「第2回エンペディア大賞」が2月いっぱい開催中です。2024年に作成された記事の中から、お気に入りの記事に投票しましょう!
国鉄103系電車1000番台
国鉄103系電車1000番台(こくてつ103けいでんしゃ1000ばんだい)とは、かつて常磐緩行線及び営団地下鉄千代田線で走行していた電車である。
誕生の背景[編集]
国鉄では当時103系が製造中で最も盛んだった。1970年代前期に入ると千代田線が開通。それに伴い地下鉄専用に開発が行われた。103系を地下鉄でも走ることができると大いに期待があった。
性能[編集]
車体には不燃材料を採用した形となった。地下鉄の高速化に対応するため運転席の横にあった戸袋窓は付けなかった。従来の抵抗によるモーター制御を行なっていた。
ただし、バーニア制御を併用するなど103系の原型車とは異なる点も多かった。
問題点[編集]
地上で活躍していた時代はそこそこ評価があった。しかし、103系系列は登場から10年経過しており、技術面においても営団6000系より遥かに後塵を拝していた。地下鉄東西線では301系はアルミ車体のため、103系1200番台も千代田線より緩勾配のため、それほど問題にはならなかった。
実際に地下鉄千代田線を走るとブレーキからの熱でトンネル内の温度が上昇。地下鉄線内は冷房は持たず熱を自然の力で外に出す「自然通風式」が採用されていた。そこに問題があった。駅や車内に熱がどんどんこもって行き逃げ場を失った熱はモーターに付きまとい床が焦げるなどの損傷も生じていた。
国鉄でもそれらの問題点を看過できず、201系の技術を踏まえ、203系の開発に取り組んだ。
その後[編集]
203系によって置き換えられ、地下鉄・常磐緩行線で事実上用済みとなった103系1000番台は、常磐快速線に転用されたが、折も折、追加投入が望まれた105系の改造種車として白羽の矢が立ち、約3分の1の56両が1M方式の105系(1000番台など)に改造され、奈良線、和歌山線、可部線等に転属した。
国鉄分民化後の1989年には、中央・総武緩行線の地下鉄東西線直通車1200番台と301系の冷房化改造時の予備車として、1000番台10両編成1本が三鷹電車区に転出した。
しかし、1991年の東西線直通10両編成化では1200番台の12両が余剰となり、常磐快速線に転用され松戸電車区に転入した。
常磐快速線への転属[編集]
105系に改造されずに残った104両に関しては、地上の常磐快速線に転属することとなった。
しかし、転用改造中に、常磐緩行線の車両が不足していることが発覚。国鉄は青緑1号1色にし、地下鉄千代田線に乗り入れさせることになってしまった。だが、営団側の圧力により、たった2日で終了した。
転属の際、0番台と1000番台の併結対応改造を行った。0番台は乗務員間連絡ブザーに非分離式を採用していたが、1000番台は営団地下鉄との協定により分離式を採用していた。非常用ブザーと乗務員連絡電話用の回路が異なったため、1000番台と0番台の併結運転は不可能であった為である。
消滅へ[編集]
2002年よりE231系0番台が常磐快速線へ新製投入され、103系の置き換えが開始された。
常磐快速線の103系は2006年3月17日に定期運用を終了し、4月8日にさよなら運転が行われた。これにより首都圏の103系は消滅となった。
105系改造車も2021年3月をもって営業運転を終了しており、103系1000番台由来の現役車両は現存しない。