所がある。種車の冷房装置の流用はされなかった。
荷物輸送廃止により国鉄分割民営化までにすべて廃車され現存しない。
キニ58[編集]
キロ58からの改造によって登場した荷物気動車である。エンジン、台枠、台車を流用し、キハ47に準じた車体を新製した車体更新者である。車体はキニ28とほぼ同じ構造だが、水タンクを車体後部に設置したために洗面所は小さくなり、この区画には窓はない。
国鉄分割民営化前に全廃されたが、最終的にキニ58 1のみが碓氷峠文化村で保存されている。
キロハ28[編集]
上記のキロ28に対し、半室のみを普通車に改造したもの。国鉄時代に0番台1両、JR西日本で100番台4両が落成した。
0番台は上記のキハ28 5301に再改造されて国鉄時代に廃車。100番台も2004年までに全車が廃車となり現存しない。
キハ53[編集]
200番台は東北地区の増結車のために、キハ58を両運転台に改造したもの。500番台は単行用強馬力気動車を増やすために、キハ56を両運転台に改造したもの。1000番台は七尾線末端区間の短編成運用に関し、キハ58を両運転台に改造したもの。それぞれ2両、10両、3両が改造された。1000番台のみは冷房を搭載していたが、単独での使用はできず、また便所の設置はなかった。2005年までにすべて廃車されている。
この他、0番台と100番台が存在するが、こちらは国鉄キハ45系気動車に区分される。
キハ59[編集]
キハ56や58から改造されたジョイフルトレイン形式のうち、全室普通車のもの。こがねの廃車で全滅。
キハ29[編集]
キハ27や28から改造されたジョイフルトレイン形式のうち、全室普通車のもの。運転台のない中間車も存在した。こがねの廃車で全滅。
キロ59[編集]
キハ56や58から改造されたジョイフルトレイン形式のうち、全室グリーン車のもの。ほのぼのSUN-INの廃車で全滅。
キロ29[編集]
キハ27や28から改造されたジョイフルトレイン形式のうち、全室グリーン車のもの。運転台のない中間車も存在した。ほのぼのSUN-INの廃車で全滅。なお、「アルカディア」で当該形式に改造され、さらに「Kenji」で普通車に改造されたキハ28 2010は58年の長命を誇った。
キヤ28[編集]
キハ28の2102を訓練車に改造したもの。2008年廃車。
KTR1000・KTR2000[編集]
北近畿タンゴ鉄道ではタンゴエクスプローラーの予備車としてキハ28とキハ58を2両ずつ改造し、それぞれKTR1000・KTR2000と付番した。愛称はレインボーリゾートとされ、1002と2002は前頭部をエーデル北近畿のような展望室に改造されていた。
1996年に、KTR8000形により4両とも代替廃車され現存しない。
番外編:キハ70[編集]
詳細は「JR九州71系気動車」を参照
キハ58の490と436の2両はキハ71系ゆふいんの森への機器供出対象となった。
機関換装[編集]
本系列の搭載していたDMH17Hエンジンは原設計が戦前と極めて古く、国鉄分割民営化後のJR東日本とJR東海にて機関換装車が現れた。JR東海では快速みえ用の3両のみにとどまったが、JR東日本では全車が対象となった。後者は当時のJR東日本会長であった山下勇(三井造船の技術畑出身)が同系の1988年のジョイフルトレインアルカディア[注 1]の先頭車(キロ59 508)の延焼事故を受け、原因究明の際に取り寄せたDMH17Hの設計図面を見ただけで戦前タイプ[注 2]のエンジンであることに驚愕し、すぐさまエンジン交換の指示を出したためである[注 3]。
なお、JR東日本では変速機を種車のまま引き継いだため、エンジン出力を250psに落として運転していた。
廃車[編集]
急行列車の減少に伴い、1970年代からグリーン車の廃車が始まったが、普通車は国鉄分割民営化前に、両運転台のキハ53への改造が推進されるなど、活用が模索され、分民化後に大量に新会社へ移行した。JR7社合わせて1198両の継承は国鉄気動車最大を誇った。
しかし、電化の進展、新形式車の登場により1990年代から廃車が始まり、上記の通り、JRからは2020年に全廃した。
その後は元JR西日本のキハ28がいすみ鐵道に在籍し、最後の1両となったが、2023年春のキハ28の完全引退をもって約60年の歴史に幕を閉じた。
JR廃車後にロシア(主にサハリン向け)やタイといった日本国外に輸出された車両も多い。
同型車[編集]
1962年からの新宿発着の急行かわぐちでの運用に際し、運行全区間が架線下DCになるものの、富士急行で国鉄のキハ58系との併結に対応したキハ58形58001 - 58003の3両が、1961 - 63年にかけて製造された。58003のみ当時の国鉄には無かった両運転台車両で、後年のキハ53形1000番台の冷房なし版に類似していた。キハ28については富士急行が勾配線区のため1両も投入されていない。
その後、1975年に急行アルプスの総電車化と連動した急行かわぐちからの気動車撤退により3両とも廃車・有田鉄道に譲渡され、同社のキハ07を置き換えた。1980年にはエンジンを1基に削減する工事がなされたが、結局58003が主に運用に就き、58001と58002は予備車となっていた。
最終的に1994年にハイモ180-101が樽見鉄道からやってくると58001と58002は廃車となったが、58003については同線が廃止されるまで使用され、さらには有田川町鉄道公園にて動態保存されている。
保存車[編集]
以下の車両が保存されている。
- キハ58 554 - 安野花の駅公園
- キハ58 563、キハ28 2329 - 津山まなびの鉄道館
- キニ58 1 - 碓氷峠鉄道文化むら
+キハ28 2346
- キハ28 2394 - 旧加計駅
- キハ28 3019 - 敦賀赤レンガ倉庫
- キユ25 1 - レストランでんぷん
近い世代の車両[編集]
- 国鉄80系気動車 - 特急用
- 国鉄キハ20系気動車 - 普通用
- 国鉄165系電車 - 直流電車急行用
- 国鉄457系電車 - 交直流電車急行用
- 国鉄20系客車 - 寝台特急列車用
関連項目[編集]
参考文献[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典
JR JR東日本の鉄道車両 |
JR東海の鉄道車両 |
JR西日本の鉄道車両 |