国鉄キハ57形気動車

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国鉄キハ57形気動車 (こくてつきは57かたきどうしゃ)は、日本国有鉄道が設計、開発した気動車である。

概要[編集]

DMH17Hディーゼルエンジンを2基設置した気動車である。運転台は片側1箇所、台車は信越本線横川駅軽井沢駅の間にある碓氷峠アプト式のラックレールに台車が触れないように空気バネ台車を使用している。車体構造は同時期に登場した国鉄153系電車とほぼ同じ構造であるが、客用窓は一段上昇窓となった。便所、洗面所は運転台の反対側に客用扉の内側に一箇所ずつ存在する。

履歴[編集]

国鉄キハ57形気動車の履歴
車番 落成年月日 製造会社 落成配置 最終配置 廃車年月日
キハ57 1 1961年4月15日 日本車輌製造 長野 中込 1985年12月27日
キハ57 2 1961年4月15日 日本車輌製造 長野 中込 1985年11月26日
キハ57 3 1961年4月20日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1985年12月10日
キハ57 4 1961年4月20日 日本車輌製造 長野 名古屋 1984年4月4日
キハ57 5 1961年4月20日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1986年3月30日
キハ57 6 1961年4月20日 日本車輌製造 長野 名古屋 1985年5月16日
キハ57 7 1961年4月24日 富士重工業 長野 名古屋 1985年12月27日
キハ57 8 1961年4月24日 富士重工業 長野 中込 1985年7月30日
キハ57 9 1961年5月2日 富士重工業 長野 高松 1987年1月20日
キハ57 10 1961年5月2日 富士重工業 長野 名古屋 1986年6月10日
キハ57 11 1961年5月15日 富士重工業 長野 高松 1985年2月7日
キハ57 12 1961年5月15日 富士重工業 長野 美濃太田 1984年2月15日
キハ57 13 1961年5月15日 富士重工業 長野 高松 1987年2月10日
キハ57 14 1961年9月8日 日本車輌製造 長野 名古屋 1986年12月27日
キハ57 15 1961年9月21日 日本車輌製造 長野 高松 1987年2月10日
キハ57 16 1961年9月21日 日本車輌製造 長野 高松 1987年2月10日
キハ57 17 1961年9月21日 日本車輌製造 長野 高松 1987年2月10日
キハ57 18 1961年9月25日 日本車輌製造 長野 中込 1985年12月19日
キハ57 19 1961年9月25日 日本車輌製造 長野 松山 1992年3月31日
キハ57 20 1961年9月28日 日本車輌製造 長野 高松 1987年2月10日
キハ57 21 1961年9月28日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1985年10月15日
キハ57 22 1961年10月3日 日本車輌製造 長野 松山 1992年3月31日
キハ57 23 1961年10月27日 日本車輌製造 長野 中込 1985年7月30日
キハ57 24 1961年10月27日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1985年6月20日
キハ57 25 1961年10月27日 日本車輌製造 長野 中込 1984年9月25日
キハ57 26 1961年10月27日 日本車輌製造 長野 中込 1986年3月31日
キハ57 27 1961年10月27日 日本車輌製造 長野 名古屋 1986年12月27日
キハ57 28 1962年7月23日 日本車輌製造 長野 中込 1985年10月24日
キハ57 29 1962年7月23日 日本車輌製造 長野 中込 1985年7月30日
キハ57 30 1962年8月22日 日本車輌製造 長野 中込 1984年9月25日
キハ57 31 1962年8月22日 日本車輌製造 長野 中込 1985年1月10日
キハ57 32 1962年8月22日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1985年11月14日
キハ57 33 1962年8月22日 日本車輌製造 長野 中込 1984年9月25日
キハ57 34 1962年8月25日 日本車輌製造 長野 美濃太田 1985年11月14日
キハ57 35 1962年8月25日 日本車輌製造 長野 中込 1985年11月26日
キハ57 36 1962年8月25日 日本車輌製造 長野 中込 1986年3月31日

改造[編集]

全車がAU13による冷房化改造をされたほか、四国旅客鉄道に引き継がれた車両は座席のバケットシート化がされた。

運用[編集]

信越本線の横川駅と軽井沢駅を通過する気動車急行として国鉄キロ27形気動車とともにED42と連結して運用に就き、同区間の粘着運転が開始されたあとも国鉄EF63形電気機関車とともに運用に就いたが、同区間の電車化後は中央本線高山本線小海線四国総局で運用された。国鉄分割民営化では四国旅客鉄道に2両が引き継がれた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]