1541年
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1541年(せんごひゃくよんじゅういちねん)は、1500年代の41年目のことであり、日本の元号では天文10年である。室町幕府の征夷大将軍は第12代の足利義晴であり、朝廷の天皇は後奈良天皇である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 毛利元就・大内義隆連合軍に尼子詮久(後の尼子晴久)が敗れて出雲国に撤退する(吉田郡山城の戦い)。
- 5月 - 毛利元就・大内義隆連合軍が武田信実の安芸国銀山城を落とし、安芸武田氏が滅亡する。
- 6月 - 甲斐国守護の武田信虎が嫡子の武田晴信(後の武田信玄)により駿河国の今川義元の下へ追放され、晴信が家督を継ぐ。
- 7月 - 北条氏綱が死去(55歳)し、嫡子の北条氏康が跡を継ぐ。
- 8月 - 畿内で大風雨が発生する。
- 10月 - 木沢長政が京都に迫る。
- 11月 - 将軍・足利義晴が近江国坂本に逃走する。尼子経久が死去(84歳)。
- 12月 - 大内義隆が従三位に叙される。