国鉄キハ80系気動車
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国鉄80系気動車(こくてつ80けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道が開発、運用した特急型気動車である。
名称[編集]
様々な文献、あるいはWikipediaで「国鉄キハ80系気動車」、「国鉄キハ82系気動車」と表記揺れしているが、これは鉄道ファンが「国鉄モハ80系電車」と区別するために区分けしているためである。固定編成かつ基幹形式がキハ80形の本形式は「80系気動車」である。
概要[編集]
国鉄151系電車とほぼ同じ車体構造をもつ。ただし、キハ81についてはタブレットキャッチャーを設置する関係から運転台が若干低くなり、独特の前面となった。冷房用と調理室用の発電機は当初は先頭車キハ81と、付随車キサシ80に搭載した。改良型として登場したキハ82は前面貫通型の丸妻となった。食堂車はDMH17Hエンジンを2機搭載し、水タンクを室内に搭載した。
開発[編集]
一般用、準急用を登場させて気動車運用に自信をつけた日本国有鉄道は特急型気動車の開発に乗り出した。
当初は新型エンジンの搭載を予定していたが、開発期間が短く、予定期間までに竣工できないことから、従来のDMH17エンジンを横型にしたDMH17Hエンジンとして室内から点検蓋を廃し、騒音と振動を抑えた。
形式[編集]
- キロ80
- 走行用エンジンを2基搭載するグリーン車。キハ81のグループは屋根上に水タンクを持たない。初期車は一部がキハ80、キハ82に改造された以外は1977年までに全廃。後にキハ80から改造されたジョイフルトレイン「リゾートライナー」がこの形式を名乗った。
- キハ80
- 走行用エンジンを2基搭載する普通車。後述のキハ81のグループとキハ82のグループのいずれも車体構造がほとんど同じであった。初期車は1983年に全廃されている。
- なお、キハ82から改造されたジョイフルトレイン用の500番台は1エンジンである。
詳細は「国鉄キハ80形気動車」を参照
- キハ81
- 当初開発された先頭車。151系電車と同様なボンネット形を採用した。発電用エンジンを1台搭載し、軽量化のため、走行用エンジンは1台のみ搭載している。1968年10月の「はつかり」電車化後は「いなほ」、「くろしお」で運用されたが、1978年10月の紀勢西線電化によるダイヤ改正により運用から撤退。廃形式となった。
- キハ82
- 1961年10月1日より運用開始。分割併合運転ができるよう、前面貫通型を採用した。運転台窓はパノラミックウィンドウを採用し、貫通扉に特急マークと愛称番を設置した。
詳細は「国鉄キハ82形気動車」を参照
- キシ80
- 151系電車のサシ151と同じ車体構造を持つ食堂車である。キサシ80との違いは、床下に走行用のDMH17Hエンジンを2台持つこと、これにより、水タンクを室内に搭載したため、定員が8名減少し、40人になったことである。のちにキサシ80全車が本形式に改造された。
- キロ82
- ジョイフルトレイン「リゾートライナー」にて設定された形式。キハ82からの改造で、1エンジンであった。
- キハ83
- キハ82から改造された1エンジンのジョイフルトレインの中間車。「フラノエクスプレス」「トマムサホロエクスプレス」にて設定。
- キハ84
- キハ80から改造された2エンジンのジョイフルトレインの中間車。「フラノエクスプレス」「トマムサホロエクスプレス」にて設定。フラノエクスプレスはJR東海キハ85系気動車と車番重複があった。
運用[編集]
国鉄時代[編集]
- 1960年:上野駅と青森駅を常磐線経由で結ぶ特急「はつかり」で運用開始。
- 1961年10月1日:新形式キハ82とキシ80の運用開始。山陽本線、鹿児島本線、長崎本線で運用を開始。加えて、これまで特別急行列車の設定がなかった石北本線、根室本線、室蘭本線、函館本線、奥羽本線、羽越本線、信越本線、北陸本線、福知山線、山陰本線、日豊本線でも運用開始。日本全国に気動車特急網ができる。
- 1965年3月:「くろしお」新設で、関西本線、紀勢本線、阪和線で運用開始。
- 1965年10月1日:「やまばと」付属編成乗り入れで磐越西線で運用開始。
- 1967年10月1日:「いそかぜ」付属編成乗り入れで佐世保線、筑豊本線で運用開始。
- 1968年9月30日:電車特急「あいづ」新設で磐越西線から撤退。
- 1968年10月1日:「ひだ」新設で高山本線、東海道本線 (名古屋地区)で新規運用開始。
- 1972年10月1日:「白鳥」、「いなほ」、「ひたち」電車化で、奥羽本線、羽越本線、信越本線、上越線、常磐線および首都圏から撤退。
- 1972年10月2日:「あさしお」、「はまかぜ」新設で、舞鶴線、宮津線、播但線で新規運用開始。
- 1973年10月1日:「くろしお」短絡化で、伊勢線で新規運用開始。
- 1975年3月9日:「かもめ」廃止で、長崎本線、佐世保線、筑豊本線から撤退。
- 1975年3月10日:「おき」新設で、山口線で新規運用開始するも、翌年10月に撤退。
- 1978年10月1日:「くろしお」電車化で、阪和線から撤退。
- 1980年10月1日:博多駅と宮崎駅を結ぶ特急「おおよど」と間合い運用の特急「にちりん」の電車化により、肥薩線、吉都線、日豊本線から撤退。
- 1982年7月1日;「やくも」電車化による老朽車の181系への置き換えで、播但線、舞鶴線、宮津線から撤退。
- 1985年3月14日:北陸本線、福知山線、山陰本線、山陽本線、鹿児島本線から撤退。
- 1986年11月1日:北海道内での定期運用廃止。キシ80の定期運用廃止。
国鉄分割民営化後[編集]
北海道旅客鉄道と東海旅客鉄道に引き継がれた。
北海道旅客鉄道は波動用として、東海旅客鉄道は高山本線と紀勢本線の特別急行列車として使用された。
なお、1995年の波動運用終了後も、2009年まで保留車としてJR東海が3両保有していた。
余談[編集]
国鉄、およびJR東海ではキハ58系のうち台車が本系列の廃車発生品に換装された車両も存在した。
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