1532年
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1532年(せんごひゃくさんじゅうにねん)は、1500年代の32年目のことであり、日本の元号では享禄5年であったが、7月29日に改元されて天文元年になる。室町幕府の征夷大将軍は第12代の足利義晴であり、朝廷の天皇は後奈良天皇である。16世紀の一つ。
日本の出来事[編集]
- 3月 - 宗長が死去(85歳)。
- 6月 - 細川晴元の要請を受けた本願寺証如が畠山義宣と三好元長を殺害する。
- 7月 - 大和国の一向宗門徒が興福寺の門徒と衝突する。一向宗が興福寺の坊舎を数百焼き、神供所を略奪し、猿沢池の魚を捕食する。
- 8月 - 細川晴元が本願寺証如を破る。さらに六角定頼が法華宗門徒と連合して本願寺証如の籠もる山城国山科本願寺を焼き払ったため、証如は大坂に逃走する。土佐光茂と尊鎮法親王により、桑実寺縁起が完成する。