国鉄103系電車
国鉄103系電車(こくてつ103けいでんしゃ)は、日本国有鉄道が開発した通勤形直流電車である。
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概要[編集]
鉄道車両の中で日本で最も多く製造された、抵抗制御の通勤車両である。先代となる101系は新たに高速化を目指し「高性能電車」として登場し期待が大きかった。しかし全電動車方式を採用した結果、変電所の容量が限界に達するなど問題となっていた。101系は電動車の比率を減らし旧性能電車と変わらない性能になってしまった。そこで国鉄は速度よりも加速度の大きい電車の開発に取り掛かり、適正に付随車を設けて経済性を重視した[注 1]。
因みに、京葉線にDDMに改造された編成が存在した。
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新製車[編集]
0番台[編集]
1964年から約20年間製造された。客用窓のユニット化、高運転台化、冷房化といった改良を重ねて増備された。
2023年3月に和田岬線から撤退することになったが、これと同時に0番台は全滅。1984年の最終増備車4両に関してはわずか車齢18年で廃車となっている。
900番台[編集]
103系の量産先行車で、かつては0番台1~4を名乗っていたが、量産車が登場するため900番台に改番された。1992年までに全車廃車。
1000番台[編集]
詳細は「国鉄103系電車1000番台」を参照
1200番台[編集]
地下鉄東西線乗入対応車はすでに301系が走行していたが、アルミ車体でコスト高だったため、103系1000番台に準じた103系1200番台が中央・総武緩行線に投入された。2003年に最終編成が廃車。
1500番台[編集]
国鉄3番目の地下鉄相互乗り入れ路線となる筑肥線に投入された。乗り入れ相手となる福岡市地下鉄の1000系は、ATO(自動列車運転装置)を備え、電機子チョッパ制御によるモーター制御を採用したが、コスト低減効果が筑前前原駅以西で見込めないことから、103系の機構をベースに当時新造された105系に似た前面デザインを採用。305系の増備で地下鉄乗り入れを終了し、現在は筑前前原以西で使用される。
改造車[編集]
3000番台・3500番台 (JR東日本)[編集]
仙石線にて活躍していた旧型国電の72系970番台から予備品見直しの一環で改造された、もはやお化けと言ってもよさそうな車両。電化当初の川越線に投入され、取っ手付きの半自動対応ドアが特徴的であった。1996年以降は八高線の電化区間にも運用を拡大し、冷房化改造も受けた。同時に0番台に半自動ボタンを取り付けた3500番台4連1本が投入されたが、2005年まで205系3000番台と209系3100番台に置き換えられて全車廃車解体となった。後述のJR西日本車と3500番台は同一の番台だが、車番の重複はなかった。
3500番台 (JR西日本)・3550番台[編集]
加古川線・播但線向けのワンマン改造車で2両編成がそれぞれ8本と9本改造された。前者が3550番台、後者が3500番台に区分される。トイレが設置された。
2024年1月に3550番台1本が廃車された。
5000番台[編集]
片町線で電化した際、途中駅で併合・分割を行うようになった。そのため、モハ103から先頭車改造を受け、電連を取り付けられた。このグループが5000番台である。なお4両側のモハ102にも電連を取り付けられ、こちらも5000番台へ改番された。 207系に置き換えられ、クモハ103は2500番台、モハ102は原番号に振り直され各地へ転属していった。
2500番台[編集]
クモハ[編集]
クモハ103-2500は先述した5000番台から電連を撤去したグループである。2018年まで活躍していた。
クハ[編集]
短編成化のため、足りなくなった先頭車を補うためにモハ102を電装解除して先頭車化する改造[注 2]を行ったグループ。
115系とは違い電動発電機取り込み口や点検板などは塞がれ[注 3]、モハという証拠は消していた。1997年までに消滅。
サハ[編集]
1両だけ存在。モハ103-232の相方モハ102-387がクハ103-2501化され、相方を失い暇だったモハ103-232を電装解除してサハ化したもの。片町線に配置され1992年に廃車。
2550番台[編集]
モハ103から電装解除して先頭車化する改造をしたグループ。こちらはパンタ台など電動車の痕跡を残していた。
こちらは2006年までと割と最近まで活躍していた。
800番台[編集]
とある103系の試作車を電装解除してサハ化したもの。2004年に消滅。
サハ102[編集]
サハ103を方向転換したグループ。
サハ103形750番台[編集]
サハ101を103系と連結できるようにしただけ。つまりただの101系
うち758のみは阪和線の羽衣線にて123系に挟まれ運用されたことがある。
クハ103形2000・2050番台[編集]
クハ100や101を103系と連結できるようにして制御できるように改造しただけ。これもただの101系
モハ103-502[編集]
2002年5月にDDMの試験車として1両だけ改造され、営業車に組み込まれた。VVVF化された車両としてもこの1両のみである。2003年12月廃車。
使用路線[編集]
2024年現在[編集]
非営業列車では検査などの関係から東海道本線や山陽本線など営業運転中では見れない路線にも顔を出すことがあるのでそのような時に沿線に撮り鉄が湧く。
過去[編集]
特に奈良線・関西本線では2022年3月のダイヤ改正で予告もなしにひっそり寂しく運用を終えた。
7/27に重連で吹田に回送されたが、遅れが酷かった51レことSRCと西九条で並んだ他、沿線には撮り鉄が大量に湧き、郡山〜大和小泉間では、線路内立ち入りも発生したとか...
なお、営業列車では、臨時列車で桜井線に乗り入れることがあった。
改造[編集]
冷房化改造[編集]
103系の一部は非冷房で登場したため、後に冷房化改造が行われた。
特別保全工事[編集]
特保車と呼ばれ、民営化前後で行われた。初期車のうち今後も10年程度使う予定がある車両に施工された。 化粧版や床板の張り替え、ドアが金属押さえ(一部)に改造。JR東日本ではこれと同時にAU712冷改を行った車両もいる。 現存しない。
105系化[編集]
置き換えで103系1000番台が大量に余っていた一方、地方では旧型国電の置き換えが急がれていた。そこで、103系を105系に改造したものが登場した。
詳細は「国鉄105系電車#103系編入車」を参照
体質改善工事[編集]
JR西日本の車両に行われた。製造後40年の使用を想定した40N工事と、40Nを簡略化し30年の使用を想定した30N工事が行われた。
延命工事[編集]
JR西日本の車両に行われた。延命工事により、戸袋窓が撤去された。延命N40車は窓が改造されている。
その他[編集]
保存車[編集]
クハ103-1が京都鉄道博物館に大阪環状線時代の姿で保存されている。
クハ103-713が鉄道博物館に水玉模様で保存されている。
クハ103-525がポッポの丘に保存されており、現在は修繕中である。
吹田総合車両所にクハ103-216とクハ103-226が廃車回送後も解体されず、吹田総合車両所のイベントなどで展示されている。
網干総合車両所明石支所に和田岬線で活躍していたR1編成が和田岬線での運用終了後も留置されている。なお、休車となっている。
関連項目[編集]
注[編集]
JR JR東日本の鉄道車両 |
JR東海の鉄道車両 |
JR西日本の鉄道車両 |