国鉄10系客車
国鉄10系客車(こくてつ10けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道の客車である。
登場した経緯[編集]
戦後間もなく新製が始まったスハ43系客車は、よくできた客車であったが、重くなり、牽引定数増大による列車の長編成化の妨げになっていた。
そこでスイス連邦鉄道の軽量客車を元に、日本の実情に合った軽量客車として開発されたのが10系客車である。なお、10系客車という区分は国鉄に存在せず、現場や趣味者がナハ10と同じ構造を持つ客車に名付けた通称である。
概要[編集]
台枠を軽量構造にしたり、部品に軽金属や合成樹脂を採用することにより、重量が27.5トン~32.5トン未満のナ級に収まる車両が大多数となった。車体や台枠、台車は近代化を達成したが、それ以外の部分は旧来の客車を受け継いだ部分が強く、実際に旧来の客車と混結した運用は多々あった。
なお、オハネ17のように、一部の車両は旧型客車から改造されたものがある。改造内容は台枠や台車を流用し、車体を新製した、いわゆる車体更新である。これらの車両は10系客車に含めないこともある。
形式[編集]
- ナハ10
基本となる形式で三等座席車。当初は客用扉は折り戸で室内照明は白熱灯だったが、近代化改造で客用扉は開閉窓付きの開き戸、室内照明は蛍光灯となった。
- ナハ11
ナハ10の室内灯を蛍光灯とし、客用扉を開閉窓付の開き戸とした改良型。
- ナハフ10
ナハ10に車掌室を取り付けた緩急車。
- ナハフ11
ナハ11に車掌室を取り付けた緩急車。
- ナロ10
スロ54とほぼ同じ車体構造を持つ二等座席車。車体幅は2900mmに広げられ、裾が絞られた。1967年から冷房化改造が行われた関係で低屋根化され、オロ11となった。
- ナハネ10
戦後初の三等寝台車である。寝台は幅52cmの3段式・定員60名。側廊下式。緩急車に改造されてナハネフ10となり、1968年までに冷房化改造されて重くなってオハネフ12となった。10系寝台車としては1985年3月14日ダイヤ改正(昭和60年3月14日日本国有鉄道ダイヤ改正)で廃止された山陰本線の普通列車「山陰」で最後の活躍をした。
- ナハネ11
ナハネ10よりも給仕室を広くし、寝台間隔を広げた車両。冷房化改造で重くなり、オハネ12となった。
- オハネ17
台枠と台車を国鉄スハ32系客車をはじめとする遊休化した旧型客車から流用し、新造した車体を載せた三等寝台車である。種車のTR23台車、あるいはTR34台車はスハ43のTR47と交換したが、電気暖房化した車両は重量の関係でTR23のままだった。後に冷房化の際にすべてTR47となった。冷房化でスハネ16となった。
- ナハネフ11
国鉄利用者に製造費を負担してもらう利用債制度によって調達された資金を元手に製造されたナハネ11の緩急車仕様。冷房化改造で重くなり、オハネフ13となった。
- オロネ10
ナロネ21登場の翌年の1959年に製造された。ナロネ21と同じ車体構造を持つ。国鉄は動力近代化のために客車の製造を中止しており、国鉄20系客車は最後の客車と言われていたが、本車は1965年まで戦前製のマロネ29を置き換えのために製造された。登場当初から冷房と電源用の発電用ディーゼルエンジンを装備しており、重量クラスが当初からオ級。
- ナロハネ10
牽引定数が限られる亜幹線の夜行列車用に製造された二・三等寝台車。二等寝台と三等寝台の境目にデッキがある。最後の2等C寝台である。冷房化は1等寝台が先で、屋根上集中式冷房機で冷房化されて、これによりオロハネ10と改称、同時に1等C寝台から1等B寝台となった。次に2等寝台が分散式冷房機で冷房化された。
遊休化した戦前製の3軸ボギー客車の台枠を流用して作られた食堂車である。車体幅が広げられた関係ではじめて通路の両側に4人がけテーブルを配した。当初から冷房装置を装備しており、自車用の発電エンジンを床下に搭載している。調理設備は電化されておらず旧来の石炭レンジと氷冷却式冷蔵庫が備えられている。台車はシュリーレン台車をはいた。
- オシ16
遊休化した戦前製の2軸ボギー客車の台枠、台車を流用して作られたビュフェ車。夜行急行列車における寝台設置・解体中の乗客の待避場所とするために製造された。当初から冷房付き。車内はテーブル・カウンター席を配置したビュフェと調理室がある。調理室は電化され、電子レンジと電気コンロが採用されたが、発電機の容量の関係上、コンロとレンジの同時使用は出来なかった。電気暖房の車両はTR23台車、電気暖房のない車両の台車はTR47台車だった。室内レイアウトや配色など、意欲的なデザインを採用し「サロンカー」とも呼ばれたユニークな車両であったが、実動10年で使命を終えた。
郵政省が所有する私有車で、車内で仕分け作業を行う取扱便用車両。1972年から郵便物の汗による汚損を防ぐため冷房化が行われた。
- オユ11
オユ10の区分室を拡大した車両。
- オユ12/スユ13
どちらも車内で仕分け作業を行わない護送便用車両。オユ12は蒸気暖房のみ、スユ13は電気暖房装備。
- オユ14/スユ16
取り扱い便用車両で、オユ11の後継車として登場。
- スユ15
スユ13の後継車として製造。トップナンバーはオユ12に準じた車体で登場したが、2から18号車は14系に準じた車体、19号車からラストナンバーは50系客車に準じている。
- 939-201
余剰化したオロハネ10 4を新幹線長期保守工事で作業員の宿泊施設として使用できる工事車へ改造した車両。
- オヤ10
余剰化したオロネ10を在来線の長期保守工事で作業員の宿泊施設として使用できる工事車へ改造した車両。
- オヤ17
北陸トンネル火災事故後に運用を離脱したオシ17から改造された教習車。1・2の2両が改造されたが両車で室内も外観も異なっており、1号車は講習室・高圧機器室・シミュレータ運転台を設置。2号車はEF81のシミュレータ運転台、講習室、信号取扱室、車掌室を設置。
- ナヤ11
こちらも教習車で、ナハフ11とオロネ10から合計3両を改造。1・2は交直流電車の教習用として、3は電気機関車の教習に用いられた。
- マヤ10
車両性能試験車。電気機関車の性能試験から誘導障害試験まで様々な試験に使用された。客車なのにパンタグラフを装備している。
- スヤ11
強度振動試験用試験車。電気機関車・ディーゼル機関車・客車・貨車に連結して使用された。
運用[編集]
初期の頃には特別急行列車にも運用されたが、80系気動車の投入、夜行列車では20系客車導入列車の拡大によって特急運用からは1960年代前半に退き、急行列車での運用が主軸となった。
内装から木材を追放したために保温性が悪く、さらに、軽量化のために乗り心地が悪く、乗客の評判は良くなかった。鋼板も薄いものを使用したために外板の状態劣化や車体の腐食が急速に進行。更に山陽本線急行雲仙号火災事故、北陸本線北陸トンネル火災事故と立て続けに火災事故に見舞われ、北陸トンネルの事故後、食堂車のオシ17については全車が営業運用から外された。難燃化工事の行われた車両もあったが、施工されないまま廃車になった車両もあった。
グリーン車オロ11は山陽新幹線博多開業により「桜島・高千穂」等の夜行急行列車での運用廃止により離脱。その他の型式も多数が廃車になった。特別急行列車への格上げ、20系客車の急行列車転用により本形式の運用は狭まった。
B寝台車、普通車は1985年3月14日ダイヤ改正で全車が運用離脱し、翌年の国鉄の郵便輸送撤退により郵便車も運用離脱した。1987年4月1日の国鉄分割民営化後、新会社に引き継がれたのは東日本旅客鉄道のナハフ11 2021・2022の2両だけで、イベント用ではなく事業用車代用としての利用だった。この2両も1995年11月に廃車となり、営業線上から姿を消した。
保存車[編集]
- スユ15 2033:北海道北見市 個人所有
- オロネ10 502/スハネ16 510:北海道網走郡津別町 21世紀の森キャンプ場
- ナヤ11 1:福島県いわき市
- ナヤ11 2:福島県いわき市
- オシ17 2055・ナハフ11 1・オハネ12 29:群馬県安中市 碓氷峠鉄道文化むら
- オロネ10 88・90・91:群馬県吾妻郡嬬恋村 パルコール列車村
- オユ10 2555:東京都国立市 日本郵政中央郵政研修センター
- オロネ10 2085 新潟県魚沼市
- オユ10 2565 石川県七尾市のと鉄道能登中島駅
- オロネ10 27 愛知県名古屋市 リニア・鉄道館