1507年
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1507年(せんごひゃくななねん)は、1500年代の7年目のことであり、日本の元号では永正4年である。室町幕府の征夷大将軍は第11代の足利義澄であり、朝廷の天皇は後柏原天皇である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 甲斐国の守護・武田信縄が死去(37歳)。嫡子の武田信直(後の武田信虎)が跡を継ぐ。
- 6月 - 管領の細川政元が養子の細川澄之一派によって殺害される(42歳、永正の錯乱の開始)。細川澄元と三好之長が近江国に逃走する。
- 8月 - 細川高国が上洛して細川澄之を殺害する(19歳)。細川澄元が細川家の当主になる。越後国守護の上杉房能が重臣の長尾為景に反乱を起こされて自殺し、新しい守護に養子の上杉定実が傀儡として擁立される。
- 12月 - 周防国守護の大内義興が前将軍・足利義尹(後の足利義稙)を奉じて東上を開始し、足利義澄と細川澄元が和議を申し出る。
- 月不明 - 春頃、武蔵国や相模国にネズミが多数出て農作物を荒らす。