1521年
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1521年(せんごひゃくにじゅういちねん)は、1500年代の21年目のことであり、日本の元号では8月23日まで永正18年であり、それ以降は改元されて大永元年となる。室町幕府の征夷大将軍は第10代(再任)の足利義稙であったが細川高国に廃されて足利義晴が第12代将軍へと代替わりする。朝廷の天皇は後柏原天皇である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 高野山で火災が起こり、大塔や金堂以下伽藍300余り、塔19基、僧坊3900余り、仏像や経典など多数が被害を受け、僧侶の多くが火災に巻き込まれて亡くなる。
- 3月 - 細川高国の専横に反発する将軍・足利義稙が和泉国、次いで淡路国に出奔する。後柏原天皇が即位22年にして即位式を行なう。
- 6月 - 琉球王国の国王・尚真が種子島忠時に交易することを許可する。
- 7月 - 細川高国が播磨国より足利義晴を京都に迎える。
- 8月 - 播磨国守護代の浦上村宗が守護の赤松義村を殺害する。
- 10月 - 足利義稙が淡路国より和泉国堺に戻るが、細川高国により追放される。
- 12月 - 足利義稙の将軍職が廃され、足利義晴が将軍に就任する。