国鉄キユニ28形気動車
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国鉄キユニ28形気動車 は、かつて日本国有鉄道が所有していた郵便荷物合造車である。
登場の背景[編集]
国鉄キユニ17形気動車をはじめとする国鉄キハ10系気動車の改造車は老朽化が進み、国鉄キユニ26形気動車が登場していたが、この車両もいずれ老朽化が始まり、また様々な車両から改造されていたので保守現場の苦労があった。そこで、気動車急行の電車化や特急格上げで余剰となっていた国鉄キロ28形気動車を改造して統一した車体の車両にしようと登場したのが本形式である。
概要[編集]
座席 (名) | - |
立席 (名) | - |
自重 (t) | 34.8 |
郵便室荷重(t) | 6 |
郵袋数 | 434 |
荷物室荷重 (t) | 5 |
台枠形式 | |
台車形式 | DT22,TR51 |
機関形式 | DMH17H |
出力 (PS)/回転数 (PPM) | 180/1500 |
ブレーキ装置 | DAEI |
最高速度 (km/h) | 95 |
照明方式 | 蛍光灯 |
備考 | キロ28より改造 |
外観・室内[編集]
国鉄キロ28形気動車から国鉄工場で改造された郵便荷物合造車である。4VK設置の2000番台からの改造はなかったが、比較的新しい500番台からの改造は2両が存在した。種車の冷房装置は流用されなかった。種車の台枠、台車、エンジンを流用し、車体のみ新製された車体更新車である。車体は当時新製が始まったキハ47と同じ構造で、車体長21000mm、車体幅2900mm、運転台は踏切事故対策とした高運転台である。前位側から運転台、郵便室、荷物室、後位側車端部に便所と洗面所がある。郵便室は幅1200mm、荷物室には1800mmのそれぞれ両開きの耐食性に強いステンレス鋼の荷物扱い扉がある。1~6は一般色、7以降は首都圏色で登場した。後に1~6も首都圏色となった。前位側に「郵〒便」、後位側に「荷 物」の表記がある。
履歴[編集]
番号 | 落成配置 | 旧番号 | 改造工場 | 改造年月日 | 最終配置 | 廃車 |
---|---|---|---|---|---|---|
キユニ28 1 | 美濃太田 | キロ28 199 | 名古屋 | 1978.02.25 | 美濃太田 | 1987.02.25 |
キユニ28 2 | 美濃太田 | キロ28 132 | 名古屋 | 1978.03.31 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 3 | 美濃太田 | キロ28 200 | 名古屋 | 1978.03.31 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 4 | 奈良 | キロ28 119 | 名古屋 | 1978.03.31 | 伊勢 | 1987.01.12 |
キユニ28 5 | 広島 | キロ28 70 | 幡生 | 1978.03.02 | 岡山 | 1987.02.10 |
キユニ28 6 | 小郡 | キロ28 176 | 幡生 | 1978.03.10 | 小郡 | 1987.02.02 |
キユニ28 7 | 美濃太田 | キロ28 85 | 名古屋 | 1979.03.31 | 美濃太田 | 1986.12.01 |
キユニ28 8 | 小郡 | キロ28 129 | 幡生 | 1979.02.20 | 小郡 | 1986.09.15 |
キユニ28 9 | 豊岡 | キロ28 57 | 幡生 | 1979.03.17 | 広島 | 1986.09.15 |
キユニ28 10 | 水戸 | キロ28 529 | 幡生 | 1979.08.20 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 11 | 水戸 | キロ28 501 | 幡生 | 1979.08.28 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 12 | 水戸 | キロ28 67 | 幡生 | 1979.11.13 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 13 | 水戸 | キロ28 33 | 名古屋 | 1979.07.27 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 14 | 美濃太田 | キロ28 34 | 幡生 | 1979.10.26 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 15 | 豊岡 | キロ28 20 | 幡生 | 1979.10.05 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 16 | 豊岡 | キロ28 49 | 幡生 | 1980.01.06 | 美濃太田 | 1986.12.27 |
キユニ28 17 | 厚狭 | キロ28 12 | 幡生 | 1980.02.26 | 岡山 | 1987.02.10 |
キユニ28 18 | 山形 | キロ28 145 | 郡山 | 1981.04.18 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 19 | 山形 | キロ28 146 | 郡山 | 1981.07.09 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 20 | 山形 | キロ28 106 | 名古屋 | 1981.01.28 | 弘前 | 1987.02.10 |
キユニ28 21 | 伊勢 | キロ28 37 | 名古屋 | 1980.11.29 | 伊勢 | 1987.01.12 |
キユニ28 22 | 高松 | キロ28 47 | 多度津 | 1981.05.29 | 高松 | 1987.02.10 |
キユニ28 23 | 広島 | キロ28 153 | 幡生 | 1981.03.31 | 広島 | 1987.02.02 |
キユニ28 24 | 小郡 | キロ28 38 | 幡生 | 1980.12.13 | 岡山 | 1987.02.10 |
キユニ28 25 | 伊勢 | キロ28 121 | 高砂 | 1981.12.11 | 伊勢 | 1987.01.12 |
キユニ28 26 | 奈良 | キロ28 54 | 高砂 | 1982.03.31 | 岡山 | 1987.02.10 |
キユニ28 27 | 名古屋 | キロ28 81 | 名古屋 | 1982.09.21 | 岡山 | 1987.02.10 |
キユニ28 28 | 郡山 | キロ28 36 | 高砂 | 1983.02.08 | 岡山 | 1987.02.10 |
運用[編集]
従来の車両を置き換えて北海道を除く全国の亜幹線の旅客列車に連結されて使用された。登場時期が新しいため、昭和61年11月1日日本国有鉄道ダイヤ改正による荷物輸送終焉まで使用された。改造からわずか4年で廃車になった車両もあった。